『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』 加藤直樹著
<iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&t=htsmknm-22&m=amazon&o=9&p=8&l=as1&IS1=1&detail=1&asins=490723905X&linkId=a9cc6a69270589e1e3cd28153a7f9245&bc1=ffffff<1=_top&fc1=333333&lc1=0066c0&bg1=ffffff&f=ifr">
</iframe>
関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る
朝鮮人犠牲者追悼文 墨田区長も取りやめ
関東大震災の朝鮮人虐殺 犠牲者遺族会が発足=韓国
明日は9月1日、関東大震災が発生した日だ。
10万人以上の死者を出した未曾有の大災害の直後から、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」「強盗をはたらいている」「婦女を強姦してまわっている」「徒党を組んで襲撃してくる」などといったデマが流れ始め、市民から寄せられた情報を懸念した警察は、住民で自警団を結成して警戒にあたるよう各地に通達を出した。1910年の日韓併合から13年。日本からの独立を求めて始まったものの日本軍に制圧された、1919年の三・一運動から4年後のことだった。
11時58分に地震が発生したその日の夕方から、すでに虐殺は始まっていたという。被害者は朝鮮人だけにとどまらず、中国人や沖縄・東北出身者などの日本人や聴覚障害者もいた。
避難者の口伝えに拡散したデマによって発生地も広がり、地震の直接的な被害がなかった地域でさえ罪もない人々が次々に殺され、惨劇は関東各地で6日間続いた。公的な調査が行われていないため、厳密な被害の規模はいまもわかっていない。司法省のまとめでは死者233名とされているが、これは民間人の加害者が逮捕された案件のみであり、調査によっては6,000人以上とされることもある。
本書はブログ「9月、東京の路上で」をもとに加筆・再構成されたノンフィクション。虐殺の目撃者や体験者の証言を、発生状況や地図や背景を加えて解説している。前述の通り、この事件はこれまで公的・体系的な調査がなく全容があまり知られていないが、この本では限られた証言数のなかでもあらゆるバリエーションをカバーしており「災害下の精神的混乱の中で市民が偶発的に引き起こした暴力事件」とまとめられがちなイメージを真っ向から否定している。
確かに、警察の通達やデマに動かされ、異常な群集心理に流されて起きてしまったという側面もそれはそれで事実だ。だがそれだけでは、軍隊の一個小隊が出動してまで大量殺戮が行われた事例や、収容所から連日朝鮮人が引き出されて処刑されていた事例、中国人労働者の宿舎が一網打尽に襲撃され全員が殺害された事例などは説明がつかない。
ひとつひとつがいちいちあまりにも凄惨すぎてにわかには信じられないほどだが、この本では、なぜそんなことが起こり得たかという経緯や発生条件から丁寧に紐解いている。丁寧ではあるが読みやすい文量にまとまっていて、やさしく読み通すことができる。この手の歴史事件ノンフィクション本としてはかなりスッキリした本ではないかと思う。
ここに紹介されているのは、不幸にも命を奪われた朝鮮人のケースばかりではない。
周辺地域で起きている惨状を聞きつけ、コミュニティに住む朝鮮人をまもろうと必死にたたかった人々がいた例も書かれている。具体的に掲載された以外にも、朝鮮人をかくまったり助けたりした市民は何人もいた。事件を防ぐことはできなくても、犠牲者を悼んで遺骨を収集したり墓を建てたり自ら調査をしたり、1世紀近くを経たいまも事実を風化させないよう活動を続けている人々もいる。
