落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ヒマラヤ杉に降る雪

2002年03月22日 | movie
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第二次大戦直後に実際にあった裁判を元にしたベストセラー小説『殺人容疑』の映画化。作者はこの裁判の舞台になったワシントン州の小島に住んでこの本を執筆したそうで、綿密な取材による自然なリアリズムと奥行きのある考察と地元への静かな愛情、葛藤、哀惜が物語全体に溢れています。
物語が裁判を中心に展開しているのに、全体のトーンが非常に情緒的、文学的なのはそのためです。
ストーリーそのものはそれほど目新しくはありません。変わった事も奇を衒ったことも全くしていません。しかし、被告の妻であるヒロインと地元ジャーナリストとの報われなかった悲恋が裁判の進行と表裏をなしていて、これが日本人差別、戦争と云う悲劇としっかりと織りあい、揺るぐことのない重厚なストーリー構成になっています。
そしてそれを十全に表現して余りある映像と音楽の美しさも非の打ちどころがありません。特に、記録的な大雪のなかに閉じ込められたように行われる裁判と、回想に登場する森や農園や海岸での緑豊かな思い出のシーン、戦争が始まってからの日系人迫害シーンの乾いてひび割れたような画面の質感の対比は見事です。全編くまなくフラッシュバックが多用されていますが、この対比のお蔭で時系列が混乱しないように工夫されています。
また、スタッフが後に語っているように、アメリカがこれまで向き合って来なかった「第二次大戦中の日系移民迫害」と云う歴史的問題にスポットを当てたと云う勇気と気概も、作品を通じてひしひしと伝わって来ます。作中、日系移民を収容所に送るシーンに、舞台となった島の日系人がエキストラで出演しているのですが、当時実際に収容所生活を体験された方も中にはおられたそうです。
裁判映画でありながら歴史や戦争と云った多くのテーマを内包した文学的な恋愛映画、と云う物語の果てしない厚みの勝利と云えましょう。

独立少年合唱団

2002年03月18日 | movie
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なるほど納得の作品でした。こりゃ凄いです。
山の中の全寮制男子中学校、それもミッション系、っつーのが往年のギムナジウム漫画をホーフツとさせますが、作品全体の世界観はアレをそのまま踏襲してますね。巨匠萩尾望都先生が『トーマの心臓』(だったよな)の中で「ここはひとつぶの水雫に映った小宇宙」と云うような比喩をしていましたが、もうモロそんな感じ。
性別も年齢も環境も価値観も、すべてが社会と穏やかに隔絶され閉鎖された、一種の理想郷のなかでたかまっていく思春期特有の「死のパワー」の煌めき。永遠に続くかのようでほんの一瞬で過ぎて行ってしまう少年期の、ずっしりとのしかかるような、べっとりと湿った重み、灼けつくような熱さを帯びた不安感。
こういうのって映画のテーマとしては定番なんでしょうね。そして普遍のテーマでもあるんでしょう。同じテーマの映画はたくさんあるけれど、この映画は完成度と云う意味では一級品です。静かに決定的にカタストロフになだれ込んでいくストーリー展開にも隙がない。

そんななかであえて「ケチ」をつけるとするなら、やはり康夫の人物造型。この子の「音楽」「歌」に対する愛が全く感じられないってとこかな。「革命」にしたってそうじゃないかなぁ。これはこれで意図した描写なのかもしれないけど。
ただまぁ康夫の恐ろしいまでに研ぎすまされた少年美の輝きと、終りを迎えようとする子ども時代との惜別に対する表現者の思い入れはしっかり表現されてます。
この映画は学校を舞台にしながら登場人物は驚くほど少ないんですよね。役名があって聞こえる台詞を話している人物は数える程度で、それ以外はまるで「背景」のような扱いであるにも関わらず、康夫と道夫を通してその世界観は十分に表現されている。変な説明が全く無いのに、独立学院と云う学校の春夏秋冬が奇妙なリアリティをもって観客の心に再現されていくのも、この映画の最大の魅力のひとつだと思います。物語や舞台設定にリアリティはなくても、作品の世界観がしっかりしていればきちんと現実感は再現出来る、ってことなんでしょうか。
そういう意味で云えば、過ぎて行ってしまう少年期への妄執を見事に映像化しきった秀作だと思います。拍手。

ところで巷間では(どこの巷だ)康夫役の藤間宇宙が松田龍平と似ていると云う噂でしたが、作品を観てなるほどなと思いました。確かに面影は似てるとこあります。特に淡い影に翳んだような目鼻立ちや丸い頬の柔らかい曲線、とりわけ視線の定まらない危う気な透き通るような瞳にははっとするものがありました。
とは云えそっくりでもなくて、「似てるな」と思わされる瞬間があると云う程度ですね。少女のような可憐な肢体や子どもらしい天真爛漫な笑顔、役に頭から飛び込んでいくような勢いのある演技なんかは、タイプとしては大沢健(『ぼくらの七日間戦争』『ファンシィ・ダンス』)を思い出させる。いわゆる子役出身の美少年俳優、優等生役者の類型とも云えるかもしれません。
松田龍平は『御法度』に出た15~6の頃でも体格から云っても風貌から云っても既に「可憐な美少年」ではなかった。あのえも云われず淫麼な雰囲気はそもそも彼が備えていたものなのかそれとも惣三郎を演じるなかで身に着いたものなのか、身内から匂って来るような空気をもっているところがあって、そう云う点では明らかにただ造形的に美しいだけの俳優ではないなと思います。
真正面から同性愛を描いた『御法度』でほとんど肌の露出がないにも関わらず、あれだけの凄絶な妖婉さを醸していた松田龍平と、おフロでまっぱで同級生に身体を触りまくられてても(汗)セクシャルな印象の残らない藤間宇宙は、その面においては好対照かも。
演じ方から云っても、松田龍平は感覚的に役をとらえるような、「静」の芝居の役者ですね。決して器用ではないけれどナチュラル。上手下手で云えばきっと藤間宇宙の方がずっとお芝居は上手いです。上手いだけでなく迫力もあります。将来が楽しみです。

