哲学者・野矢茂樹教授の
無料講演会「日本語は非論理的か」に行ってきた。
97年に刊行された『論理トレーニング』の著者でTVにも出演されておられるという野矢教授だが、不勉強なものでぐりは名前くらいしか聞いたことがなかったんだけど。
ちょーおもしろかったっすー。いやー。いいですねー。キャラが(笑)。男前だし(爆)。あ、お話も素晴しいんですけども。
今回のテーマは「日本語は非論理的か」。何も考えずに「日本語は非論理的」と肯定してしまいたくなるようなシンプルなテーマを、論理的見地から分析したお話。
どういう講演だったかはちょっとぐりの文章力ではうまくまとめきれないんだけど、結論をいっちゃうと
・日本語で「論理」を説くことは可能=非論理的ではない
・言語そのものを指して論理的か否かを問うのはおかしい=非論理的とはいえない
・確かに日本語の使い方には非論理的な部分もある=使う側の問題
ということになる。
つまり、「日本語は非論理的」という言い方が非論理的、ってことっすね。
ぐりは哲学や論理学を学んだ経験はまったくないんですっごいテキトーに書いちゃってますけど、論理学って言葉のルールを体系的に追究する学問で、そこに入る題材は重要じゃないんだよね。
そういう学問が何のためにあるかっていうと、言葉の持つ力を最大限に効果的に発揮させるためだったりする。
どんな受け手にも極力負担をかけずに、こちらの主張をできるだけ正しく理解してもらうためのルールが「論理」。論理的になることで言葉の力を目覚めさせる、と教授はいってました。論理的でなくても意味が通る言葉はもちろんあるけど、どんな受け手にも誤解させない言葉なら、より多くの受け手に正確に主張が伝わる。
論理的な言葉は、初心者のために登山ガイドが山に設置する道標のようなもの。道標が効果的であればあるほど、登山者は安全に楽に頂上を目指すことができる。
なるほどと思うお話がこってり満載でとっても楽しい講義だったんだけど、「非論理的な日本語」も好きなぐりとしては、「(どんな文章も)読んでわかったような気になってはいけない」とか「こちらの言葉をわかってくれない相手にたくさん出会って、わかってほしいと切実に願い、努力するべき」という、論理の精神論の方にもすごく共感しましたです。
今まで著作は一冊も読んだことがないけど、これから読んでみたいと思いまーす。
マカオ、媽閣廟にて。