映画「君の名は。」の主題歌であったロックバンド「RADWINPS」の「HINOMARU」の歌詞が問題視された。フジテレビのサッカーワールドカップのテーマソング「カタルシスト」のカップリング曲として2018年6月6日に発売したものだ。「さあいざゆかん 日出づる国の 御名の下に」「気高きこの御国の御霊」「たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代にさあ咲き誇れ」などというものだ。
批判を浴びてボーカルの野田洋次郎氏がインスタグラムで見解発表した。それは「日本は自分たちの国のことを声を大にして歌ったりすることが少ない国に感じます」「純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました」というものであったため、批判抗議はさらに激しくなり、「軍歌のようだ」との指摘に対し、野田氏はツイッターで「そのような意図は書いていた時も書き終わった今も1ミリもありません」と否定した。しかし同時に、「戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと腑に落ちる部分もありました。傷ついた人達、すみませんでした」と謝罪した。
上記のような「歌詞」の歌を発表したり、それへの批判に対して「意図したものではない」とする「弁明」「謝罪」をするこの手法は、人気を手っ取り早く手にしたい歌手や、人気が堕ちた歌手や自分を(歌う意味を)見失った歌手が、それにもかかわらず再び自分に光が当たり注目されようとして、つまり、故意に計算づくでよく使う手法である。上記の野田氏の見解や弁明は、本来「歌う」という行為自体が、自己の価値観宗教観人生観世界観思想信条などを人に「訴える」という事であるにもかかわらずそれを否定し認めていないのは国民を欺くためである。彼の「歌詞」は自己の価値観宗教観人生観世界観思想信条などを明確に訴えている。そして、このような「歌詞」は戦前の軍歌や「神道」を国教とした神聖天皇主権大日本帝国政府が子どもや大人に国家主義や軍国主義侵略主義を植え付け洗脳するために強制した、国民学校音楽科の「歌」や他の色々な「歌詞」を知らずしては作れない代物である事も明白である。
例えば、国民学校初等科音楽二(昭和17年)で教えられた『靖国神社』(作詞不詳)の「歌詞」は、
1、ああ たふとし(尊し)や 大君に 命ささげて 國のため
たてし勲は とこしえ(永久)に 光りかがやく 靖國の神
※靖國の神…天皇の命令で戦場に送られ戦死した国民の事。
2、ああ かしこし(畏し)や 櫻木の 花と散りても 忠と義の
猛き御霊は とこしえに 國をまもりの 靖國の神
というものであり、意味する内容は「HINOMARU」とほとんど同様である。
『進め一億火の玉だ』(作詞 大政翼賛会 昭和17年)の「歌詞」は、
1、行くぞ行かうぞ ぐゎんとやるぞ 大和魂だてじゃない
見たか知ったか底力 こらへこらへた一億の
かんにん袋の 緒が切れた
2、靖国神社の 御前に 拍手打ってぬかづけば
親子兄弟夫らが 今だたのむと声がする
おいらの胸にゃ ぐっときた
3、さうだ一億 火の玉だ 一人一人が決死隊
がっちり組んだこの腕で 守る銃後は鉄壁だ
何がなんでも やり抜くぞ
進め一億火の玉だ 行くぞ一億どんと行くぞ
というもので、これも意味する内容は「HINOMARU」とほとんど同様である。
また、該当する人が国民の一部であるかのような「傷ついた人たち、すみませんでした」という「謝罪」の言葉も、「HINOMARU」の「歌詞」は野田氏にとっては傷つくものではなく(それとは正反対に「誇り」を表現している)、彼が事実と異なる大日本帝国の歴史を理解をしている事や思考が浅薄である事を表している。そのため、この手法が良いか悪いか罪であるか罪でないか、また、上のような「歌詞」が意味する価値観が国民に良い影響を与えるか悪い影響を与えるかなど、つまり、彼の「国家神道」を賛美する「歌詞」による洗脳の影響をまったく考慮せず、その「歌詞」を発表した自らの責任の重大さも自覚していないのである。その「歌詞」は、ただ上記のような歌手としての自分(たち)の事情のためだけに作り(もちろんその裏に政治的な力が働いていると考えるのは常識である)、「売れる」事だけを考え願った結果の代物だと言って良い。それは、「傷つけた人」と表現せず、加害者意識に欠け「謝罪意識」を感じさせない「傷ついた人たち」という表現に表れている。
デュオゆずの「ガイコクジンノトモダチ」の「歌詞」の「TVじゃ深刻そうに 右だの左だのって だけど君と見た靖国の桜はキレイでした」という内容も「HINOMARU」と同様の批判を受けたが、これは「桜」を「美しい」と表現するのにあえてなぜ「靖国神社」の「桜」を取り上げたのかという点が問題であり、靖国神社の存続(国営化)や閣僚(安倍自公政権)の公式参拝を問題視するメディアや国民の批判を他人事のように関係のない不可解な事として軽視し愚弄し、靖国神社に対する国民の否定的な理解やこだわりを変えさせよう捨てさせようとする役割を担っている点が問題である。
彼らの考え方や「歌詞」は安倍自公政権と同質であり、政権を支えるものであるとともに国民の意識を「安倍政権支持」の方向へ誘導洗脳する役割を果たすものである。
89歳の朝日新聞「オピニオン」の投稿者(2018年6月25日分)は、彼の特攻隊であった経験体験をもとに訴えている。その言葉こそ大切にしたい。
「これは愛国の歌ではない。滅びる国と共に死ぬ事を美しいとしている。陶酔する者の死の歌である。本来、国が栄えゆく時、このような不吉な死の歌は生まれない。生命の歌を歌え!平和の歌、憲法の歌を……」
(2018年8月4日投稿)