彼らの多くは、加害者となった人々とかわらない庶民である。異なる部分がもしあるとすれば、彼らは朝鮮人に対し人として接した。異国の人、異文化の人、言葉のコミュニケーションが困難な人、独立運動をしている植民地の人といったような類型的な偏見はさておいて、まずニュートラルに隣人として人間として朝鮮人を遇した。だからこそ混乱の中で冷静さを失わず、起きた事実を客観的にとらえ、自ら人としてとるべき道を主体的にとることができた。そこに知的レベルや社会的ステイタスは関係なかった(逆に、すでに作家として活躍していた芥川龍之介でさえデマを信じ、いわれるままに自警団に参加したといったケースもある。ブログ「9月、東京の路上で」関連記事)。
言葉にしてみると、当たり前なようで簡単なことではないように感じるかもしれない。だが災害下ではない平時にこそ、こうした人間性を育てることはとても重要なことではないかと思う。でなければ、いつまた起こるかもしれない災害時に、どこで同じことが始まるかわからないから。
そのために、何年経っても我々はこの事件を忘れるべきではないし、風化させるべきではないと思う。
読んでいて、悲しすぎて何度もなんども涙が出た。
殺された朝鮮人の総数はいまもはっきりとわかっていないが、ということはほとんどの被害者はただ“朝鮮人(たぶん)”というだけで、名前も年齢も出身地さえもわかっていないのだ。
どこの誰でもない名も無い「殺された朝鮮人」として、多くが遺体の行方もわからないまま文字通り闇から闇へと葬り去られた。
そして彼らには殺される理由が何もなかった。純粋な暴力のためだけに、残虐極まりない殺され方をして、ごみのようにすてられた。
どんな人間にも親がある。彼らにだって親はあっただろう。家族もいたかもしれない。パートナーや子どもがあったかもしれない。だがその死も埋葬地も最後の瞬間の出来事も、彼らには知るすべさえなかった。
そんなことが、たった94年前に起こった。
それが、二度とふたたび起こらないなんて、誰にもいえないのではないだろうか。
私には、いえない。とても残念なことだとは思うけれど。
関連リンク:
「ほうせんか」ウェブサイト:多くの犠牲者を出した墨田区・四ツ木橋の現場近くに「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」を建立、毎年追悼式をひらいている。
四ツ木橋での体験記録(レイアウトが崩れて見える場合があります)
<iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&t=htsmknm-22&m=amazon&o=9&p=8&l=as1&IS1=1&detail=1&asins=490723905X&linkId=a9cc6a69270589e1e3cd28153a7f9245&bc1=ffffff<1=_top&fc1=333333&lc1=0066c0&bg1=ffffff&f=ifr">
</iframe>
関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る
朝鮮人犠牲者追悼文 墨田区長も取りやめ
関東大震災の朝鮮人虐殺 犠牲者遺族会が発足=韓国
明日は9月1日、関東大震災が発生した日だ。
10万人以上の死者を出した未曾有の大災害の直後から、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」「強盗をはたらいている」「婦女を強姦してまわっている」「徒党を組んで襲撃してくる」などといったデマが流れ始め、市民から寄せられた情報を懸念した警察は、住民で自警団を結成して警戒にあたるよう各地に通達を出した。1910年の日韓併合から13年。日本からの独立を求めて始まったものの日本軍に制圧された、1919年の三・一運動から4年後のことだった。
11時58分に地震が発生したその日の夕方から、すでに虐殺は始まっていたという。被害者は朝鮮人だけにとどまらず、中国人や沖縄・東北出身者などの日本人や聴覚障害者もいた。
避難者の口伝えに拡散したデマによって発生地も広がり、地震の直接的な被害がなかった地域でさえ罪もない人々が次々に殺され、惨劇は関東各地で6日間続いた。公的な調査が行われていないため、厳密な被害の規模はいまもわかっていない。司法省のまとめでは死者233名とされているが、これは民間人の加害者が逮捕された案件のみであり、調査によっては6,000人以上とされることもある。
