落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

Not for Sale

2011年10月31日 | book
『告発・現代の人身売買 奴隷にされる女性と子ども』 デイヴィッド・バットストーン著 山岡万里子訳
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原題『Not for Sale』。初版は2007年に刊行されたが、本書は基本的に2010年の改定版をもとに初版から削除された箇所を補完して構成されている。
実をいうとぐりはこの本の邦訳にほんの少しだけ関わっている。そのときはこんなおどろおどろしい邦題はまだついていなかったし、ポップで爽やかなデザインの原著の表紙を見て「ああ、これなら誰でも手に取りやすくていいな」と思ったのを覚えている。
だってさあ、日本で人身売買の本っつったらどれもこれも表紙まっ黒けのドロッドロで、タイトルもやたら怖そうなのばっかりで、書店でレジに持っていくどころか手に取るのも憚られるようなのばっかしなんだもん。そんな本誰が買うかっつの。センセーショナルにすりゃいいってもんじゃないんだよ。日本の出版社の社会貢献分野でのセンスのなさったら真剣に泣けて来ます。

内容は現代の世界で行われている人身売買の実態と、それと戦う人々を追ったノンフィクション。
取材地はカンボジア・タイ・インド・ウガンダ・ヨーロッパ・ペルー・アメリカの、性産業や工場作業・紛争・家庭内での労働への従事を目的に人が酷使され搾取され虐待され、いっさいの人格を否定されモノ同然に浪費される現場。
8年前に邦訳が刊行された『グローバル経済と現代奴隷制』(ケビン・ベイルズ著)と地域も対象もかなりカブっている。そもそも題材が同じなので、本文中でも『グローバル経済~』の記述が言及されている。
違っている点は、あれから数年を経て、被害者たちを救うためのネットワークの発達と、その最前線の奮闘に多くのページが割かれていること。
人身売買は相変わらず今も世界中にはびこっている。しかし、それをやめさせようとする人々の戦いもまた、世界中に広がりを見せている。
経済格差は日増しに広がり、人身売買という犯罪の淵に転落する人々も絶えない。それでも、目の前にいる被害者に気づいたその瞬間から、手が届く限りの人を救おうとする腕も、日増しに伸びている。

そういう意味ではアメリカ的ヒロイズムが若干鼻につく本でもあるんだけど、人身売買などという絶望にもちゃんと光があることが描かれているという面では非常に有益な本でもある。
人身売買のことをあまり知らない人は実態を聞くとだいたいがすっかりへこんでしまって、そんな大変なことを解決するのに何からどうすればいいのか途方に暮れてしまうが、この本ではまさに「何からどうするか」実際に行動を起こしている人々がしっかりと出て来る。ぶっちゃけた話、人身売買?たいへんだ!どうしよう!という人に、「まあとりあえず、できるところからやればいいんじゃない」と指示しているような感じである。
と同時に、ほとんどのケースで当事者が人身売買の被害者に仕立て上げられるまでの過程もタイムクロノジカルに描かれており、なぜ人が人身売買などという犯罪にまきこまれるのか、犯罪者たちの手口とそのマーケットのネットワークも非常にわかりやすくなっている。人身売買が起こる条件はある程度限られてはいるが、今のこの時代では、誰に起きてもおかしくないほど、ごくごくありがちな状況で被害者が生まれていることがよくわかる。
今この時代、人は実に簡単に売られる。世の人が「だってお金欲しかったんでしょ?」「不用心だったんじゃないの?」「逃げる方法なんていくらでもあったでしょ?」と思ってしまうのと同じくらい、簡単な話なのだ。

既にこの手の本を読み倒してるぐりにはさほど新鮮味はなかったけど、人身売買怖いなあ、でも知りたいなあ、もうちょっと救いがあったらなあ、なんて人にはオススメの本です。表紙とか邦題はアレですけどね。
「とりあえずココ、こーゆーとこに募金してや」的なわかりやすさがいちばんいいと思った。売り物じゃなくたってなんだって、どんな問題も無料じゃなかなか解決しないんだよね。イヤ、マジで。


関連レビュー:
『セックス・トラフィック』
『ウォー・ダンス / 響け僕らの鼓動』
『ゴモラ』
『ファーストフード・ネイション』
『ボーダータウン 報道されない殺人者』
『いま ここにある風景』
『女工哀歌』
『おいしいコーヒーの真実』
『ダーウィンの悪夢』
『ロルナの祈り』
『この自由な世界で』
『題名のない子守唄』
『イースタン・プロミス』
『13歳の夏に僕は生まれた』
『闇の子供たち』
『出版倫理とアジア女性の人権 「タイ買春読本」抗議・裁判の記録』 タイ女性の友:編
『人身売買をなくすために―受入大国日本の課題』 JNATIP編
『現代の奴隷制―タイの売春宿へ人身売買されるビルマの女性たち』 アジアウォッチ/ヒューマンライツウォッチ/女性の権利プロジェクト著
『アジア「年金老人」買春ツアー 国境なき「性市場」』 羽田令子著
『幼い娼婦だった私へ』 ソマリー・マム著
『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』 マリー=フランス・ボッツ著
『アジアの子ども買春と日本』 アジアの児童買春阻止を訴える会(カスパル)編
『少女売買 インドに売られたネパールの少女たち』 長谷川まり子著
『児童性愛者―ペドファイル』 ヤコブ・ビリング著

