落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ある隣人の死

2017年08月31日 | book
『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』 加藤直樹著

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関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る
朝鮮人犠牲者追悼文 墨田区長も取りやめ
関東大震災の朝鮮人虐殺 犠牲者遺族会が発足=韓国

明日は9月1日、関東大震災が発生した日だ。
10万人以上の死者を出した未曾有の大災害の直後から、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」「強盗をはたらいている」「婦女を強姦してまわっている」「徒党を組んで襲撃してくる」などといったデマが流れ始め、市民から寄せられた情報を懸念した警察は、住民で自警団を結成して警戒にあたるよう各地に通達を出した。1910年の日韓併合から13年。日本からの独立を求めて始まったものの日本軍に制圧された、1919年の三・一運動から4年後のことだった。
11時58分に地震が発生したその日の夕方から、すでに虐殺は始まっていたという。被害者は朝鮮人だけにとどまらず、中国人や沖縄・東北出身者などの日本人や聴覚障害者もいた。
避難者の口伝えに拡散したデマによって発生地も広がり、地震の直接的な被害がなかった地域でさえ罪もない人々が次々に殺され、惨劇は関東各地で6日間続いた。公的な調査が行われていないため、厳密な被害の規模はいまもわかっていない。司法省のまとめでは死者233名とされているが、これは民間人の加害者が逮捕された案件のみであり、調査によっては6,000人以上とされることもある。

本書はブログ「9月、東京の路上で」をもとに加筆・再構成されたノンフィクション。虐殺の目撃者や体験者の証言を、発生状況や地図や背景を加えて解説している。前述の通り、この事件はこれまで公的・体系的な調査がなく全容があまり知られていないが、この本では限られた証言数のなかでもあらゆるバリエーションをカバーしており「災害下の精神的混乱の中で市民が偶発的に引き起こした暴力事件」とまとめられがちなイメージを真っ向から否定している。
確かに、警察の通達やデマに動かされ、異常な群集心理に流されて起きてしまったという側面もそれはそれで事実だ。だがそれだけでは、軍隊の一個小隊が出動してまで大量殺戮が行われた事例や、収容所から連日朝鮮人が引き出されて処刑されていた事例中国人労働者の宿舎が一網打尽に襲撃され全員が殺害された事例などは説明がつかない。
ひとつひとつがいちいちあまりにも凄惨すぎてにわかには信じられないほどだが、この本では、なぜそんなことが起こり得たかという経緯や発生条件から丁寧に紐解いている。丁寧ではあるが読みやすい文量にまとまっていて、やさしく読み通すことができる。この手の歴史事件ノンフィクション本としてはかなりスッキリした本ではないかと思う。

ここに紹介されているのは、不幸にも命を奪われた朝鮮人のケースばかりではない。
周辺地域で起きている惨状を聞きつけ、コミュニティに住む朝鮮人をまもろうと必死にたたかった人々がいた例も書かれている。具体的に掲載された以外にも、朝鮮人をかくまったり助けたりした市民は何人もいた。事件を防ぐことはできなくても、犠牲者を悼んで遺骨を収集したり墓を建てたり自ら調査をしたり、1世紀近くを経たいまも事実を風化させないよう活動を続けている人々もいる。
彼らの多くは、加害者となった人々とかわらない庶民である。異なる部分がもしあるとすれば、彼らは朝鮮人に対し人として接した。異国の人、異文化の人、言葉のコミュニケーションが困難な人、独立運動をしている植民地の人といったような類型的な偏見はさておいて、まずニュートラルに隣人として人間として朝鮮人を遇した。だからこそ混乱の中で冷静さを失わず、起きた事実を客観的にとらえ、自ら人としてとるべき道を主体的にとることができた。そこに知的レベルや社会的ステイタスは関係なかった(逆に、すでに作家として活躍していた芥川龍之介でさえデマを信じ、いわれるままに自警団に参加したといったケースもある。ブログ「9月、東京の路上で」関連記事)。
言葉にしてみると、当たり前なようで簡単なことではないように感じるかもしれない。だが災害下ではない平時にこそ、こうした人間性を育てることはとても重要なことではないかと思う。でなければ、いつまた起こるかもしれない災害時に、どこで同じことが始まるかわからないから。
そのために、何年経っても我々はこの事件を忘れるべきではないし、風化させるべきではないと思う。

