関東大震災時における朝鮮人らを対象とした大虐殺事件は、第一次世界大戦後、神聖天皇主権大日本帝国における独占資本主義の確立を社会的基盤にして形成された、「神聖天皇主権大日本帝国の労働者階級を中心とする日本人民の諸階級・諸階層と朝鮮人労働者階級を中核とする朝鮮人民との、反日本帝国主義の連帯の芽生えを摘み取ろうとした神聖天皇主権大日本帝国政府によって強行されたものである」とされている。
劇作家・児童文学者であった秋田雨雀(1883~1963)は、関東大震災下に行われた「白色テロ」の原因を教育に求め、1923年9月『民族解放の道徳』を読売新聞に発表している。以下に紹介しよう。
㈣「ある外国人が大震後日本人が大震によって何故に民族的という事を考えるのであろう。むしろ自然の圧迫を受けた時には自然に対して人類という事を考えるのは当然でなければなかろうが、といった事を聞いて私は非常に至言だと思った。自然の圧迫に対しては人間は人間としてお互いに手を握り合わなければならないはずである。しかるに事実はそれに反して私達日本人は自然から受けた大きな損害に数倍するほどの惨虐性を同じ人類である処の〇〇(朝鮮)人その他及び同民族に与えている。この不合理は何とした事であろう。この不合理は単に偶然の出来事として看過さるべき不合理ではない。恐らく私達日本人の民族的精神の誤謬が反省されない限り、度々繰り返される不合理であろうと思う」
㈤「しかしこの不合理の生む惨虐性は決して或る少数の人々の力によって生まれたものでもなければ、或る時の偶然の機会で生まれたものでもなく、私達全体のものを包んでいるところの一つの迷信から生まれたものであると思う。或る少数の人々が意識してやったと思われる行為でさえもそれは無意識的にその迷信の魅力に働きかけられている場合が多い。
㈥「民族の持つ惨虐性というようなものは必ずしも今日の日本だけが持っているものでないかも知れない。しかし日本のような戦争によって国家的地位を確立したと思われる国家では、恐らくその惨虐性が道徳の性質を帯びているのを当然の事だといわなければならない。親切、無邪気、相互扶助的な精神さえも、それは全く自己の民族にのみ限られたものであって、一歩利害を異にした民族に対しては、あらゆる惨虐、無残な行為を生んで来る。であるから単に日本ばかりとはいわないが、今日の各国民の持っている民族精神の陰には、今度の日本震災後において日本人の暴露したような醜い惨虐性が含まれている事を知らなければならない。国民道徳と私達の呼んでいるものから民族が解放されて、そこから本当の広い自由な新しい道徳が生まれて来るのでなければ、我々は自然というものに対して安心して対峙して行く事が出来ないばかりでなくて、人類は人類の敵となって絶えず苦しめ合うものである事を覚悟しなければならない。本当に民族を愛するいわゆる「国士」こそは、民族及び人類をこの誤った道徳の中から救い出して、人類共存の生活の方へ導くものでなければならない。そうしてそのために受けるあらゆる苦痛を甘受する人でなければならない。その人達こそ本当に「国士」を愛する人だという事ができる。」
(2023年9月6日投稿)