本書はブログ「9月、東京の路上で」をもとに加筆・再構成されたノンフィクション。虐殺の目撃者や体験者の証言を、発生状況や地図や背景を加えて解説している。前述の通り、この事件はこれまで公的・体系的な調査がなく全容があまり知られていないが、この本では限られた証言数のなかでもあらゆるバリエーションをカバーしており「災害下の精神的混乱の中で市民が偶発的に引き起こした暴力事件」とまとめられがちなイメージを真っ向から否定している。
確かに、警察の通達やデマに動かされ、異常な群集心理に流されて起きてしまったという側面もそれはそれで事実だ。だがそれだけでは、軍隊の一個小隊が出動してまで大量殺戮が行われた事例や、収容所から連日朝鮮人が引き出されて処刑されていた事例、中国人労働者の宿舎が一網打尽に襲撃され全員が殺害された事例などは説明がつかない。
ひとつひとつがいちいちあまりにも凄惨すぎてにわかには信じられないほどだが、この本では、なぜそんなことが起こり得たかという経緯や発生条件から丁寧に紐解いている。丁寧ではあるが読みやすい文量にまとまっていて、やさしく読み通すことができる。この手の歴史事件ノンフィクション本としてはかなりスッキリした本ではないかと思う。
ここに紹介されているのは、不幸にも命を奪われた朝鮮人のケースばかりではない。
周辺地域で起きている惨状を聞きつけ、コミュニティに住む朝鮮人をまもろうと必死にたたかった人々がいた例も書かれている。具体的に掲載された以外にも、朝鮮人をかくまったり助けたりした市民は何人もいた。事件を防ぐことはできなくても、犠牲者を悼んで遺骨を収集したり墓を建てたり自ら調査をしたり、1世紀近くを経たいまも事実を風化させないよう活動を続けている人々もいる。
彼らの多くは、加害者となった人々とかわらない庶民である。異なる部分がもしあるとすれば、彼らは朝鮮人に対し人として接した。異国の人、異文化の人、言葉のコミュニケーションが困難な人、独立運動をしている植民地の人といったような類型的な偏見はさておいて、まずニュートラルに隣人として人間として朝鮮人を遇した。だからこそ混乱の中で冷静さを失わず、起きた事実を客観的にとらえ、自ら人としてとるべき道を主体的にとることができた。そこに知的レベルや社会的ステイタスは関係なかった(逆に、すでに作家として活躍していた芥川龍之介でさえデマを信じ、いわれるままに自警団に参加したといったケースもある。ブログ「9月、東京の路上で」関連記事)。
言葉にしてみると、当たり前なようで簡単なことではないように感じるかもしれない。だが災害下ではない平時にこそ、こうした人間性を育てることはとても重要なことではないかと思う。でなければ、いつまた起こるかもしれない災害時に、どこで同じことが始まるかわからないから。
そのために、何年経っても我々はこの事件を忘れるべきではないし、風化させるべきではないと思う。
読んでいて、悲しすぎて何度もなんども涙が出た。
殺された朝鮮人の総数はいまもはっきりとわかっていないが、ということはほとんどの被害者はただ“朝鮮人(たぶん)”というだけで、名前も年齢も出身地さえもわかっていないのだ。
どこの誰でもない名も無い「殺された朝鮮人」として、多くが遺体の行方もわからないまま文字通り闇から闇へと葬り去られた。
そして彼らには殺される理由が何もなかった。純粋な暴力のためだけに、残虐極まりない殺され方をして、ごみのようにすてられた。
どんな人間にも親がある。彼らにだって親はあっただろう。家族もいたかもしれない。パートナーや子どもがあったかもしれない。だがその死も埋葬地も最後の瞬間の出来事も、彼らには知るすべさえなかった。
そんなことが、たった94年前に起こった。
それが、二度とふたたび起こらないなんて、誰にもいえないのではないだろうか。
私には、いえない。とても残念なことだとは思うけれど。
関連リンク:
「ほうせんか」ウェブサイト:多くの犠牲者を出した墨田区・四ツ木橋の現場近くに「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」を建立、毎年追悼式をひらいている。
四ツ木橋での体験記録(レイアウトが崩れて見える場合があります)