読んでいて、悲しすぎて何度もなんども涙が出た。
殺された朝鮮人の総数はいまもはっきりとわかっていないが、ということはほとんどの被害者はただ“朝鮮人(たぶん)”というだけで、名前も年齢も出身地さえもわかっていないのだ。
どこの誰でもない名も無い「殺された朝鮮人」として、多くが遺体の行方もわからないまま文字通り闇から闇へと葬り去られた。
そして彼らには殺される理由が何もなかった。純粋な暴力のためだけに、残虐極まりない殺され方をして、ごみのようにすてられた。
どんな人間にも親がある。彼らにだって親はあっただろう。家族もいたかもしれない。パートナーや子どもがあったかもしれない。だがその死も埋葬地も最後の瞬間の出来事も、彼らには知るすべさえなかった。
そんなことが、たった94年前に起こった。
それが、二度とふたたび起こらないなんて、誰にもいえないのではないだろうか。
私には、いえない。とても残念なことだとは思うけれど。

関連リンク:
「ほうせんか」ウェブサイト:多くの犠牲者を出した墨田区・四ツ木橋の現場近くに「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」を建立、毎年追悼式をひらいている。
四ツ木橋での体験記録(レイアウトが崩れて見える場合があります)

おしえてよ亀次郎

2017年08月27日 | movie
『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』

アメリカ統治下で公然と米軍の圧政に抵抗し、祖国復帰のために行動し続けた瀬長亀次郎の伝記映画。
TBSアナウンサーの佐古忠彦氏が長年の沖縄取材をベースにしたドキュメンタリー番組を、追加取材を加えて映画化。

米軍基地問題に揺れる沖縄。
ある事情で数年前からこの問題に関わっていて現地も何度か訪問してきたけれど、知れば知るだけ、この問題の複雑さと根深さにため息が出てしまう。
太平洋戦争末期、“本土の捨て石”とされ地獄のような地上戦の舞台となり、県民の4人にひとりが犠牲になった悲劇の地は、直後に開始された基地化のなかで、強引な土地接収と人権蹂躙に苦しめられ続けてきた。基地開発事業や周辺のサービス業など一定の経済効果もみられた一方で、先祖からたいせつに引き継いだ農地を奪われ、騒音や事故・テロ・犯罪や環境汚染など生活上の危機に脅かされ、苛酷な戦争体験から平和を願う人々の心の自由は完全に無視されることになった。

しかし今日、沖縄以外の場所でこの問題が語られるとき、前後左右の経緯からは切り離された政治対立や感情論ばかりが拡大されてしまいがちである。そして当事者以外には理解しにくい“地域の問題”に、どこかですりかえられてしまう。感覚としてのわかりにくさだけでなく、経済面や国際安全保障などの社会情勢に対する敏感さの壁も、やたら無駄に強調されがちな気がする。
それは何かの意図によるものなのか、それともこの問題のもつ歴史の長さによるものなのか。

