参院選が7月4日に公示された。自民党と公明党などの与党は「政治の安定」という言葉を最も力を込めてアピールしている。自民党総裁安倍晋三氏は、自己の政党がさも「善人集団」であるかのように思い込ませるために、今は存在しない民主党を、「政治の安定」を害する「極悪人」であるかのように仕立て罵倒非難し、過去に所属していた人間を貶め、民主党にトラウマを持つ国民有権者に対し「フラッシュバック攻撃」し、そこから抜け出せないような「攻撃」手法を強めている。これは「信頼」をえるために「理解」をしてもらう努力をするという誠実な手法ではない。このような手法を使って政権維持をしているのが自民と公明なのである。
安倍氏は、「あの時代に逆戻りするわけにはいかない。与党でしっかりと力を合わせて、政治の安定を確保していきたい」としつこくアピールしている。山口氏は、「日本の政治の安定のためには連立政権に公明党がなくてはならない」と同様なアピールをしている。大阪では太田房江氏が、「安倍政権になってからこの国が立ち直ってきた……この道を続け、自民党の政策実現力で一つ一つの政策を前に進める事が一番重要だ。そのためには政治の安定が不可欠で、野党にこの国の政治を任せる事はできない」とアピールしている。
安倍氏は、なぜ力を込めて「政治の安定」を望み、主権者国民に強くアピールしているのだろうか。それは、彼の最後の仕事としている「憲法改正(=憲法改悪)」を実現するためであり、とりあえずは「憲法に自衛隊を明記するという事」なのである。彼はこの実現のために主権者国民を粘り強く説得しようとはさらさら考えていない。どうするか?3分の2を超える議席数を確保しておこうとしているのである。そういう状況を作っておけば、それを自己正当化の根拠として、国会審議は形だけのものにし、少数のため無力化した野党に手こずる事もなく無視もでき、絶対多数の数の力にものを言わせて強行採決する事が可能となるという事を狙っているという事である。
もちろん、何もかもが自民党の思い通りやりたい放題となる。ファシズム体制の国家を作る事もである。自民党の「改憲草案」はそのような内容となっている。
主権者国民は今こそ目を覚まさなければ、自己の心魂精神さえ思い通りにならない社会国家に変貌する事によって驚かされるだろう。それはかつての神聖天皇主権大日本帝国下の奴隷的国民の姿に逆戻りさせられる事を意味する。当時の国民は貧しい生活を当然の如く強いられたものであった。そのため、日々より良い生活を求めていた。為政者はずる賢く、その奴隷的国民の思いを「侵略戦争」の「兵隊」として利用する事によって、自己の権力を強化し財産を肥やそうとしたのであった。安倍自公政権を甘く見ていていけない。彼はその神聖天皇主権大日本帝国を理想の日本の姿であると思っており、それへの回帰を自己の課題であると思い込んでいるからである。
より良い価値観(人権尊重)に基づかない政権の政治は、真により良い国民生活をもたらさない。我々主権者国民大衆は経済的に苦しい生活の中でも、冷静に広く長い目で物事を判断する事に心がけ、耳障りの良い金もうけだけに夢を与える政権には騙されないように気をつけなければならない。安倍自公政府は、政府自体が甘言を尽くす悪徳投資会社に変貌しており、主権者国民はその政府に騙されている状況であると言って良い。もう目を覚まさなければ、主権者国民大衆は彼らに利用されるだけされて、彼らにとって役に立たなければ廃棄されてしまう事になるだろう。金儲けだけのために心魂を他人に売った者に真の幸せと満足はもたらされない。
安倍自公政権下で、主権者であるはずの国民は、世界史上のローマ共和制末期から帝政時代に、有力者為政者によって「パンと見世物(パンとサーカス)」を提供され、またそれによって飼いならされた無産市民と同じような状況に置かれていると思われる。「パン」とは「食糧」で、現在ではそれを手に入れるための「仕事」、「見世物」とは「サーカスや戦車競技や奴隷剣闘士の闘い」などで、現在では「主権者国民大衆に提供される娯楽(見世物興行)全般」であり、権力を狙う有力者が市民の人気を獲得しようとして提供したり、為政者が「政治の安定」を狙って提供したのであるが、安倍自公政権はこれと同様の手法をとっていると考えて良い。
人はパンのみにて生きるに非ず、という言葉の意味に今一度改めて思いを致し、参院選で誰をどの政党を選ぶべきか決める事が重要だ。棄権する(自民党と公明党を支持する事と同じ効果を持つ。いじめの加害者を幇助する傍観者と同じ行為)というような、自分の意見を持たず、社会や歴史に責任を持たず生きるような「ずるい」生き方をすべきではない。そんな人間は誰からも信頼を得る事はできないし、人間として成長発展する事もできない。
(2019年7月11日投稿)