『それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』 周防正行著
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一昨年公開され各映画賞を総ナメした『それでもボクはやってない』の監督・周防正行氏による、シナリオ・解説・対談を収録した本。
周防監督はこの作品をつくるにあたって4年間もリサーチを重ね、シナリオを書くにも相当な呻吟をしたそうで、自身が感じた日本の裁判制度への疑問と怒りをすべて映画に盛り込むわけにいかなかったことは、インタビューなどでも折りに触れて語っている。
映画の公開時も映画監督としてこのテーマには継続的に関わっていきたいと述べていて、この本ではとりあえず、『それでもボクはやってない』という1本の“裁判映画”で表現した範囲内で、映画の中だけに収めきれなかったディテールについて書かれている。
ぐりは映画は2年前の公開時に一度観たきりだけど、非常によく練られた無駄のない劇場映画であり、かつきちんとした社会派ドラマとしても完成していて、監督の手腕と情熱には心から敬服したものだけれど、今こうしてシナリオを読んでも、ほんとうにこれはすごいなと改めて畏れ入ってしまう。
無駄というものがいっさいない。それでいて説明不足なところもない。いうべきことはきちっというし、それでいてくどくない。ものすごくわかりやすいのに、押しつけがましさはまったくない。よくこんなシナリオが書けるなと思うと同時に、映画はやっぱりシナリオだなと思う。
この映画の撮影期間は約2ヶ月間、通常の映画の撮影よりもスケジュール的には結構余裕があったという。というのも、主要シーンは裁判所や警察署など登場人物の動きに制約のある設定が多く、技術的にはどちらかといえば「簡単」な作品だからである(いうまでもないが、俳優の動きが大きければ大きいほど技術的には難易度が上がり、撮影そのものにも時間も手間もかかる)。
周防監督はもともとそれほどフレキシブルなカメラワークや凝ったカットバックを駆使してショーアップされた映像をつくるタイプではないし、だからうっかりすると映像的には退屈になりがちなのだが、この作品は観ていて退屈する、集中力が削がれる、ということがまるでない。始まるや否やぐいぐいと引き込まれ、はっと気づけば判決のシーンになっていて、ああそういえば映画を観ていたんだっけ、と我に返るくらい。
やはりこれはひとえに、この完璧なシナリオのなせるわざだと思う。
解説は完成稿のまま撮影をしたにも関わらず、編集段階で削ったシーンに関する解説。
監督はストーリーの背景となる裁判制度のそのまた背景、検察や裁判所の舞台裏など、各パートを公平な目で観客にみてもらうためのシーンを用意していたのだが、実際に撮ってつないでみると観客の意識はどうしても主人公の被告(加瀬亮)に集中する流れになっている。そこでその流れを阻害する、その流れに必要がないと判断されたシーンはボツにすることになったという。
ここでも監督の「日本の裁判制度に対する疑問と怒り」というテーマへの情熱が溢れている。監督は法律家じゃないから裁判制度に関しては素人だけど、だからこそ「これはおかしいんじゃない?」「ヘンでしょ!」と思った素直な気持ちを、一般の観客、すなわち国民としっかりと共有したいと強く感じたのだろうと思う。
それをただそのまま表現するんじゃなくて、一旦消化して、ある程度オブラートに包んで(当り前のことだが、実際の裁判は映画よりもずっと厳しい)多面的に表現することで、観客自身の感受性に訴えようとしている。オトナやわあ。
対談は元裁判官・木谷明氏に監督が映画の中の裁判について疑問を投げかけ、木谷氏が答えるというもの。
ここでも監督、熱いです。熱い。熱すぎる。でもおもしろい。
監督はシナリオを書くにあたって木谷氏の著書『刑事裁判の心―事実認定適正化の方策』を参考にし、木谷氏に強く影響を受けた裁判官として大森光明裁判長(正名僕蔵)を設定している。映画の冒頭にも登場する「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」という法格言は、この木谷氏の現役時代のモットーでもあったという。モットーもなにも、「疑わしきは被告人の利益に」は刑事裁判の原理原則なんだけどね。
でも今の日本では「疑わしい人はとりあえずとっつかまえて、どっかにしまっちゃっといてください」ってことになっている。結局みんなよそ事なんだよね。もしあんたがその「疑わしき被告人」の立場だったら、「とりあえずとっつかまえて、どっかにしまっちゃって」でほんとに済みますかね?って話です。自分自身じゃなくてもいい、家族や友人や身近な人がそういう立場に立たされたら?