この映画では、瀬長亀次郎という稀有なリーダーその人ひとりにモチーフを絞ったうえで、かつパーソナルな人情論に安易に依存することなく、彼がいったい何とどう戦い続けたのかを、戦後から本土復帰までを中心にまとめている。
マジでものすごく綺麗にまとまっています。もう無茶苦茶わかりやすい。観てて超スッキリするね。しかも見応えもがっちりあります。
何が気持ちいいって、ぜんぜん情緒的じゃない。沖縄が直面している問題はほんとうにほんとうに過酷で、伝わりやすくしようとすればするほどついつい情緒的な表現に傾きやすくなってしまう。怒りや悲しみといった感情に流されれば流されるだけ、第三者にとって、その現状に抵抗する行動の根拠が響きにくくなる。犯罪被害者の感情が、第三者に同情はされても理解はされないのと似ている。
この作品では、人々の感情も必要最低限度踏まえたうえで、ただ状況を変えるため、民主主義を前に進めるためだけに闘った亀次郎の姿勢を、本人の日記や周囲の沖縄人とアメリカ軍側と双方の記録をもとに丁寧に綴っている。説得力はMAXです。
民主主義とは何かを考えるとき、これからはこの映画のことを思い出してみようと思う。たとえばこんなとき、亀次郎さんならなんというだろう。亀次郎さんならどうするだろう、という風に。

逆に、ここに直接的には描かれなかった部分が妙に気になってくる作品でもある。
同じ日に鑑賞したドキュメンタリー『ZAN~ジュゴンが姿を見せるとき~』に登場した名護市辺野古地区の住民は、大浦湾で工事が進められている新しい滑走路の設置を「条件つきで容認」していると発言している。
ここで重要なのは、米軍基地に「反対」はしていなくても「賛成」ではない、複雑な市民感情がいったい何に基づいているかという背景ではないかと思う。メディアの表にたつのは主に反対派の人々の声だが、なぜかそれを否定する材料に使われがちな、“基地経済”とそれに連なる「賛成派もいるはず」という憶測に支えられた、もっともらしい“逆”側の声。
ところが、はっきりとした賛成派、容認派の人々の存在は実際にはなかなか目に見えない。目に見えないのに「当事者以外の人間にとってもっとも斟酌すべき重要な意見」として認識され、これ以上第三者が介入・追求すべきではないのではないかという“思考停止”装置の役割を果たしてしまっている。

経済的・国際安保の面のみをトリミングし「基地がないとこまる」という細切れの声によって基地賛成派の存在をつくりだし、あるいは補強し、コミュニティを引き裂いているのはいったい誰なのか。
ほんとうは平和がいちばん、基地なんてないほうがいい、でも基地がないと(経済的に)不安だから反対できない、まわりの人の気持ちを考えると簡単に反対とはいえない。ひとくちに「反対ではない」とまとめようとしても、そこにはそれぞれにさまざまな事情がある。
ひとつだけいえるのは、沖縄は沖縄の人たちのものであって、米軍のものでもなければアメリカのものでもなく、日本本土の持ち物でもないということだけははっきりしている。
であるなら、答えはひとつしかないのだ。それを亀次郎は訴え続けた。
そのたったひとつの答えを、巧みに複雑化する力がある。その力をこそ明確に見定めなければ、真の民主主義を実現することなど到底できはしない。

亀次郎は不屈の沖縄を愛した。だが米軍基地問題は沖縄の問題ではない。
戦争で大きく傷ついた日本経済は朝鮮特需で息を吹き返し、経済大国への道を歩き始めた。その朝鮮戦争を米軍基地という犠牲によって支えたのが沖縄なのだ。その犠牲は休戦後64年を経た今も続いている。
このことを、日本の多くの人々が知らないか、知っていても知らないふりをしている。
いくらなんでも、あんまりではないですか。
そこに、沖縄への差別がある。ないなんて、いえないのではないだろうか。

沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&A Book【一括ダウンロード】 (沖縄県)

関連記事:
公開講座「東京で考える沖縄・辺野古」 第5回 なぜレイプが繰り返されるのか?
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 矢部宏治著
『怒り』
『ハブと拳骨』
『ひめゆり』



