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中山義隆石垣市長:「つくる会」系採択をくわだて八重山教科書問題を引き起こし、コロナ禍下でキャバクラ会食

2023-09-17 09:08:57 | 新型コロナ感染症

 沖縄県石垣市中山義隆市長が、2021年2月2日、宮古島市長選(2021年1月17日投開票)の候補者応援のため同市を訪れた際、地元の支援者とキャバクラなどで会食していた事を明らかにした事を、翌日メディアが報じた。

 中山氏は2018年、自民、公明、維新の会、幸福実現党の推薦により、市長の3選を果たした。県内9市の保守系市長で構成した市長連合「チーム沖縄」のメンバーである。中山氏についてこれまで特に印象深い事は、市長初当選の翌年2011年に引き起こした、八重山地区において「つくる会」系の教科書採択をもくろんで引き起こした八重山教科書問題である。

 今回はコロナ禍下で、中山石垣市長自らが市民に要請した自粛期間中に、宮古島市キャバクラなどで会食をしていたのである。

 2021年1月6日の記者会見で「明日1月7日から1月20日までの2週間は、不要不急の外出を控えていただき、マスクの着用、手洗い、うがい、手指の消毒を徹底してください」と述べるとともに、島外での飲食などに注意を促していた。1月12日には沖縄県立八重山病院の病床逼迫を受け、「状況としては『医療崩壊危機宣言』だ」として、不要不急の外出自粛を1月末まで延長していた。

 中山氏はその後、1月17日投開票の宮古島市長選に立候補した下地敏彦氏を応援するため、1月15日から17日まで宮古島に滞在し、15日と16日、選対関係者らと居酒屋やキャバクラなど5軒で会食したという。1月27日、宮古島市は新型コロナの爆発的な感染により、公園や図書館など公共施設を閉鎖するとともに市民の外出、島外への移動、観光客らの来県の自粛を要請した。沖縄県立宮古病院はコロナ対応に集中するため、一般外来を中止するに至った。

 宮古島での接待付き飲食が発覚したのは2月1日。中山氏はメディア記者から「会食したのはキャバクラではないか」と聞かれ、「スナックだ。キャバクラではない」と否定し、「僕は基本的なキャバクラの認識は、女の子がミニスカートで隣に座ってもも触ったり、肩を抱いたりするようなお店。そういう店ではない」「県の緊急事態宣言前の事だから問題ない」と釈明したり、「誤解を与えるような行動になった事への批判は真摯に受け止める」と述べたともいわれる。

(2021年2月21日投稿)

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改訂版:日の丸・君が代は国家神道(天皇教)のアイテムだ!要請は信教の自由を侵害する憲法違反だ!

2023-09-14 08:58:13 | 国旗・国歌

 2015年4月に、「適切な対応を要請したい」と表明していた安倍自公内閣の下村文科相が6月16日、東京都内であった国立大学長会議で、全86の国立大学長らに対して、卒業式や入学式で、国旗国歌について「取り扱いについて適切にご判断いただけるようお願いする」「ただし、学習指導要領に基づいて実施を指導してきた小中高校とは異なり、各国立大学の自主的な判断に委ねられている」と述べた。記者団の「適切な判断とは国旗を掲揚し、国歌を斉唱する事か」という質問に応え、「文科省としてそういうお願いをした」「最終的に各大学の判断。大学の自治とか学問の自由とかに抵触するような事は全くない。介入ではない。お願いしているだけだ」と答えた。(4月安倍首相は、参院予算委員会で、国立大に税金が投入されている事を理由に、国旗掲揚国歌斉唱が「正しく実施されるべきだ」と述べた。教育再生実行会議委員の麗澤大教授・八木秀次(日本会議)は「学問の自由への介入ではない、小中高では学習指導要領で浸透したのに、多額の税金が投入されている国立大があえてしないとしたら国立大とは一体何なのか、国旗は日本の大学を示すシンボルに過ぎず、教育研究への介入とはとらえ難い」と主張。)

