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原発事故処理に再生エネルギー普及に使う税金(エネ需勘定)の流用を狙う安倍自公政権

2020-06-09 10:29:45 | 原発

 安倍自公政権は、特別会計法の改悪案を国会に提出し、東京電力・福島第一原発の事故処理費用を、再生可能エネルギーや省エネなどの財源から流用できるようにしようとしている。主権者国民はこのような手法を絶対に認めてはいけない。

 改悪案は、エネルギー関連予算を管理する「エネルギー対策特別会計」(エネ特)のルールに対する異例の変更を狙ったものである。エネ特には再生可能エネの普及や燃料の安定供給などに使う「エネルギー需給勘定」(エネ需勘定)と、原子力政策に使う「電源開発促進勘定」(電促勘定)など目的外使用を禁じた財源(税金)があるが、これまでその「エネ需勘定」の財源(石油石炭税)を「電促勘定」に繰り入れて原発関連にも流用する手法を合法化しようとするものである合法的に「流用」できるようにしようという魂胆である。

 では、なぜ電促勘定から支払おうとしないのか。なぜ、他から流用しようとするのか。これまで東京電力に関する事故処理費用については、すでに2014年度から汚染土などの中間貯蔵事業費は安倍自公政権が東京電力の肩代わりをして、エネ特のうちの原発の立地対策などに使う電促勘定から支払ってきている。ところがその支出額は当初より大幅に増えており、今後も、福島原発の廃炉費用はもちろんであるが、高速増殖原型炉もんじゅの廃止措置などにも莫大な費用がかかる事が予想されている。

 しかし、「電促勘定」の財源は電気料金に上乗せしている電源開発促進税であるため、これを増税していく事は、主権者国民の反発が十分に予測できるためできないのである。そのため考え出したのが、安倍自公政権の常套手法となっていると言って良い「禁じ手を使う」という手法であるが、これまで前例のない事である「エネ需勘定」を「原子力政策」に「流用」できるよう法改正(改悪)をし、「流用」を合法的にできるようにしようという事なのである。

しかし、選りによってまた、再生可能エネルギーの普及や燃料の安定供給に使用する財源(石油石炭税)をなぜ原子力政策流用しようと考えるのだろう。ここに安倍自公政権のエネルギー政策の本音が顕わになっているのである。それは世界のエネルギー政策の流れをまったく無視した考え方であり、原子力に関わるものの利得だけを考えた手法であると言って良い。

 法案は、「エネ需勘定」の財源(石油石炭税)を一時的に「電促勘定」に繰り入れて原発関連にも使えるようにし、将来的に繰り戻すと定めている。しかし、その事によって、「エネ需勘定」でよって実施する「再生可能エネルギーの普及や燃料の安定供給など」の事業費が減額される事になり再生可能エネルギー事業停滞遅滞するのは火を見るより明らかである。安倍自公政権はあくまで「原子力」に重点を置いているという事である。

 また安倍自公政権は、具体的な「繰り入れ」や「繰り戻し」については、「今の時点で決まっていない」(財務省)、「現時点で明確にする事は困難」(経産省)などといった無責任非常識としか言いようのない発言しかしていない。この意識は「何時いくら使うか、何時いくら返すか分らんけど、原発関連に使うから、俺を信じて金貸してくれ」と言ってるようなものである。一時的な借金なので問題ないというが、そんな保証があるとは信じられない。政治は現実的に行われなければならない。安倍自公政権は永久に続くという傲慢な意識を持っているのだろうがそんな事はあり得ない。その時この責任はだれがとるのか。「繰り戻し」(返済)をするつもりさらさらないだろう。「借金踏み倒し」「食い逃げ」の意識としか思えない。また、この改悪法案は周到にも野党が反対しにくいように、他の4法案と計5法案を一括して審議採決する手法をとっている。これも安倍自公政権の常套手法であるが彼らの狡猾さ腹黒さが表れているのである。安倍自公政権の政策はどれもどこまでも安倍ファミリー中心主義で主権者である国民の利益はさらさら考えていないのである。また、安倍自公政権の政治姿勢は徳川幕府や神聖天皇主権大日本帝国政府と同じで、「よらしむべし、知らしむべからず」で一貫しているのである。ついでに付け加えると、「百姓(=主権者国民)は生きぬように死なぬように」「百姓(=主権者国民)とゴマの油は搾れば搾るほどとれるものなり」という姿勢も有している。

 このような安倍自公政権の姿勢からみて、この改悪法案は、「借金踏み倒し」の恐れが十二分に予想できる典型的なケースと考えるべきで、主権者国民にとっては決して認めてはならないものである。安倍自公政権には、主権者国民に対する「責任感」はないのである。

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時の記念日に思う元号法・天皇制:朝日新聞「2019年元日から新元号、改元へ準備期間設ける」は退位特例法と新元号受け入れさせる世論操作

2020-06-09 10:07:08 | 皇室

以下は2017年1月17日に投稿したものに加筆修正したものです。

 朝日新聞は2017年1月11日に「2019年元日から新元号」「改元へ準備期間設ける」という特大見出しの記事を載せた。

 記事は「天皇陛下の退位を巡り、政府は2019年1月1日に皇太子が新天皇に即位し、同日から新たな元号とする方向で検討に入った」とし、「政府は一代限りで退位を可能とする特例法案を、春の大型連休前後に国会提出する予定。特例法案には退位の日付を明記せず、三権の長や皇族らでつくる皇室会議で決定し、政令で定める方向だ」との事。また、「今月20日に開会する通常国会で特例法案が成立すれば、来年前半までにも、退位の日付を発表する日程を想定している。退位の日程を踏まえて事前に新元号も発表し、一定の準備期間を経て改元することも検討。」との事。