丘の上の赤い屋根の下

2017年08月23日 | movie
『小さいおうち』

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昭和10年、18歳で上京し山の手の中流家庭で女中として働きはじめたタキ(黒木華)は、主人の平井(片岡孝太郎)と妻・時子(松たか子)、長男・恭一(秋山聡・市川福太郎)との平穏な生活のなかで、自分の家庭をもつことより一生この家族に仕えて暮らすことを夢みるようになるのだが、中国との戦争が長引き太平洋戦争が勃発すると、平井家にも時代の波が押し寄せる。
中島京子の直木賞受賞作品を山田洋次が映画化。

戦時下の庶民の生活のなかのささやかな幸福を描いたアニメ作品『この世界の片隅に』が大ヒットしておりますが。
この作品もモチーフはほぼ同じですね。舞台が地方都市ではなく首都東京の山の手、登場人物たちが庶民というよりプチブルなので多少の立場のズレはあるけど、選挙権もなく政治的な意見をもつことも許されなかった時代の家庭人としての女性という意味ではざっくり近いとはいえる。
彼女たちにとって、見たこともない植民地や前線で起きていた現実は、ろくに触れることもできなかった新聞やラジオのそのまた向こうの遠い出来事であり、それよりも、街の賑わいや日々の食卓や密かな恋模様といったごくなんでもない日常の彩りの方がずっとずっとたいせつで、それが実際にいったいどんな犠牲を伴っていたかなど想像の端にものぼることなどなかっただろう。能天気だろうが現実逃避だろうが、それが彼女たちにとって目に見えて手に取れる方の“現実”だった。

もちろん、戦時中でも事実を知る人はいたし、終戦後に知って考えが変わった人もいただろう。だがこの映画を観ていると、どれほど残酷な事実であれ、受けとめ方なんか人それぞれなのかもしれないという当たり前のことに思い至る。その一点に気づいた瞬間の薄ら寒さと、映画に描かれた時子たちの優雅で文化的な生活描写のギャップがまた恐ろしい。

物語は老年のタキ(倍賞千恵子)が、大甥の健史(妻夫木聡)の勧めで書いた自叙伝によって、青春時代を回想する形で進行する。
ふたりの会話の端々に世代間の戦争観の違いが触れられるのだが、映画の中にはそのどちらが“事実”として有効であるかといった明確なジャッジはない。もちろん実際にはどちらも時代の一側面として事実に違いないのだが、おそらくは、あえてそうした政治的視点を排除し、あくまでもタキや平井家の人々の個人的な物語に表現を集約しようと腐心した形跡があるのが、観ていて妙にひっかかってしょうがなかった。
政治的視点にとどまらず、タキの時子への感情や、時子と平井の部下・板倉(吉岡秀隆)との間の生々しい愛欲など、そこにあって然るべき人間のややこしい情念さえも誤魔化されているように見えて、観ていて、作品本来のテーマがどの辺りなのかをもうひとつつかみかねてしまった。
観た通り・観える通りなのだとして、昭和初期のプチブルの可愛いおうちの素敵なままごとごっこをわざわざこんな豪華キャストで力一杯つくりたい意味が、ちょっと理解できなかった。申し訳ないけど。

とはいえ時代は時代なので、どんだけ能天気だろうが平井家にもタキにも過酷な敗戦による不幸は等しく襲ってくる。
そんな不幸のなかでもそれぞれにまもりたい幸せがあったということがいいたいところまではわかったんだけど、そこに到る世界観があまりにもファンタジックすぎるのは大丈夫なのか?と不安になってしまう。きちんとしたいい映画に観えるだけに。
きっと観て腹をたてた人もいただろうね。個人的には腹がたつというほどのこともないけど、ちょこちょこイライラはしたかなあ。
原作と色々と違う部分があるとのことなので、機会があったら原作も読んでみようと思います。

観ていて聞き覚えのある地名が突然出てきて驚き。どうも映画の舞台が近所だったみたいです(原作とは異なる)。
確かに山の手は山の手だし、戦前はいわゆる洋風のお屋敷街もあったというし、戦争末期には空襲で丸焼けにもなった地域だけど、まあ今はなんの面影もカケラもなんにもないです。なにしろきれいさっぱり丸焼けですからね。昔々のたわいもない思い出話のそのまた単なる背景。
それが戦争。それに尽きます。はい。



