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改訂版:在位30年の「天皇おことば」から主権者国民は何を読み取るべきか

2024-02-14 10:49:46 | 皇室

 主権者国民は、神聖天皇主権大日本帝国下にあるのではないのであるから、「天皇のおことば」に対し、単純に「ありがたい」という紋切り型の思いに終わらせず、冷静に「おことば」に込められた意味を読み取る事が主権者国民として責任ある態度だろう。

 まず、平和とは、「戦争をしていない状態」を指す言葉ではないという理解がなされているかという点である。平和とは「安全で安心して幸せに生活できる状態」を意味すると考えるべきである。だから、戦争をしていなくとも、上記の状態でなければ「平和とは言えない」という理解が必要である。「おことば」はそのように受け取れるだろうか。

 また、「安全で安心して幸せに生活できる状態」というのは、「人権を尊重される状態」といえるが、そのような理解がなされているだろうか。「おことば」には「グローバル化する世界の中で、……叡智を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していく事が求められている」とあるが、真の「叡智」や「誠意」の根底には「人権意識」「人権尊重の意識」が存在しなければそれは単なる紋切り型に言葉を繕っているだけであって、このような言葉は極めて抽象的な言葉であるから、何も生み出さないと考えられるが、どうだろう。強いて言えば、「叡智」や「誠意」などという主観的な曖昧模糊とした前近代的で国際的に理解しにくい言葉を使用すべきではないだろう。

 国内において、原発事故問題、辺野古新基地建設問題、森友問題、加計問題、統計不正(改竄)問題などなど、挙げればきりがないが、主権者国民は安倍自公政権によって「安全安心な生活」を脅かされている(人権を侵害されている)。主権者国民にとってこれほど不幸な状態は存在しないにもかかわらず、「おことば」には含まれていない。これはどう理解すべきだろう。

 また、「天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り」とあるが、その「祈り」は、皇室の祖先として皇居内に祀っている「天照大神」など記紀神話に基づく神々へ守護を求める祈りであり、靖国思想に基づき全国に存在する「護国神社」祭祀を通しての同様の目的での祈りを意味するが、この祈りの行為は、神聖天皇主権大日本帝国政府が作り上げ国民に強要してきた国家神道を継承する宗教行為である。国民の個々の了解を得ない個々の意思を無視した、しかしそれを当然とするこの行為は主権者国民の「信教の自由」という権利を侵害する行為でなくて何であろうか。

 また、「これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり」とあるが、これは時の内閣(安倍自公政権)の助言と承認により、憲法第7条「天皇の国事行為」と位置づけられて行ってきたものなのだ、と述べているのである。責任は内閣に存在するという事を暗に述べているのである。また、「全ての行為」という言葉は、元来、第7条に含まれないと解釈されていた行為、いわゆる「公的行為(象徴行為)」も含めており、天皇自身がその内容を際限なく拡大増加してきた事について、一方的に正当性の根拠を主張し受け入れる事を促しているのである。さらに、これらについての「私がこれまで果たすべき務めを果たして来られたのは、その統合の象徴である事に、誇りと喜びを持つ事のできるこの国の人々の存在のお陰」という言葉は、「主権者国民の意思に基づいて行ってきたのですよ」との天皇の認識を一方的に押しつけ受け入れる事を促しているのである。さらに、「過去から今に至る長い年月に、日本人が作り上げてきた、この国の持つ民度のお陰」という言葉は、「現行日本国憲法以前の、敗戦以前の、大日本帝国憲法以前の過去を指しており、記紀神話の世界をも含む」言葉であり、天皇の認識を一方的に押しつけ受け入れる事を促しており、主権者国民として、看過してはいけない問題視すべき言葉である。

 結論として「天皇のおことば」から主権者国民が読み取るべき事は、天皇(皇族)は「自らの人権意識が低いとともに、そうであるがために国民に対する人権尊重の意識も極めて低い」という、現行「日本国憲法」の原則に対する認識が低い事が読み取れるのである。

 天皇は「象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました」「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く」と述べているが、その答えは、そのような難しい事ではなく、自己や皇族の封建的な前近代的な生活意識の改革(人権意識を高める)に努力する事にある事と、現行日本国憲法(人権尊重の意識)に基づいて国民に対する事にある、と気づく事であろう。ちなみにこの事は、「跪いて」接する事を意味するものではない。

