初詣は、古代から続く日本の伝統文化であるように思っている人が多いが、それは大きな誤解である。実は神聖天皇主権大日本帝国が20世紀(1901年~)に入ってから、国家神道の浸透とともに、都市に住む人々において広まったものである。ちなみに、江戸時代の正月は「寝正月」といわれた過ごし方をし、基本的には出歩かず、家の中で静かに迎えるものであった。年神は恵方からやって来ると考えられていたのである。
明治維新後、神聖天皇主権大日本帝国政府の成立により、小学校や官庁から、皇室の元日行事「四方拝」に合わせた元日儀礼が始まった。子どもたちは元日から登校するようになった。官製の儀式と太陽暦施行から始まった正月元日の意味が、それまでの正月の社寺参詣を元日に収斂させ、人々は元日から出歩くようになった。恵方からやって来る年神を迎える習慣から、恵方にある神社に参詣する方がご利益があると考えるようになった。
20世紀になると、東京・京都をはじめとする都市において、正月元日から官幣大社などに参詣する初詣が大衆的な定着をみせた。初詣という言葉もこの頃から使用され始めた。鉄道会社も大衆の娯楽として神社とタイアップして初詣の宣伝を繰り広げた。
神聖天皇主権大日本帝国の精神的支柱として位置づけ作られた天皇教(国家神道)の国民への刷り込みも、初詣の広がりに大きな影響を与えた。そしてさらに、神道に相応しい国民的儀礼として、神前結婚・七五三詣・地鎮祭なども整えられた。またこれらの儀礼が神社の重要な財源となった。
(2020年1月7日投稿)