不在の光影

2017年08月22日 | diary
吉田亮人写真展『The Absence of Two』

宮崎県生まれの写真家は、すぐ近所に住んでいた祖母にとっての初孫だった。
その祖母の家に生まれ育ち、写真家以上のおばあちゃんっ子で、小さいうちから祖父母の部屋で起居した10歳下の従弟・大輝くんは、祖父が亡くなった後、ひとりになった祖母のそばで衰えていく彼女の世話をして暮らした。
まさに一心同体のその姿を、従兄は写真家として記録した。80歳を超えた祖母がいつかこの世からいなくなる、遠くない未来まで続けるつもりだったという。雑誌で発表された作品は連載やシリーズ化も決まっていたが、それは突然、大輝くんの失踪で中断された。


撮影しはじめたころのふたり。


食材の買い出し。


最後に撮影されたふたり。

仲の良い家族として親しく接した写真家がとらえた祖母と従弟の表情はあたたかく愛に満ち、平和そのものであると同時に、画面には写らない、目に見えないしがらみの深さも感じさせる。
なぜなら、そこに写っている世界が明らかな袋小路だからだ。
孫として写真家と従弟を愛し慈しんだ老女と、その愛に埋没した人生を生きる青年との関係の先に待っているのは何か。自然の摂理として、人は誰でもいつか死ぬ。成りゆき通りであれば老女がまずその時を迎えるはずである。そしてふたりの関係は終わる。青年の人生にも、彼女との生活によって積み重なった何某かは残るだろう。だが何もかもを許しうけいれる祖母との関係によって、若者が若者であるがゆえに体験する葛藤は、失われたり損なわれたりすることはなくても、あるべき距離より確実に遠くなる。
画面の中で穏やかに微笑みあうふたりが幸せそうであればあるほど、そのふたりの未来の不透明感がうっすらとこわくなる。不思議な家族写真。

「ばあちゃん、いつもありがとう。元気でいてね」という言葉だけを残して姿を消した大輝くんは、約1年後、山林の中で遺体で発見された。自死だった。
遺書はなく、いつ、どうして彼がそんな最期を選んだのか、誰にもほんとうのことはわからない。

そのまた1年後に、祖母も老衰で亡くなった。

23歳の従弟と祖母を亡くした写真家のもとには、大量の作品が遺された。
ギャラリートークで、写真家を続けるかどうかにすら苦しんだと語った彼に、残酷を承知でひとこと尋ねてみた。

祖母が亡くなるまで続ける予定だったというこの記録のその先を、あなたは大輝くんと話したことはあるのかと。
遠くない未来、孫を残して先に逝くであろう祖母の死のあとの己の人生について、大輝くん本人はどうとらえていたのか、あなたは知っていますかと。

もちろん、ふつうの家族ならそんな話はしないだろう。写真家自身の答えもNOだった。
病気や怪我で死期を互いに覚悟するような状況であるならいざ知らず、ごく一般的な家族なら、日常会話としてそれほど深刻な話はまずしない。する機会もないだろうし、あえて避けることもあるだろう。
だが一般論として、若い世代にとって、どんな仕事をしてどこで暮らしてどんな人と出会ってという自分自身の将来像は、日々の生活を支える大きな原動力ではないだろうか。
その将来に、いま、すぐ隣にいて人生のすべてを捧げている人の姿がありえないことに気づかないふりをして生きていくとしたら、それはどんな感覚なのだろう。

