『オリンポスの使徒 ─「バロン西」伝説はなぜ生れたか』 大野芳著
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映画『硫黄島からの手紙』に登場した西竹一男爵の伝記。
ぐりは映画でみるまでこの“バロン西”の存在そのものを知らなかったのだが、映画をみていて、伊原剛志演じるバロン西が見事にキマりすぎていて、思わずファンになってしまった。というのはウソで、よくできてるけどクサかった『クラッシュ』のポール・ハギス原案だからひっかかるのか?とは思った。渡辺謙が扮した栗林忠道中将の人物造形にも似たよ?、なものを感じた。
念のため付け加えておくと、西竹一とは1932年のロスオリンピック馬術大障害飛越競技の金メダリストであり、階級意識の強い欧米諸国でも人気だった国際的セレブリティ。1944年硫黄島に赴任し、翌年当地で戦死した。
タイトルにある「バロン西」伝説とは、硫黄島戦末期、敗色濃厚になった日本軍に対し米軍が「馬術のバロン西、出てきなさい。世界は君を失うにはあまりにも惜しい」と日本語で呼びかけたが本人は投降しようとしなかったというエピソードと、進退窮まって皇居の方を向いて自決したという最期のこと。
現在このふたつの伝説は事実とは大きく異なるという証言もあり、あくまで伝説でしかないとされているが、この本にはもっともっと衝撃的な証言も登場する。
映画にも引用されている栗林中将の「戦局最後の関頭に直面せり〜」で始まる訣別の電文が、実は栗林本人の手によるものではないというのだ。それだけではない。栗林中将は現在硫黄島陥落の日とされる3月26日に自ら兵を率いて突撃し戦死したとされているが、実際には、それよりも前の23日に側近によってひそかに殺害されていた。滞米経験もありアメリカ人をよく知る栗林は、これ以上戦うのは辞めて降伏した方が国のためだと主張したが、軍国主義一色の日本で純粋培養された部下たちがそんな意見に従うわけがない。背後を見せたところを斬りかかられ、斬った本人も直後に自殺したという。
これらはあくまで証言のひとつでしかない。公式の調査記録があるわけでもない。
映画に描かれたような雄々しく華々しい軍人らしい最期は、必要だからこそ生み出された彼ら自身の人生の「1シーン」に過ぎないし、それとこの本に描かれた最期の重要性と信憑性はどちらが大きいとか小さいとかいうものではないと思う。
だがそのギャップの大きさはどうだろう。ちょっと大きすぎやしませんか。
硫黄島戦について綿密にリサーチしたというイーストウッド組が、これらのあまりにも悲しく酷い証言を知らなかったはずはない。それをあえて伏せて、ふたりの軍人をかくもヒロイックに描いたのはなぜなのか。
二部作のもう一本『父親たちの星条旗』で国家とマスコミによってヒーロー?ノ祭り上げられるふつうの青年たちを描いたイーストウッドだが、それとまったく同じ轍を、『硫黄島からの手紙』で踏んではいないだろうか?B
あるいは彼らは、あれほどまでに厳しい硫黄島戦を戦った日本人に追討ちをかけるような真似はしたくなかったのかもしれない。
けど矛盾してますよ。映画に描かれた彼らの最期が「仮定」の話だとするなら、プロモで他の「仮定」も公表しておくべきだろう。フェアじゃないよ。
もし彼らの最期が「伝説」通りではなかったとしたら、あんな風に祭り上げられて亡くなった栗林氏や西氏も含めた他の硫黄島の犠牲者が喜ぶとは到底思えない。
遺族に英雄的な「最期」を伝えた人たちだってそうだ。遺族が可哀想だから気の毒だから伝説をでっち上げたなんてウソだ。自分がそんなつらい役目を背負いたくないから勝手にウソをついたに決まっている。
ウソをつくのがいけないとはいわない。けどそのウソにはちゃんと責任をもってほしい。
だって、彼らの最期が悲惨なのは、戦争が悲惨だからだ。二度とそんなことをしないために、ちゃんと事実を認めて、みつめて、みんなで共有しないことには何も始まらないではないか。
それこそ亡くなった人たちは犬死にじゃないですか。
