真夜中、生まれて間もないアレクサンダーが息をしていないことに気づいたアナ(マリア・ボネヴィー)。刑事の夫アンドレアス(ニコライ・コスター=ワルドー)は「救急に通報したら、息子を引き離したら自殺する」と激昂する妻に鎮静剤を与え、過去に自ら逮捕した薬物中毒者トリスタン(ニコライ・リー・コス)のアパートに密かに侵入、アレクサンダーの遺体を代わりに、トリスタンの息子ソーフスを我が子として育てようと連れ帰るのだが・・・。
『悲しみが乾くまで』『ある愛の風景』『アフター・ウェディング』のスサンネ・ビア監督作品。
スサンネ・ビアの作品ていっつも設定はかなりムチャクチャなんだよね。なんというか非現実的というか、ちょっと飛躍してる。そんなことあるワケないでしょーが、ってところから話が始まる。でも展開がものすごく生々しい。どの作品にも共通してるんだけど、ほとんどの登場人物が感情で行動してるからだと思う。理屈で動いてない。理屈では絶対そんなことできない、けどどうしても我慢できない、そういう衝動で行動することで物語が転がっていく。
彼らの衝動はどこまでも根源的で、誰もがつい共感してしまうような、ごくストレートな感興として描かれる。いいとか悪いとか、損得の問題じゃない。ちゃんとした理由もない。なのに、なぜかそうするのが正しいような気がしてしまう、そんな登場人物たちの成りゆきまかせの彷徨に、知らず知らずのうちにつりこまれていってしまう。
アンドレアスはなにもアナのためだけにソーフスを誘拐するのではない。それ以前に、トリスタンのアパートを捜索したときに出会った我が子と同じくらいの乳児の境遇に必要以上に同情し、児童虐待で保護できないか画策してもいる。
人は子育て中、子どもとの接触によって特殊な脳内物質を分泌することで父性もしくは母性という感情を得るという。アンドレアスは自らの過剰な父性に気づかず、喪ったアレクサンダーをソーフスで埋めることだけが正解だと思いこむ。その嘘を覆い隠すことで頭がいっぱいで、ソーフスの母親サネ(リッケ・メイ・アンデルセン)や、自分の妻の心の裡を垣間みようともできずにいる。
客観的にみればおかしな話かもしれない。だがぐりの身内にも乳児がいる。自分の身に同じことがもし起こったら、アンドレアスと同じことを、アナと同じことをしないとは100%いいきれない気がする。それほど赤ん坊の影響力は絶大だからだ。自分ひとりではなにひとつ出来はしないのに、周囲の人間すべてを支配する不思議な力。その圧倒的な力はときに理不尽で、人の理性を奪うこともあるし、人を人でなくさせてしまうことさえある、おそろしいものだ。
またこの映画のもうひとつのテーマは、自分の立場や社会的な表層からみえる現実の儚さなんじゃないかと思う。
アンドレアスは優秀な刑事だし、美人の妻がいて、きれいな海岸の家に住んで、元気な男の子が生まれたばかり。非の打ち所もなく幸せいっぱいのはずだった。それがある日突然消えてしまう。アンドレアスはもちろんそんなこと受け入れられない。アナも受け入れられない。しかしそういう「目に見える幸せ」がどんな犠牲のうえに立っていたのか、少なくともアナは知っていたはずである。
ソーフスの環境にしても、アンドレアスは薬物中毒の両親にろくに世話もされていないと勝手に判断するが、そもそも彼はサネのことをなにひとつ知らない。とはいえ、自分が何を知っているかはわかっても、何を知らないかを知ることは意外に難しいことなのかもしれない。
赤ちゃんを中心にした物語なので、劇中ずっと赤ちゃんの泣き声や言葉にならない喃語が聞こえてるのがとても楽しかった。赤ちゃんを抱いている出演者はとにかくいつも嬉しそうで幸せそうで、観ているだけで、乳児のやわらかくてあたたかい身体の感触や、ミルクっぽい匂いを思いだしました。
最近ちょっとご無沙汰。赤ちゃん、会いたいな。