たいせつな存在との別れの連続が、知らぬ間に死生観を変えていく。
どんなに親しくても相手のことはほとんど理解していなかったことに気づく。無情な別離のあとに残るどうしようもない虚無感。
心からたいせつに思いながらも知らなかった・あるいはわかろうとしなかったという事実と、生きている限り一生向かいあい続けなくてはならない。
その暗闇が埋まることは二度とない。
なぜなら相手はもうそこにいないから。かつていたという事実以外、わかることはもう何もない。どんなにわかってあげたくても、わかりたくても手は届かない。話しかけることもできない。声を聞くこともできない。
やがてその暗闇が、生きている間に共有した現実以上の「その人」になっていく。

大輝くんにとっていずれ訪れるとわかっていたその「暗闇」は、どんな姿をしていたのだろうか。

少なくとも写真家は、愛する家族との間のその暗闇を作品として世に送り出した。
彼にとっては、このできごとと作品を乗りこえていくことが、これからの写真家人生の大きな課題になっていくのだろうと思う。
あるいは、このできごとと作品の延長とはまったく別の写真家人生を選ぶのかもしれない。
だがこのできごとと作品が、よくもわるくも、彼を作家として別の世界に連れてきたことだけは間違いないと思う。

作家ウェブサイト
祖母と生き、23歳で死を選んだ孫。二人を撮った写真家は思う

落とすはずのない涙

2017年08月14日 | movie
『海辺の生と死』

太平洋戦争末期の奄美・カゲロウ島。
小学校教員のトエ(満島ひかり)は父(津嘉山正種)の蔵書を借りたいと訪ねてきた将校・朔中尉(永山絢斗)に心惹かれるが、朔は資材も尽きた海軍が開発した新たな特攻の任務を待つ身だった。
それはベニヤ製のモーターボート・震洋で敵艦に体当たりするという捨て身の作戦だったが・・・。
震洋の搭乗員だった作家・島尾敏雄の小説『島の果て』と妻・島尾ミホの『海辺の生と死』を原作に映画化。

戦争映画なんだけど戦争のシーンが(ほぼ)まったくないという、珍しい日本映画。
セリフがとても少なく、全編に奄美の民謡がふんだんに流れる、一種のミュージカル映画ですね。これは。
時代背景は終戦直前、舞台はあの激戦地沖縄に近い離島、主要登場人物は軍人、だけど戦闘シーンはなくて歌や音楽や踊りがたくさんでてくるという、意外性満載の作品です。

ただしやはりそこは戦時中の物語なので緊張感だけは最高です。
誰も思っていることを口に出せない。いいたいことがあってもいえない。なにもかも常に我慢に我慢の連続。
静かでのどかで緑がいっぱいで、それこそトエがいうように戦争なんてどこで起きているのか、毛ほどの現実感もない風景のもと、人々は戦時下の目に見えない緊迫感に満ち満ちた空気のなかで息を殺して暮らしている。声に出さずとも常に死は隣にいて、いつその手が背中に触れるかを待つばかりの生活。
その世界観がものすごく独特。

原作者が夫婦という時点で完全にネタバレなんだけど、実をいうとたまたま空いた時間に通りかかった映画館で偶然観たので、そういう背景も事前情報もいっさい知らずに鑑賞してしまったのが不勉強でちょっと恥ずかしい。
だから勝手にひとりでめちゃめちゃ緊張して劇場に座ってたんだけど、途中大雨のシーンでうっすら読めるよね。展開が。読めてくるとまたますます緊張する。もうこんな戦争間違いなく負ける、負けるんなら早く終わればいいのに。早く、早く、出撃命令がでない前に、一日でも早く、という朔中尉の気分にめちゃめちゃ共感する。
大学出というだけで将校になったという、単に勉強が好きなだけのふつうの若者のクールな感覚だから、共感するのも簡単です。

もともとはアイドル・ボーカリストの満島ひかりの民謡がたっぷり聴けるのが楽しい。
しかし彼女も永山絢斗もプロポーションがスゴイ。頭の小ささ、手脚の長さが異常です。ヤバい。むしろちょっと不自然なくらい。あと井之脇海がおっきくなってて驚き。
原作も機会があれば読んでみたいです。



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