つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

内閣官房が日本軍性奴隷制度に軍が関与した事実を補強する新たな外務省文書収集

2019-12-10 10:26:30 | 慰安婦問題

 一般社団法人共同通信社が2019年12月6日、『「陸軍側は兵員70名に対し1名位の酌婦を要する意向」との記述がある青島総領事(外務省)の報告書』を内閣官房が収集した事を報道した。

 内閣官房は旧日本軍の性奴隷制度(従軍慰安婦)問題を巡り、関連する公文書の収集を続けているが、2017、18年度、新たに計23件を集めたとの事。うち、在中国の日本領事館の報告書には「陸軍側は兵員70名に対し1名位の酌婦を要する意向」「軍用車に便乗南下したる特殊婦女」などの記述がある。「酌婦・特殊婦女」とは別の報告書で「娼妓と同様」「醜業を強いられ」と説明されており、「性奴隷(慰安婦)」を指している。

 専門家は「軍と外務省が国家ぐるみで慰安婦を送り込んでいた事がはっきり分かる」と指摘している。1993年の河野洋平官房長官談話が認定した「軍の関与」を補強する資料として位置づける事ができるものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本軍性奴隷制度中国人被害者 楊桂蘭さん死去:中国人被害者の生存者は17人となった

2019-09-16 21:09:23 | 慰安婦問題

 上海師範大学「慰安婦」問題研究センター微信(ウェイ・シン)によると、2019年8月21日、中国の日本軍性奴隷制度被害者・楊桂蘭(ヤン・クイラン)さんが死去した。99歳。彼女は1920年、湖北省通常県に生まれ、湖北省岳陽県に12歳で嫁いだ。実家に帰る途中で日本軍に拉致され、付近の祠堂(お堂)に監禁された。実家や親戚によって助け出されたが、10数日間、被害を受け続けた。2019年4月30日、上海師範大学「慰安婦」問題研究センターが被害を受けた幸存者である事を確認した。中国大陸で記録された日本軍性奴隷制度で被害を受けた生存者は17人だけとなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オランダ人元日本軍性奴隷制被害者ジャン・ラフ・オハーンさん死去

2019-08-25 21:02:12 | 慰安婦問題

 第2次世界大戦当時、インドネシアを占領した日本軍によって性的奴隷被害者になったジャン・ラフ・オハーンさんが2019年8月19日(現地時間)に亡くなった。96歳。オーストラリア現地メディアはオハーンさんが19日、家族が見守る中でオーストラリア・南オーストラリア州アデレードで息を引き取ったと報じた。

 1923年、オランダ植民地だったインドネシア・ジャワ島で生まれたオハーンさんは、21歳だった1944年に日本軍に拉致されて、スマラン「慰安所」に連れ去られ、性的奴隷として苦難を強いられた。終戦後、英国軍将校と結婚し、1960年にオーストラリアに移住した彼女は、1991年に金学順さんの最初の慰安婦証言を見て勇気を出し、1992年、オーストラリアの地域メディアに自身も慰安婦被害者である事を知らせた。同年、東京で開かれた「戦後補償国際公聴会」でも慰安婦被害を証言した(日本政府に犯罪認定と公式謝罪、法的賠償を要求)。日本軍性的奴隷被害の事実を明らかにしたヨーロッパ人はオハーンさんが最初であった。彼女は2000年の「日本軍性的奴隷戦犯女性国際法廷」(東京)に出席し、2007年の「米国下院聴聞会」では故・金学順さん、李容洙さんとともに日本軍の残酷な犯罪を告発するなど、慰安婦問題の真実を欧米社会に発信する事に大きな役割を果たした。韓国の慰安婦被害者とともにオーストラリアのメルボルンやシドニーなどで平和・人権運動を行ったオハーンさんは、2002年にオーストラリア政府が授与する最高栄誉の国民勲章を受けた。彼女の孫娘であるルビー・チャレンジャー監督は2018年、被害者の日本軍による性的奴隷体験を扱った映画『Daily Bread』を公開した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本軍性奴隷制度被害者 徐阿英(中国)さん死去

2019-06-13 10:50:33 | 慰安婦問題

 2019年6月2日夜、中国浙江省金華市で、日本軍性奴隷制度の被害者徐阿英さんが死去した。92歳。彼女は16歳の時に、集落に侵略してきた日本軍に捕まり、無理矢理、日本軍の陣地に拉致され性奴隷被害を受けた。1か月後、彼女ら17人の被害女性が、この地に展開していた革命武装勢力の徐兄弟に夜中に助け出された。しかし、1週間後、彼女が買い物に出た際、不幸にも再び日本軍に捕まった。彼女は金華中山埠頭の日本軍の拠点、及び雅堂街の「慰安所」で、3年間、性奴隷被害を受けた。彼女は日本軍から受けた屈辱的な記憶が深刻で、からだと心が大きな傷を受けていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本軍「慰安婦」制度被害生存者(韓国政府登録)は25人となった。安倍自公政権は事実を認めず記憶の抹殺を狙っている

2019-01-23 08:38:09 | 慰安婦問題

 安倍自公政権に名誉回復と公式謝罪を要求してきた、日本軍「慰安婦」制度被害者が、無念にも、また2人、昨年末に亡くなり、25人となった。

 2018年12月5日には、キム・スンオクハルモニが96歳で亡くなった。彼女は、1922年平壌生まれ。18歳の時、工場に就職できるという言葉に騙されて、中国東北部最北部の黒竜江省の慰安所へ連れて行かれ、日本軍兵士の性奴隷とされた。日本の敗戦後、現地に置き去りにされ中国の東営で暮らしたが、2005年に韓国の女性部(現女性家族部)や支援者たちにより、韓国の戸籍を回復し、「ナヌムの家」で生活してきた。これまで、「日本軍性的奴隷問題解決のための水曜集会」や、日本軍の蛮行を告発する証言を重ね、2013年には日本政府に民事調停を申請するなど、被害者の名誉回復と日本政府の公式謝罪を要求する事に余生を捧げてきた。

 同年12月14日には、イ・グィニョハルモニが92歳で亡くなった。忠清北道清州生まれ。彼女は17歳の時、「中国へ行って働けば稼げる」という言葉に騙され、中国の慰安所へ連れて行かれた。日本の敗戦後、中国人と結婚して暮らしていたが、2011年に韓国国籍を回復した後、帰国した。2016年から龍仁ソウル療養病院に入院生活を過ごした。

 昨日2019年1月14日に朝日新聞が、日本軍「慰安婦」問題を訴える「水曜行動」(「関西ネットワーク」主催)が来月6日に「150回目」を迎える事を伝えていた。その「水曜行動」が「慰安婦」問題を解決するために安倍自公政権(日本政府)に求めている事は何か。それは、「事実と責任の認定」と「被害回復措置」である。後者は①翻せない明確な公式謝罪、②賠償、③政府資料の全面公開などの真相究明、④歴史教育の充実、追悼行事の開催、公人の不正確な発言の禁止とそうした発言に対する公式反論、などである。そして、これらが実行されて初めて「解決への第一歩」となる、としているのである。

 しかし、安倍自公政権は、その要求を無視し、日本軍「慰安婦」問題の事実を認めず、否定し、闇に葬り去り、なかった事にする姿勢(歴史修正主義)を取り続けている。それを示す最も新しい出来事が、2018年の12月末に起こっている。フィリピンでの日本軍「慰安婦」メモリアルの撤去事件である。これについては別稿で紹介する。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする