『再会の街で』
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歯科医のアラン(ドン・チードル)はある日偶然NYの街角で大学時代のルームメイト・チャーリー(アダム・サンドラー)と再会するが、9.11テロで妻子も飼犬も失ったチャーリーは心を閉ざし自分の殻に籠り、音楽とTVゲームとキッチンのリフォームに日々の生活を費やしていた。アランはそんな彼を助けようと奔走するのだが・・・。
すごくいい映画でした。感動したよ。
アランは初め友だちの悲運に同情して救いの手をさしのべようとするんだけど、救われたかったのはほんとうは自分の方だということにだんだん気づいていく。仕事は順調だし美人の奥さんもかわいい娘もいる。すてきなクリニックにリッチなコンドミニアム、きれいなクルマにオシャレなスーツ、どこからみても“勝ち組”の彼だけど、何かが息苦しい。
そこへ現れたのが卒業以来音信不通のチャーリーだった。
チャーリーといれば“勝ち組”のふりなんかしなくていい。彼といれば、まだ“勝ち組”でも何者でもなかった、“ただのアラン”に戻れる。
人は自分が何者なのか知りたくて、あるいは何者かになりたくて成長のために努力するけれど、成長には常に犠牲が伴う。大人になるには純粋さや正直さは邪魔になり、妥協や欺瞞も必要になる。経験を積めば物事を先読みしていいたいこともいえなくなってくる。そして人間はつまらなくなっていく。人生がつまらなくなっていく。気づいたときには「こんなハズじゃなかったのに」とため息をつくことしかできなくなっている。
イタイわあ。
一方でチャーリーは決して戻ってこない家族にとらわれたまま立ち止まっている。
決して家族の話をしようとしないチャーリー。彼がアランに心を開いたのは、アランが死んだ妻子のことをまったく知らないからなのだが、かといって彼女たちのことを忘れたいわけではない。思いだす必要もない、彼は9.11以来4年間というものずっと、彼女たちとの愛に支配されたまま暮していたのだ。
その支配から逃れる術を持たなかったチャーリーだが、むしろ彼は記憶の中から彼女たちが遠ざかっていくのがいちばん怖かったのではないだろうか。人は忘れる生き物だから、誰かと思い出をわけあってしまったら、二度と会えない妻子の記憶を浪費するような気がしたのではないだろうか。
自分を癒すことよりも、これから増えていくことのない思い出を守ることの方が、彼にとっては大切だったのだろう。
そんな悲しみの形もある。
そんなチャーリーの心理に寄り添うかのように、妻子の回想シーンは一瞬しか画面に出てこない。写真もはっきりとは映らない。
この映画は9.11テロやその後のアメリカのアフガン侵攻、イラク戦争とはまったくいっさい関係がない。映像でも戦争関連のニュースが一瞬映るだけで、9.11そのものの映像はない。台詞にもほとんど出てこない。
だから一見するとべつに9.11じゃなくてもよかったんじゃないかという感じもする。単なる飛行機事故でもよかったんじゃないかと。
でも観ているうちに、やはりこの物語は9.11であるべきだったんだということがわかってくる。
犠牲になった人たちや遺族には、あのテロの犯人が誰であろうと報復が行われようと、何の関係もない。死んだ人は二度と帰ってはこない。一度失われた命は戻らないし、起こってしまった悲劇は何をどうしようとなかったことにはできないのだ。
だからそこに立ち止まることよりも、前をみて、手の届く相手とふれあい、語りあうことの方がずっと大切なのだ。
これはこれでとても控えめだけど、そのぶんだけ、すごくきちっとした反戦映画にもなってるんじゃないかと、ぐりは思いました。
ところでキッチンのリフォームといえば、最近観た『ある愛の風景』でも重要な要素として出て来たし、『硫黄島からの手紙』でも栗林中将(渡辺謙)の手紙に出て来た(これは実際の手紙にも書かれている)。
映画的に妻子と引き裂かれる男の何かを象徴するモチーフなのだろうか。
確かに、用をなさない形になった台所の風景には、一種独特の物悲しさはある。
“Love, Reign O'er Me” THE WHO
Only love
Can make it rain
The way the beach is kissed by the sea
Only love
Can make it rain
Like the sweat of lovers
Laying in the fields.