 主権者国民も、自己のサディスティックな人権軽視の体質に気づき、天皇や皇族を封建的なスケープゴート的生活状態から解放するべきであろう。また、多くの国民に根付くこの体質は上記の他の問題を引き起こし自らに不幸を招くという悪い影響を及ぼしている事に気づくべきであろう。

(2019年3月7日投稿)

 

 

 

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全国戦没者追悼式の式辞からうかがえる天皇の先の戦争に対する認識と国民観

2023-08-18 00:31:03 | 皇室

 今年の「全国戦没者追悼式」での「天皇の式辞」(天皇陛下のおことば)で、まず全体を通して言える事は、「第三者的」な立ち位置を感じさせる表現を使用している事である。

 例えば、かけがえのない「命を失った」という表現や、「深い悲しみを新たにいたします」という表現であるが、「命を失った」のは誰に責任があるのか?それは現行天皇のお祖父さんである「昭和天皇」やお父さんである「平成天皇」であろう。それをきちんと自覚しておれば「深い悲しみを新たにいたします」という表現では済まない事は明らかであろう。この表現を使用するところに現行天皇の「先の戦争」に対する認識や国民観が表れているといえるだろう。

 また「終戦」ではなく「敗戦」とすべきであろう。「終戦」という表現はただ無意識に使っているのではなく極めて意識的と思えるもので、「敗戦」を認める事はできないとする天皇家皇族全体の統一認識に基づくものと見做してよいだろう。「終戦」という表現の使用については、敗戦処理内閣である東久邇宮内閣が、1945年9月初めに議会を開き、そこで首相自ら国民に向けて戦争終結のメッセージを送る演説を行っているが、その演説の草稿段階で、陸相であった下村定が草稿の中の「敗戦」という表現をみつけ、「敗戦ではなくて、終戦としてほしい」と注文をつけた事がきっかけとなっているのである。それを天皇家皇族も延々と踏襲しているという事なのである。天皇家皇族が自ら負わねばならない責任を自覚し使用すべき適切な表現を選択すべきであるにもかかわらず、「終戦」という表現を今回までそのまま踏襲し続けている姿勢に天皇の「先の戦争」についての認識が表れているのである。国内では問題視されずに使用できても、外の世界や外国からみればこれは「異常」「不可解」としか思えないにもかかわらずである。

 また、「再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」という表現については、「さきの戦争」を引き起こした責任者について、憲法前文の表現を認識しておれば、天皇は政府の部分(敗戦前は統治権の総攬者であり、敗戦後は内閣の助言と承認により、法律、政令及び条約を公布する役割)であるから、「政府の行為によって」という表現をその前に付け、戦争責任者の継承者である立場を明確にするとともに自身の意思を示すため、「過去を顧み、深い反省の上に立って、政府の行為によって再び戦争の惨禍を引き起こす事のないようにする事を決意し」とするべきであろう。しかしそうではなく、極めて第三者的な無責任な表現を使用しており、天皇が主権者国民に対し「繰り返してはいけない」と説諭しているような表現になっている。

 そして、「全国民と共に」とあるが、天皇と国民とは立場も人格も別なのであるから、天皇が国民の個々の意思を無視して自身の都合で一方的に、全国民(主権者)を代表しているような表現を使用したり、全国民(主権者)に対し天皇の意思に同調させる圧力をかけるような表現を使用したりすべきではない。天皇として自身の意思だけを表明すべきである。「先の戦争」に対する認識は立場の違いにより異なるものであるからだ。「戦陣に散り」という表現は期せずしてそれを示してくれており、この表現は天皇の「先の戦争」についての認識を表しているものである。「散り」とは「死」を「美化」するため神聖天皇主権大日本帝国政府が敗戦までよく使用した「散華」と同じであり、「玉砕」などにつながる表現で、戦争の真実を曖昧にし隠蔽し美化する表現であった。そのような表現を使用しているところに「先の戦争」についての主権者国民の認識との違いが表れているといえる。また「追悼」という表現についてであるが、本来とは異なる意味をもたせておきながら、それを「曖昧」に使用し主権者国民を「ごまかして」いるように思われる。つまりそれは「戦死者を顕彰し、讃えている」にもかかわらず、それを「哀悼しているのか」のように思わせているという事である。この「追悼式」は、「追悼」という表現を「戦死者を顕彰し、讃える」意味で使用しておきながら「哀悼」しているように思わせているのではないかという事である。