映画『それでもボクはやってない』はまさにそういった視点から描かれている。来月から開始される裁判員制度、この機会にまたもう一度観ておいてもいいかなー、と思いましたです。
関連レビュー:
『お父さんはやってない』 矢田部孝司+あつ子著
『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』 守大助/阿部泰雄著
『冤罪弁護士』 今村核著
『東電OL殺人事件』 佐野眞一著(※木谷明氏が現役時代最後に関わった事件)
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一昨年公開され各映画賞を総ナメした『それでもボクはやってない』の監督・周防正行氏による、シナリオ・解説・対談を収録した本。
周防監督はこの作品をつくるにあたって4年間もリサーチを重ね、シナリオを書くにも相当な呻吟をしたそうで、自身が感じた日本の裁判制度への疑問と怒りをすべて映画に盛り込むわけにいかなかったことは、インタビューなどでも折りに触れて語っている。
映画の公開時も映画監督としてこのテーマには継続的に関わっていきたいと述べていて、この本ではとりあえず、『それでもボクはやってない』という1本の“裁判映画”で表現した範囲内で、映画の中だけに収めきれなかったディテールについて書かれている。
ぐりは映画は2年前の公開時に一度観たきりだけど、非常によく練られた無駄のない劇場映画であり、かつきちんとした社会派ドラマとしても完成していて、監督の手腕と情熱には心から敬服したものだけれど、今こうしてシナリオを読んでも、ほんとうにこれはすごいなと改めて畏れ入ってしまう。
無駄というものがいっさいない。それでいて説明不足なところもない。いうべきことはきちっというし、それでいてくどくない。ものすごくわかりやすいのに、押しつけがましさはまったくない。よくこんなシナリオが書けるなと思うと同時に、映画はやっぱりシナリオだなと思う。
この映画の撮影期間は約2ヶ月間、通常の映画の撮影よりもスケジュール的には結構余裕があったという。というのも、主要シーンは裁判所や警察署など登場人物の動きに制約のある設定が多く、技術的にはどちらかといえば「簡単」な作品だからである(いうまでもないが、俳優の動きが大きければ大きいほど技術的には難易度が上がり、撮影そのものにも時間も手間もかかる)。
周防監督はもともとそれほどフレキシブルなカメラワークや凝ったカットバックを駆使してショーアップされた映像をつくるタイプではないし、だからうっかりすると映像的には退屈になりがちなのだが、この作品は観ていて退屈する、集中力が削がれる、ということがまるでない。始まるや否やぐいぐいと引き込まれ、はっと気づけば判決のシーンになっていて、ああそういえば映画を観ていたんだっけ、と我に返るくらい。
やはりこれはひとえに、この完璧なシナリオのなせるわざだと思う。
解説は完成稿のまま撮影をしたにも関わらず、編集段階で削ったシーンに関する解説。
監督はストーリーの背景となる裁判制度のそのまた背景、検察や裁判所の舞台裏など、各パートを公平な目で観客にみてもらうためのシーンを用意していたのだが、実際に撮ってつないでみると観客の意識はどうしても主人公の被告(加瀬亮)に集中する流れになっている。そこでその流れを阻害する、その流れに必要がないと判断されたシーンはボツにすることになったという。
ここでも監督の「日本の裁判制度に対する疑問と怒り」というテーマへの情熱が溢れている。監督は法律家じゃないから裁判制度に関しては素人だけど、だからこそ「これはおかしいんじゃない?」「ヘンでしょ!」と思った素直な気持ちを、一般の観客、すなわち国民としっかりと共有したいと強く感じたのだろうと思う。
それをただそのまま表現するんじゃなくて、一旦消化して、ある程度オブラートに包んで(当り前のことだが、実際の裁判は映画よりもずっと厳しい)多面的に表現することで、観客自身の感受性に訴えようとしている。オトナやわあ。
対談は元裁判官・木谷明氏に監督が映画の中の裁判について疑問を投げかけ、木谷氏が答えるというもの。
ここでも監督、熱いです。熱い。熱すぎる。でもおもしろい。
監督はシナリオを書くにあたって木谷氏の著書『刑事裁判の心―事実認定適正化の方策』を参考にし、木谷氏に強く影響を受けた裁判官として大森光明裁判長(正名僕蔵)を設定している。映画の冒頭にも登場する「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」という法格言は、この木谷氏の現役時代のモットーでもあったという。モットーもなにも、「疑わしきは被告人の利益に」は刑事裁判の原理原則なんだけどね。
でも今の日本では「疑わしい人はとりあえずとっつかまえて、どっかにしまっちゃっといてください」ってことになっている。結局みんなよそ事なんだよね。もしあんたがその「疑わしき被告人」の立場だったら、「とりあえずとっつかまえて、どっかにしまっちゃって」でほんとに済みますかね?って話です。自分自身じゃなくてもいい、家族や友人や身近な人がそういう立場に立たされたら?
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