 6月15日、安倍自公政権文科省の有識者会議が、「国立大学改革」の一環として国立大への「運営費交付金の配分」見直しを決定したが(この見直しの発想に問題があるが、人文社会系学部の廃止の発想と同じであるが)、彼らはこの交付金の配分見直し」と「要請」をリンクさせている。掌握している権力を恣意的に利用し(私物化)、表面的には「自主的な判断を」とか「お願いしているだけだ」と言ってるが、本音では「言う事を聞かないのなら金はやらないぞ」という「脅し」をかけて、強要している。この手口(麻生副首相の言葉)は陰険な嫌がらせや制裁をちらつかせて認めさせるやくざの手口」と同じであり、民主主義政治では許すべき事ではない。敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国では権力側為政者の常套手段であったが、安倍自公政権ワールドはその時代錯誤の体質を強くもっており、放置できない。彼らは2018年度から小中学校の「道徳」を正式教科としたが、今回の「要請」(強要)を見ても、生徒に国民に対し「道徳をうんぬんする資格」を有しているとは思えないし、他の政策(安保保障法制)の審議姿勢をみても国民の権利と幸福を保障しなければならない事を使命とする「為政者としての資格」を有しているとは思えない。

 彼らはまた、「要請」について「大学の自治とか学問の自由とかに抵触するような事は全くない。介入ではない」(下村)とか「日本の大学を示すシンボルに過ぎず、教育研究への介入とはとらえ難い」(八木)と主張するが、このような要請(強要)は憲法第23条の「学問の自由はこれを保障する」事を侵害しているし、改正教育基本法第7条「大学」にうたう「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供する事により、社会の発展に寄与するものとする」②「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない」という事を無視したものである。まさしく強要」であり「介入」以外の何物でもない事は明白であるし、そもそも「お願いする」というような表現をする類の事柄ではない重要な事柄である。しかし、それを無視し正当な事として「要請」するというところに、彼ら安倍自公政権ワールドがいかに民主主義を尊重していないかが証明されているし、「民主主義を大切に思う国民」にとって危険な集団であるかを感じさせる。

 さらに、今回の「要請」を「強要」「介入」「憲法違反」として批判・抗議・阻止しなければならない根本的な理由は、安倍自公政権ワールドが「国旗掲揚・国歌斉唱」を強要する本当の目的を許すわけにはいかないからだ。 

 安倍自公政権ワールドはひた隠しにしているが、それは国旗=日の丸」「国歌=君が代が明治から敗戦までの間、学校教育や国民教化において恐ろししい力を奮っていた天皇教(国家神道)」の宗教アイテムだったからである。キリスト教でなぞらえるならば、国旗は「天照大神をシンボライズしたもので「キリスト像」にあたり、国歌は「天皇を讃える歌で「讃美歌」にあたるものであったからである。ちなみに、キリスト教の経典「聖書」にあたるものは、「教育勅語であった。安倍自公政権ワールドは神聖天皇主権大日本帝国への回帰国家神道の復活を目指しているが、この実施率の多寡が、かつての敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国と同様に、彼らにとっては国民に皇国臣民としての自覚を持たせる指導の成果を測る指標となるのである。そのために彼らにとって絶対譲れないものが「国旗掲揚」と「国歌斉唱」の例外を認めない強要なのである。安倍自公政権ワールドは、神聖天皇主権大日本帝国への回帰天皇教(国家神道)の復活という目的を、国民にウソをついて騙し、「やくざの手口」を使い達成しようとしている。

 以上の事から分かるように、安倍自公政権ワールドが「国旗掲揚」と「国歌斉唱」を「強要」するという事は、国家権力が「国家神道」という宗教を「強要」する事であり、憲法第20条「信教の自由を「侵害」するものなのである。また、改正教育基本法第15条「宗教教育を侵害するものなのである。

⇒憲法第20条「信教の自由」➀信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加する事を強制されない。③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

⇒改正教育基本法第15条「宗教教育」②国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教活動をしてはならない。

 この安倍自公政権ワールドに対して、民主主義政治を尊重する立場に立つ者としては当然の事ながら、抗議し阻止しなければならないという事になる。闘いを挑まれた、大学教員や弁護士ら計216人が呼びかけ人となり、「国旗に正対しての国歌斉唱は国家への忠誠を誓わせる儀式で、大学に要請するのは言語道断」とする声明が発表され、6月10日、文科省に提出されるなど各地で抗議の動きが巻き起こっている。

 安倍自公政権ワールドは、日本のすべてを永遠に私物化する事をめざしているが、我々は独裁政治をする安倍自公政権ワールドに、日本の自然や郷土や国家、生活や人生や命を委ね任せるわけにはいかない。内閣総辞職、衆議院解散、政権交代を目指そう

(2015年7月4日投稿) 

 

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関東大震災下、朝鮮人暴動のデマ「流言蜚語」発信の主導的役割を果たした海軍船橋送信所