 今後もこのような「式辞」を続けるというのであれば、もう止めていただきたい。このような問題は地方自治体が実施している「追悼式」や、その「式辞」においても同様に存在していると思えるがどうだろう。

(2020年8月22日投稿)

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第71回全国植樹祭(島根県):開催理念は「建前」、催しは「儀式」化、開催目的は皇室存在のアピール

2023-06-08 12:20:51 | 皇室

 2021年5月30日、島根県大田市北の原で第71回全国植樹祭が開催された。この「植樹祭」は、憲法で定められた「天皇の国事行為」ではない。天皇の「国事行為」を拡大解釈して開始(1950年吉田茂政権)したもので、法的には「非合法」で今日まで開催を強行し続けてきたもので、天皇皇室自身も積極的にその存在をアピールする事を目的とした催しと位置づけ、「公的行為(象徴行為)」と呼んでいるものの一つとしているものである。

 さて、今回の開催理由は「森林の循環利用」という事で、天皇は「人々が連携、協力する事により、植えて、育てて使い、また植えるといった『緑の循環』が広く実現する事を期待します」と述べたという。

 ところで、この天皇の言葉は、日本の木材需給の現状を正しく理解したうえでのものであるとは到底いえない。

 なぜなら、日本国は国土の3分の2が森林で、木材資源が豊富な世界有数の森林大国であるが、現実は世界有数の木材輸入国なのである。2018年時点で、日本国の木材需給状況は、国産材は32.4%で、他は米材16.3%、南洋(マレーシア、インドネシア)7.4%、北洋(ロシア)3.3%、欧州材8.0%、その他(ニュージーランド、チリ、オーストラリア、中国、ヴェトナム、その他)32.7%となっているのからである。

 今日の日本国の森林の約4割は、敗戦後の1940年代半ばから植林され成長してきた人工林(育成林)であり、その多く(33億㎥)は利用可能になっている。

 しかし、現実は世界有数の木材輸入国なのである。そこには様々な問題が存在するのである。それは、山村の過疎や高齢化の深刻な問題。そして、それにともなう林業離れによる林業衰退とそれを補う廉価な輸入木材に対する依存との悪循環である。

 ちなみに、2009年12月には農林水産省「森林・林業再生プラン」を策定し、10年後の木材自給率の目標を「50%以上」とし、2011年7月には「森林法」を一部改正し、「森林・林業再生プラン」を具体化したが、思い通りに進むかどうかの保証はないのである。

 天皇の言葉は、このような日本国の木材需給の現状を理解したものとは到底思えない「型」にはまった美辞麗句」であり、「植樹祭」がいかに林業問題の「深刻さ」を伝えず、儀式化・イベント化・皇室アピールの場化しているかを示していると考えるのであるがいかがなものでしょう。

(2021年5月31日投稿)

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韓国併合で伊勢神宮その他へ奉告勅使を派遣

2023-03-13 14:28:20 | 皇室

 韓国併合条約に関して、1910(明治43)年8月30日付東京日日新聞は、「併韓奉告祭 神宮其他へ奉告勅使」の小見出しで以下のような記事を掲載していた。

韓国併合発表に付き来る9月1日宮中賢所大前に於て奉告祭を行わせらるることとなり岩倉掌典長以下各掌典は式典準備に多忙を極めつつあるが更に伊勢神宮並びに大和神武天皇御陵・京都先帝御陵に奉告の為め勅使として掌典次長公爵九条道真氏を差遣わさるべき旨29日御沙汰あらせられたり 右に付き九条公爵は30日出発先ず伊勢山田に赴き1日午前豊受大神宮、午後皇大神宮に奉告し 翌2日大和に赴き3日神武天皇御陵に奉告し畢て同日京都に参向 4日先帝御陵に奉告の都合也と」 

 神聖天皇主権大日本帝国政府は、大韓帝国併合(植民地)支配するのあたり、国教としていた国家神道に基づき上記のように奉告祭を実施していた事がわかっている。

(2023年3月12日投稿)