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宮城県で5度目の災害ボランティアに参加して来ました

2011年10月25日 | 復興支援レポート
10月21日(金)~24日(月)の日程でまた宮城県に行って来ました。
今回はGWに活動した石巻市、なかでも雄勝町がその後どうなったかが見たかった。

車中泊含めて実質活動は2日間。
1日目は瓦礫撤去作業で発見された拾得物のクリーニング作業。まる一日、泥にまみれバクテリアに浸食されたり、他の写真などの紙と癒着してしまった写真を拭いたり磨いたりした。
2日目は「お茶っこ」。仮設住宅を訪問して広場や集会所でお茶とお菓子を出し、入居者に集まってもらって会話を楽しんでもらう。他愛もない日常的な会話の中から、仮設生活でのニーズをさぐって今後の支援活動に反映させるという活動である。

この地域の被害は本当に激しく悲惨なもので、中でも大川小学校の悲劇はくり返し報道されたこともあり、全国区でも多くの人が知っている。
家族、子ども、家、どんなに大切なものを失っても、それでも人は生きていかなくてはならない。
いつまでも悲しい話だけしていても前には進めない。その道程のなんと苛酷なことか。
だが、非被災地の私たちの今後に課せられた課題はまさにのその道を共に歩んでいくことだ。ずっとずっと彼らの心の傍にいて、決して忘れることなく、つながり続けていきたい。
そんな思いを新たにした。


石巻市雄勝町。こういうのは片付けたくてもなかなか片付かない。
“被災観光”スポットとしては気仙沼市鹿折のタンカーと同じく人気なので、観光資源として残したいという声はやはりある。でも地元の人の感情としては勿論そうはいかない。

10月6日(木)~10日(日)震災ボランティアレポート
8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(ver.3.2)

宮城県で4度目の災害ボランティアに参加して来ました

2011年10月11日 | 復興支援レポート
連休を利用して、10月6日(木)~10日(日)の日程でまたしても震災ボランティアに参加して参りましたが。

今回は移動2日+実働2日と日数も短かったし、前回滞在したのと同じ拠点での活動でもあり、たまたま担当したタスクも被災地のお祭りのお手伝いとゆー、比較的のどかなものだったので、わりとまったりなボランティアでした。
お祭りそのものは1日だけだったんだけど、前日は準備をしてたんだよね。会場の小学校で他の参加団体や地元の人といっしょにテントたてたり、看板つくったり、出し物のバルーンアートを練習したり。
当日は他の出店なんか覗くどころか、トイレも食事もせずに、ひったすらバルーンひねりまくっては地元の子どもたちに配ったり教えたりしてました。
いやーバルーンアートってむつかしいね~。とくにぐりは握力が弱いので、バルーンに空気を入れて口を結ぶだけでも四苦八苦でございます。そして手の脂がめっちゃもってかれるので指先ガッサガサになります。未だに10本全部の指がサカムケ(関東では“ササクレ”とゆーのか?)になってます。痛い。
夜は漁師さんたちとバーベキューをする予定だったんだけど、お祭りの片付けをしてから行ってみたらもう終わっちゃってたり。なんかぐだぐだ。

ぐりが夏以降ボランティアに行っている三陸地方の拠点付近では、一部地域で少しずつ瓦礫撤去が進み、支援のニーズは緊急支援から生活支援や心のケアなどに移りつつある。
生活支援は避難所での集団支援から、仮設住宅や自宅避難者への個別支援に代わり、カフェやイベントで交流の場を設けたり、訪問健康相談や手仕事の指導をしたり漁業のお手伝いをしたり、緊急支援のようにはっきりとしたゴールがわかる活動ではなくなってきている。一見のどかでまったりした支援活動のように見えて、息の長い根気が要求される。
阪神淡路大震災の復興と今回の東日本大震災の復興の違いは、今回の被災地の大半の地域が震災前からもともと過疎と高齢化という問題を抱えていたという点にある。自立して復興したくても圧倒的にメンバー不足なのだ。
ほんとうなら災害支援なんてさっさと終わって、よそ者のボランティア団体がいなくなることこそがほんとうは望ましい「復興」の姿だ。しかし現実にはそれは難しい。
だから、地域の活性化まで支援しなければ、復興への足がかりすらつかめない。気が遠くなるような話である。


陸前高田市にて。
震災当時屋上に避難した100名の被災者が取り残され、2日間を過ごした市庁舎
献花台が設置された正面玄関には4月27日の日付の入った「捜査終了」の紙が貼られている。

陸前高田の瓦礫撤去は隣の気仙沼市に比較するとだいぶ遅れていて、一見してまだまだな印象がある。
瓦礫と泥から舞う土ぼこりがひどく、空気は白く煙って風景がぼやけて見える。
画像の市役所付近は市の中心部にあたるが、海岸沿いから気仙川上流5km地点付近まで、見渡す限り街のすべてがきれいさっぱりと失われている。
ここでも地盤沈下は激しく、海岸線が微妙に内陸に食い込んで来ている。

8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(ver.3.1)