違いますか。
どうですか。
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映画『硫黄島からの手紙』に登場した西竹一男爵の伝記。
ぐりは映画でみるまでこの“バロン西”の存在そのものを知らなかったのだが、映画をみていて、伊原剛志演じるバロン西が見事にキマりすぎていて、思わずファンになってしまった。というのはウソで、よくできてるけどクサかった『クラッシュ』のポール・ハギス原案だからひっかかるのか?とは思った。渡辺謙が扮した栗林忠道中将の人物造形にも似たよ?、なものを感じた。
念のため付け加えておくと、西竹一とは1932年のロスオリンピック馬術大障害飛越競技の金メダリストであり、階級意識の強い欧米諸国でも人気だった国際的セレブリティ。1944年硫黄島に赴任し、翌年当地で戦死した。
タイトルにある「バロン西」伝説とは、硫黄島戦末期、敗色濃厚になった日本軍に対し米軍が「馬術のバロン西、出てきなさい。世界は君を失うにはあまりにも惜しい」と日本語で呼びかけたが本人は投降しようとしなかったというエピソードと、進退窮まって皇居の方を向いて自決したという最期のこと。
現在このふたつの伝説は事実とは大きく異なるという証言もあり、あくまで伝説でしかないとされているが、この本にはもっともっと衝撃的な証言も登場する。
映画にも引用されている栗林中将の「戦局最後の関頭に直面せり〜」で始まる訣別の電文が、実は栗林本人の手によるものではないというのだ。それだけではない。栗林中将は現在硫黄島陥落の日とされる3月26日に自ら兵を率いて突撃し戦死したとされているが、実際には、それよりも前の23日に側近によってひそかに殺害されていた。滞米経験もありアメリカ人をよく知る栗林は、これ以上戦うのは辞めて降伏した方が国のためだと主張したが、軍国主義一色の日本で純粋培養された部下たちがそんな意見に従うわけがない。背後を見せたところを斬りかかられ、斬った本人も直後に自殺したという。
これらはあくまで証言のひとつでしかない。公式の調査記録があるわけでもない。
映画に描かれたような雄々しく華々しい軍人らしい最期は、必要だからこそ生み出された彼ら自身の人生の「1シーン」に過ぎないし、それとこの本に描かれた最期の重要性と信憑性はどちらが大きいとか小さいとかいうものではないと思う。
だがそのギャップの大きさはどうだろう。ちょっと大きすぎやしませんか。
硫黄島戦について綿密にリサーチしたというイーストウッド組が、これらのあまりにも悲しく酷い証言を知らなかったはずはない。それをあえて伏せて、ふたりの軍人をかくもヒロイックに描いたのはなぜなのか。
二部作のもう一本『父親たちの星条旗』で国家とマスコミによってヒーロー?ノ祭り上げられるふつうの青年たちを描いたイーストウッドだが、それとまったく同じ轍を、『硫黄島からの手紙』で踏んではいないだろうか?B
あるいは彼らは、あれほどまでに厳しい硫黄島戦を戦った日本人に追討ちをかけるような真似はしたくなかったのかもしれない。
けど矛盾してますよ。映画に描かれた彼らの最期が「仮定」の話だとするなら、プロモで他の「仮定」も公表しておくべきだろう。フェアじゃないよ。
もし彼らの最期が「伝説」通りではなかったとしたら、あんな風に祭り上げられて亡くなった栗林氏や西氏も含めた他の硫黄島の犠牲者が喜ぶとは到底思えない。
遺族に英雄的な「最期」を伝えた人たちだってそうだ。遺族が可哀想だから気の毒だから伝説をでっち上げたなんてウソだ。自分がそんなつらい役目を背負いたくないから勝手にウソをついたに決まっている。
ウソをつくのがいけないとはいわない。けどそのウソにはちゃんと責任をもってほしい。
だって、彼らの最期が悲惨なのは、戦争が悲惨だからだ。二度とそんなことをしないために、ちゃんと事実を認めて、みつめて、みんなで共有しないことには何も始まらないではないか。
それこそ亡くなった人たちは犬死にじゃないですか。
違いますか。
どうですか。