 

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記紀の神代史は天皇支配正当化のための政治的創話とした津田左右吉の口封じをした神聖天皇主権大日本帝国政府

2023-01-05 06:20:25 | 皇室

 今日の学校における歴史教育において、敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府が自由主義的な学問研究に対して行った弾圧の教材例として、それも天皇(皇室)に関係した研究内容に対して行った弾圧例として取り上げられている人物に、津田左右吉がいる。

 阿部信行内閣時の1939年10月、極右思想の蓑田胸喜一派が、東大法学部に新設された東洋政治思想史講座へ出講した津田左右吉に対し、彼の著述の中に「大逆思想」があると騒ぎ立てた。その著述とは、『神代史の研究』(1924年)、『古事記及び日本書紀の研究』(1924年)、『日本上代史の研究』(1930年)、『上代日本の社会及び思想』(1933年)の4著(これらはいずれも米内光政内閣時の1940年2月発禁処分)であった。

 彼の主張は、古事記・日本書紀神代史は、建国の事情を述べた歴史でもなく史実でもなく、古代人の宇宙観を表現した神話でもなく、天皇(皇室)の由来と天皇(皇室)による日本統治の必然性、正当性を理由づけるための「政治的要求」から作り出された「政治的述作(創話)」であるというものであった。

 つまり、中国の歴史書である、いわゆる『魏志倭人伝』などの研究を踏まえて、日本の古代史について、「邪馬台国」や女王「卑弥呼」の存在などを学生に講義したのであるが、この事を体育会系の学生が官憲に通報した(チクった)のである。それを受けて神聖天皇主権大日本帝国政府は、津田を、翌年の1940年、出版法違反で起訴した。さらに東条英機内閣時の1942年には「皇室の尊厳を侵害した」として有罪とした。ちなみに、近衛内閣時の1940年11月には「紀元2600年記念式典」を実施した。

 しかし、津田の主張は今日の歴史学界の定説となっており、学校では正当な歴史として教育している。

 しかし、大日本帝国憲法に基づく神聖天皇主権大日本帝国政府が崩壊した後に成立した日本国憲法に基づく「日本国」政府においても、昭和天皇(皇室)は、いわゆる「人間宣言」(天皇を利用しようとした米国の意向と天皇制存続を目論んだ天皇との間で合意)で、「現人神」である事を否定するという形で、天照大神を祖とする神の裔」である事を守ったし、平成天皇(皇室)も自民党に支えられてそれを継承し、現天皇(皇室)も安倍自公政権に支えられて同様に継承している。そしてまた、GHQの占領政策である「神道指令」(1945年12月15日)により廃止を命じられたにもかかわらず、その古事記・日本書紀の神代史(加えてそれに基づいて樹立された、国家神道を精神的支柱とした神聖天皇主権大日本帝国政府が制定したが、日本国憲法制定により廃止された皇室令皇室祭祀令など)に基づいて、「神武天皇」を初代天皇と位置づけた「神武天皇祭」や、「神武天皇没後2600年祭」などを含む「宮中祭祀(皇室神道)」を継続している。このような天皇(皇室)の行為姿勢は科学的な歴史研究の成果を無視した行為である事はもちろん、憲法を蹂躙するものであり、主権者国民を愚弄するものであると言って良い。

 ちなみに、古事記・日本書紀に書かれている事は、天照大神から地上の支配権を与えられたその孫ニニギノミコトが九州に天孫降臨し、ニニギノミコトの曾孫に当たるカムヤマトイワレヒコが九州から大和に遠征し、初代神武天皇となり、その初代神武天皇からずっと前方後円墳がつくられている時代を通じて、さらに前方後円墳時代が終わってから100年後の律令国家の王者、つまり天武天皇に至るまで断絶する事なく、神の子孫である事を支配の根拠とする王家(天皇)が続いたというものである。

 最後に、津田左右吉が1946年に書いた天皇讃美の文章を紹介しておこう。

「二千年の歴史を国民と共にせられた皇室を、現代の国家、現代の国民生活に適応する地位に置き、それを美しくし、それを安泰にし、そうしてその永久性を確実にするのは、国民みずからの愛の力である」

(2020年3月23日投稿) 

 

 

 

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