LIES 嘘

2002年03月18日 | movie
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私は決して聖人君子ではないし、エロな話、エロそのものが嫌いな訳でもない。しかし世間の映画、エロい映画に傑作が少ないのは何故なんでしょうね。話題性の割りにはどれも大して面白くもないし、そういう映画を観て思わず欲情しちゃう、なんて経験も私はありません。あったっていいんだけど、なんでか無い。て云うかむしろ疲れちゃうし。枯れてんのか。
でも『愛のコリーダ』は好きですね。厳密に云うと私が観たのは再編版の『愛のコリーダ2000』の方ですが。ひたすらやりまくる以外になにもいらない、と云う清々しい幸福感、浸れました。ラブシーンは正直見飽きたけど、『愛のコリーダ』観に行っといてそんな文句も云えませんし。

ひたすらやってやってやりまくる映画と云う点で『LIES 嘘』は『愛のコリーダ』と同じですね。舞台が現代の韓国の地方都市で、女が女子高生(だんだん大人になっていく)、男が中年の彫刻家と云う設定に差はあっても、会ってセックスしまくる以外の物語描写がほとんどないと云う基本ラインは全く同じです。
ただ違うのは、女が男との恋愛を、無自覚であるにしろ、現状から逃れるための1ステップとしてとらえていて、高校を出て大学生になって、と時を経ると同時に当然のように“女らしく”変化していき、最後には男を捨てると云う、物語のベクトルは大きく違っています。あのみょーな前戯は逆に『~コリーダ』を思い出させられます。

“女らしく”と書きましたが、ヒロインは正直全然女らしくはないですね。全く色っぽさはないです。すらっと手足が長くてプロポーションはものすごくいいし、前半女子高生なので化粧っ気がなくて野暮ったい感じがなんだかスケベな感じもしますが、後半身なりが大人っぽくはなっても色っぽくはならない。相手役の中年男はすんごい普通の人で、これは逆にリアルで面白かった。
しかし、『LIES~』がどれだけ『~コリーダ』に似ていても、やはり『LIES~』を観てハッピーにはなれないですね。と云うのが、ヒロインがなぜ男と寝るのか、と云う目的が分かりやすすぎるから。ただ相手を愛しているからだけじゃない、彼女なりの打算のようなものがちゃんとあるし、その打算に説得力があればあるだけ、彼女の肉欲が他人事に見えてしまって、「入りこんで」観ると云う風にはなれなかったです。
映像が隠し撮りみたいなビデオ撮りだったり、インタビューが途中に入ったりしてドキュメンタリータッチだったりするのは原作にはあるのかな。原作は発禁とか云ってましたが読んでみたくなりましたね。

I LOVEペッカー

2002年03月14日 | movie
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ボルチモアでペッカーと呼ばれている、ちょっと薄らぼんやりした少年が、お母さんの経営する中古屋から譲り受けたカメラで撮りまくった素人写真をバイト先のファーストフード店で展示したところ、たまたまNYのやり手キュレーターの目にとまりアッと云う間に有名人になっちゃって・・・と云う、わりにまぁよくあるサクセスどたばた劇です。誰がどこから見てもオチは読めますね。なんのひねりもございません。

でもそこはやはり下品の巨匠ウォーターズさんなので、こまかいディテールでつっこんで来ます。まず主人公の姉(兄?謎)は町のゲイバーで働いてます。思いっきりオカマっぽいです。おばあちゃんは自分のマリア像が喋るとかたく信じこんでいます(アブナイ)。妹は砂糖中毒。ひたすら甘いものばっかり貪り食ってます。親友のマットは万引き魔。お父さんとお母さんは比較的まともですが、まともと云って構わないか首をひねりたくなるくらいのポジティブシンキング。
そしてきわめつきは主人公のあだ名が「ペッカー」。原題では『Pecker』となっていて、これはスラングでまんま「ち×こ」のことなんですよね。転じて「いつもマ○ターベーションばっかりしているやつ」と云うような意味合いかと思われます。
そんで劇中で誰も彼もがしょっちゅう「ペッカー」「ペッカー」連呼するんですよ。それもまたひっきりなしに。家族もガールフレンドも町の人もやたらめったら「ペッカー」「ペッカー」。しまいにゃ大合唱するし。
おかしいですね。バカですね。

物語そのものは都会感覚のアホさを思いっきり皮肉ったブラックユーモアと、監督の生まれ故郷でもあるボルチモアへのオマージュになっているのですが、それよりなにより出て来る人物たちへの愛情とちまちました笑いへのあくなき挑戦は見てて清々しかったです。
主演はエドワード・ファーロングですが、わりに暗めな役の多い彼にしてはノー天気なこのおバカ役も全然ハマってました。
他の出演はクリスティーナ・リッチ、マーサ・プリンプトン(!)、 リリ・テイラーなど。98年の作品です。