 また、14日には今度は大見出し「新しい元号 選定大変」の記事を載せた。この両日の記事では、新聞社としての批判やコメントは一切していない。ここから受ける印象は、政府はすでに「特例法」が成立したものと考え退譲位の日程や新元号についての検討を進めているし、新聞社はこの特例法案や新元号事前発表について、自らは何の疑問も示さず、国民に対してはこれを受け入れるのは当然の事であるかのような書きぶりである。さらにまた、政府と新聞社は一体となって、「国民生活への影響を最小限に抑えるため」と耳障りの良い、国民生活に配慮していると思わせる理由を強調し、納得させ、世論を、特に若者の意識を誘導し、成立させようとしていると考えてよい。

 「特例法」は成立していないのである。退位を定める法律は存在してしないのである。国民の意思を無視した態度であり、傲慢そのものである。

 元号は、元号法(1979年6月公布)を所管する内閣府大臣官房総務課によると、「元号の使用は義務ではなく、国や自治体は慣例や継続性を重視し、元号を使う事が多い」という。

 元号法は1979年2月、大平内閣により提案されたが審議は難航し、成立まで4カ月か掛かった。それは、元号の法制化はその使用の強制につながるのではないかという点であった。しかし、政府は、「国民に新元号の使用を義務づけたり強制したりする考えはない」と強調し、法成立時発表の総理府総務長官の談話でも、公的機関の窓口では「(元号を使うよう)国民各位のご理解とご協力を要望するが、あくまで協力要請という事であり、西暦で記入されたものも適法なものとして受理される事はいうまでもない」と明言した。

 にもかかわらず、今回の安倍自公政府の動き、姿勢、つまり、「改元への準備期間を設ける」という事は、「新元号の使用」を強要する意図がある事は明白で、上記の「元号法」の趣旨に明らかに反するものといえよう。

 なぜ、安倍政府が「元号の使用」にこだわっているのかといえば、『自民党憲法改正草案』には、第1章「天皇」の第4条に「元号」が新設してあり、「元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する」と規定しているからである。「生前譲位」や「特例法」は、安倍政権と天皇家とによって相互補完の形で極めて巧妙に仕組まていると考えるべきである。

 さらに、元号法では「元号は政令で定める」、つまり、「政府が元号を定める」と規定しているが、安倍自公政府が元号にこだわる理由にはその「歴史的意味」にもある。

 今日、元号を使用している国は日本国だけであるが、元号は元来中国の皇帝であった漢の武帝がはじめて定めたもので、この世の時間や空間の一切を支配する権力の象徴として、その使用をその国民や属国にまで強制したもので、これを使用するという事は、皇帝の権威に服従する事を意味し、反対にこれを使用しないという事は、その支配に服さない事を意味し、皇帝に対する反逆とみなされたのである。

 日本史上においても同様な意味で、天皇によって元号が制定され国民は使用を強制されてきた。しかし、敗戦後は、GHQの民主化政策によって、元号の法的根拠であった旧皇室典範と登極令が廃止された事と、1946年に政府が現在とほぼ同様の法律を立案したがGHQに反対されて実現しなかったのです。そのためそれ以降、政府や自治体や公的機関では元号は法令に基づいてではなく慣例として使用してきたのであり、国民はそのような体制の下で厳密には使用させられてきたのである。しかし、大日本帝国を理想の国家とし回帰を目指す自民党は佐藤栄作内閣時に成立させた1966年「建国記念の日(2月11日、敗戦までは紀元節)」につづいて、大平内閣時には念願であった「元号法」も成立(1979年)させたのである。さらに、この帝国への回帰をめざす自民党は、1990年、新憲法初の即位の礼、大嘗祭実施、1999年「国旗・国歌法」の成立へと進めてきたのである。

 そして現在、現行憲法を廃止して大日本帝国憲法と同質の天賦人権思想を否定した『自民党憲法改正草案』を新しく日本の憲法とする事を目指しているのである。

 憲法が改正(改悪)された場合、「元号」は本人の希望によって使用できるものではなくなり、「強制」的に使用させられると思わなければならないのはもちろんであるが、今回の「新元号事前発表」は同調圧力を利用して国民に「新元号」を使用させるための権力を利用した「強制」戦術なのである。

 1979年の元号法案審議で内閣法制局の真田秀夫長官が「上司が元号で公文書を作れと職務上の命令を出せば、それに従わなければならない。従わなければ懲戒という事も理論上ありうる」と答弁していたが、後に現実となった。それは、1987年1月、広島県教育委員会が県立学校について、卒業証書を含めた公文書の年表表示を元号にするよう学則の施行細則などを改正、各校に実施を指示したが、同年3月の卒業式では54校が西暦で書いた卒業証書を出したため、各校の校長が文書訓告処分を受けた事に表れたのである。

 今日、国旗・国歌法」(1999年8月成立)に関して、不起立を職務命令違反として処分する事が合憲と見なされているのと同様の事態がすでに生じていたのである。処分する事自体が違法で間違っているとともに、主権者国民としては国際化の時代に「元号」は不必要であるのだ

 「新元号の事前発表」を「国民生活への影響を最小限に抑える」ためと報じているが、それは安倍自公政権が、「国民生活に配慮したやさしい政府」を装って偏狭な自己の理想とする国家への回帰を実現しようとするための「口実」「大うそ」に過ぎないのである。

 安倍自公政権は詐欺を常套手法とするという理解があれば、納得できるだろう。「気をつけよう甘い言葉と安倍自公政権」

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