3月26日の新聞に、「『2人産む』発言中学校長退職へ、再任用の更新辞退」の記事が載った。大阪市立茨田北中学校長の寺井寿男の事である。彼を退職するまでに追い込んだという事では大阪市民や国民の「意義申し立ての声や運動」が大きな影響効果を及ぼした結果と考えてよいと思う。何事でもおかしいと感じたら「声を上げたり、異議申し立てをしたり、反対運動をする事」が無駄ではない事を改めて確信する事が大切である。
寺井校長は昨春定年退職し再任用され、今春からの更新通知も昨年末に市教委が出していた。しかし、寺井校長自ら市教委に再任用更新の辞退を申し入れる書類を提出したという。しかし、校長は「今でも主張は間違っていないと思っている。ただ、教委や学校の業務に支障をきたし、生徒にも迷惑をかけた」と主張しているようだ。
つまり、彼は教育者としての自己の発言の問題性を未だに理解できていないという事で、辞めていただいて当然の事であると思う。
しかし、手放しで喜ぶ決着ではない。それは、この決着の仕方にはどういう背景があるかをよんでおかなければならないという事だ。
市教委は校長の退職を受け入れる方針である。市教委は懲戒処分も検討していたというが、過去の事例などと比較し「処分すれば公平性を保てない恐れがある」という理由で処分をしない方針のようだ。
「過去の事例と比較して」という事であるが、この発言の問題性は特に今日の安倍政権による主張や政治状況からみて、これまでの政治状態とは異なる。にもかかわらず、単純な「公平性」で処分をしないというのは、校長の発言内容が「安倍政権自民党」の主張している政策(憲法無視)を代弁したものである事からも、現状認識の疎さや勉強不足とか認識不足ではなく「憲法」を意識的に無視しているのである。つまり、大阪市教委(おおさか維新の会)、寺井校長、安倍自民党とが結託したうえでの決着の仕方であったと考えるべきだ。それらの間で決着の仕方を検討した結果、大阪市教委の「校長選任責任」を回避し、安倍自民党の政策を否定しないスタイルをとるために、校長に対し市教委が処分しないという条件で自ら退職させる(尻尾切り)事を納得させたとよむべきであろう。だから、校長は「自説を曲げず、生徒の事は重きを置かず後回しで、教委の業務に支障をきたす事」を辞職の理由としているのである。
大阪市教委は現在、「君が代・日の丸」不起立という事で「再任用」申請を拒否されている教員がいる。この事と寺井発言問題とどこがどう違うのか。市教委に説明責任を回避させる事を許さず追及する必要がある。私は寺井こそ処分に値し「再任用」しないのは当然で、辞職の形ではなく市教委側から退職を命じるべきであると考えるがどうだろう。このように考えざるを得ないほどに、教育に携わる人間の間で憲法は無視されているのである。