Love, Reign o'er me
Love, Reign o'er me, rain on me
Only love
Can bring the rain
That makes you yearn to the sky
Only love
Can bring the rain
That falls like tears from on high
Love Reign O'er me
On the dry and dusty road
The nights we spend apart alone
I need to get back home to cool cool rain
I can't sleep and I lay and I think
The night is hot and black as ink
Oh God, I need a drink of cool cool rain
愛だけが雨を降らせる
海が浜辺にキスするように
愛だけが雨を降らせる
大地に横たわる恋人たちの汗のように
愛よ 私を支配せよ
愛よ 私を支配せよ
私の上に降り注げ
愛だけが雨を招く
あなたは空に憧れ
愛だけが雨を招く
それは天からの涙のように滴る
愛よ 私を支配せよ
乾き汚れた路上
離ればなれの夜
冷たい雨に私は帰る
眠れずに思う
熱く黒い夜
神よ 冷たい雨を飲みたいのに
(ぐり訳)
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歯科医のアラン(ドン・チードル)はある日偶然NYの街角で大学時代のルームメイト・チャーリー(アダム・サンドラー)と再会するが、9.11テロで妻子も飼犬も失ったチャーリーは心を閉ざし自分の殻に籠り、音楽とTVゲームとキッチンのリフォームに日々の生活を費やしていた。アランはそんな彼を助けようと奔走するのだが・・・。
すごくいい映画でした。感動したよ。
アランは初め友だちの悲運に同情して救いの手をさしのべようとするんだけど、救われたかったのはほんとうは自分の方だということにだんだん気づいていく。仕事は順調だし美人の奥さんもかわいい娘もいる。すてきなクリニックにリッチなコンドミニアム、きれいなクルマにオシャレなスーツ、どこからみても“勝ち組”の彼だけど、何かが息苦しい。
そこへ現れたのが卒業以来音信不通のチャーリーだった。
チャーリーといれば“勝ち組”のふりなんかしなくていい。彼といれば、まだ“勝ち組”でも何者でもなかった、“ただのアラン”に戻れる。
人は自分が何者なのか知りたくて、あるいは何者かになりたくて成長のために努力するけれど、成長には常に犠牲が伴う。大人になるには純粋さや正直さは邪魔になり、妥協や欺瞞も必要になる。経験を積めば物事を先読みしていいたいこともいえなくなってくる。そして人間はつまらなくなっていく。人生がつまらなくなっていく。気づいたときには「こんなハズじゃなかったのに」とため息をつくことしかできなくなっている。
イタイわあ。
一方でチャーリーは決して戻ってこない家族にとらわれたまま立ち止まっている。
決して家族の話をしようとしないチャーリー。彼がアランに心を開いたのは、アランが死んだ妻子のことをまったく知らないからなのだが、かといって彼女たちのことを忘れたいわけではない。思いだす必要もない、彼は9.11以来4年間というものずっと、彼女たちとの愛に支配されたまま暮していたのだ。
その支配から逃れる術を持たなかったチャーリーだが、むしろ彼は記憶の中から彼女たちが遠ざかっていくのがいちばん怖かったのではないだろうか。人は忘れる生き物だから、誰かと思い出をわけあってしまったら、二度と会えない妻子の記憶を浪費するような気がしたのではないだろうか。
自分を癒すことよりも、これから増えていくことのない思い出を守ることの方が、彼にとっては大切だったのだろう。
そんな悲しみの形もある。
そんなチャーリーの心理に寄り添うかのように、妻子の回想シーンは一瞬しか画面に出てこない。写真もはっきりとは映らない。
この映画は9.11テロやその後のアメリカのアフガン侵攻、イラク戦争とはまったくいっさい関係がない。映像でも戦争関連のニュースが一瞬映るだけで、9.11そのものの映像はない。台詞にもほとんど出てこない。
だから一見するとべつに9.11じゃなくてもよかったんじゃないかという感じもする。単なる飛行機事故でもよかったんじゃないかと。
でも観ているうちに、やはりこの物語は9.11であるべきだったんだということがわかってくる。
犠牲になった人たちや遺族には、あのテロの犯人が誰であろうと報復が行われようと、何の関係もない。死んだ人は二度と帰ってはこない。一度失われた命は戻らないし、起こってしまった悲劇は何をどうしようとなかったことにはできないのだ。
だからそこに立ち止まることよりも、前をみて、手の届く相手とふれあい、語りあうことの方がずっと大切なのだ。
これはこれでとても控えめだけど、そのぶんだけ、すごくきちっとした反戦映画にもなってるんじゃないかと、ぐりは思いました。
ところでキッチンのリフォームといえば、最近観た『ある愛の風景』でも重要な要素として出て来たし、『硫黄島からの手紙』でも栗林中将(渡辺謙)の手紙に出て来た(これは実際の手紙にも書かれている)。
映画的に妻子と引き裂かれる男の何かを象徴するモチーフなのだろうか。
確かに、用をなさない形になった台所の風景には、一種独特の物悲しさはある。
“Love, Reign O'er Me” THE WHO
Only love
Can make it rain
The way the beach is kissed by the sea
Only love
Can make it rain
Like the sweat of lovers
Laying in the fields.
Love, Reign o'er me
Love, Reign o'er me, rain on me
Only love
Can bring the rain
That makes you yearn to the sky
Only love
Can bring the rain
That falls like tears from on high
Love Reign O'er me
On the dry and dusty road
The nights we spend apart alone
I need to get back home to cool cool rain
I can't sleep and I lay and I think
The night is hot and black as ink
Oh God, I need a drink of cool cool rain
愛だけが雨を降らせる
海が浜辺にキスするように
愛だけが雨を降らせる
大地に横たわる恋人たちの汗のように
愛よ 私を支配せよ
愛よ 私を支配せよ
私の上に降り注げ
愛だけが雨を招く
あなたは空に憧れ
愛だけが雨を招く
それは天からの涙のように滴る
愛よ 私を支配せよ
乾き汚れた路上
離ればなれの夜
冷たい雨に私は帰る
眠れずに思う
熱く黒い夜
神よ 冷たい雨を飲みたいのに
(ぐり訳)