関東大震災においては、神聖天皇主権大日本帝国陸軍が1日即座に事実上の「戒厳令」(正式には2日)を発令し、政府内務省も朝鮮人虐殺報道を禁止した。そのためもあって、政府が報道を解禁する同年10月21日になってやっと新聞は自警団などによる朝鮮人に対する暴行虐殺を報道した。しかし、そのような状況下で、すでに3日の時点で小牧近江らのプロレタリア文学雑誌『種まく人』は、「帝都震災号外」を発行し、自然災害においても貧困者の多くが最も悲惨な目に遭う事や、軍隊や警察、自警団(在郷軍人、青年団など)などによる朝鮮人に対する暴行虐殺について、政府が国民に対してまったく釈明をしない事について厳しく抗議していた事を忘れてはならない。それは、
「震害地に於ける朝鮮人の問題は、流言飛語として政府側から取り消しが出たけれども、当時の青年団その他の、朝鮮人に対する行為は、厳として存在した事実である。悲しむべき事実である。呪詛すべき事実である。憎悪すべき事実である。拭うても拭うても、消す事のできない事実である。震災と共に起こった、こうした事実を目の当り見せつけられた僕たちは、出来るだけ冷静に、批判考究、思索の上、僕たちの立場からして敵味方を明確に凝視する必要を感ずる。果たしてあの、朝鮮人の生命に及ぼした大きな事実は、流言飛語そのものが孕んだに過ぎないのだろうか?流言飛語そのものの発頭人は誰であったか? いかなる原因で、その流言飛語が一切を結果したか? 中央の新聞は、青年団の功のみを挙げて、その過を何故に責めないか? 何故沈黙を守ろうとするのか?」というものである。
※歴史は語らなければ、なかった事にされてしまう。権力の横暴との闘いは自身の記憶(記録)との闘いである。
(2019年2月16日投稿)