2023-09-12 16:14:49 | 関東大震災

 関東大震災下、「朝鮮人暴動を起こしている」というデマ流言蜚語」の発生で、主導的役割を果たしたのは海軍船橋送信所からの発信であり、そのデマを全国に広め、「厳密な取締を指示」したのが、内務省警保局長・後藤文夫であるという。

〇9月2日午後8時20分 船橋 発電

「騎兵20名、7時半警戒の任につきつつあり、附近鮮人不穏の噂。」

〇9月2日午後8時28分 海軍大臣宛  横鎮長官発

「本日午前11時横浜着警備艇の状況報告の要領左の如し。

一、1日午前11時58分激震防波堤税関を破壊し全市の家屋倒壊し、爆発所々に起り不逞鮮人の放火と相俟て全市火の海と化し、死傷数知れず。」

〇呉鎮副官宛打電  9月3日午前8時15分了解  各地方長官宛  内務省警保局長 出

「東京附近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地において十分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし。《この電報を伝騎にもたせやりしは2日の午後と記憶す。当時の衆人の印象はかくの如かりしなり。事後又は他地方の人には考えも及ばざるべし。》

〇鎮海要副官宛  9月3日午前8時30分了解  朝鮮総督府警務局長宛  内務省警保局長 出

「東京附近の震災を利用し、在留鮮人放火、投擲等、その他の不逞手段に出んとするものあり。既に東京府下には、一部戒厳令を施行せるを以て、この際朝鮮内、鮮人の動静については厳重なる取締を加えられ、且内地渡来を阻止する様、御配慮相煩度。」

〇呉鎮副官宛  9月3日午後0時10分了解  山口県知事宛  内務省警保局長 出

「東京附近震災を利用し、内地在留鮮人不逞の行動を敢てせんとし、現に東京市内においては放火をなし、爆弾を投擲せんとし、頻に活動しつつあるを以て、既に東京府下に一部戒厳令を施行するに至りたるが故に、貴府においては内地渡来鮮人についてはこの際上陸を阻止し、殊に上海より渡来する仮装鮮人については充分御警戒を加えられ、適宜の措置を採られ度。 

 9月3日午後4時30分船橋発電

 船橋送信所襲撃の虞あり至急救援頼む、騎兵1ケ小隊応援に来る筈なるも未だ来らず。

(2023年9月12日投稿)

  

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関東大震災下に東京日日新聞が流言報道

2023-09-12 10:47:29 | 関東大震災

 東京日日新聞は1872年2月創刊。74年に福地源一郎が入社し、新聞論調は政府支持へ。81年に福地が社長となり完全な御用新聞となり、政府系新聞として終始した。1911年に大阪毎日新聞社に買収され、43年には政府の新聞統合政策により毎日新聞となった。

 吉野作造『朝鮮人虐殺事件』には、東京日日新聞(16867号)の、関東大震災下における流言飛語の原型の例証として東京日日新聞(16867号)の記事を挙げている。以下に紹介しよう。

『「火をのがれて生存に苦しむ牛込」「雨と火と朝鮮人との三方攻め」という題下にて、次の如き記事が載せてあった。「火に見舞われなかった唯一の地として残された牛込の(9月)2日夜は、不逞鮮人放火及び井戸に毒薬投下を警戒する爲め、青年団及び学生の有志達は警察、軍隊と協力して、徹宵し、横丁毎に縄を張って番人を附し、通行人を誰何する等緊張し、各自棍棒、短刀、脇差を携帯する等殺気立ち、小中学生なども棍棒を携えて家の周囲を警戒し、宛然(まるで、の意)在外居留地における義勇兵出動の感を呈した。市ヶ谷町は麹町6丁目から、平河町は風下の関係から……、又3日朝2人連れの鮮人が井戸に猫イラズを投入せんとする現場を警戒員が発見して直ちに逮捕した。」    

また、東京日日新聞1923年9月3日版は以下の記事を掲載しているので紹介しよう。

不逞鮮人各所に放火し 帝都に戒厳令を布く 三百年の文化は一場のゆめ ハカ場と化した大東京

 1日正午の大地震に伴う火災は帝都の各所より一斉に起り、2日夕刻までに焼失倒壊家屋40万に上り、死傷算なく、同時に横浜横須賀等同様の災禍に会い、相州鎌倉小田原町は全滅の惨を現出した。陸軍にては昨深更災害の防止すべからざるを見るや、出動の軍隊に命じて、焼くべき運命の建物の爆破を行わしめた。この災害のため、帝都重要の機関建築物等大半烏有(火災で何もなくなる事)に帰し、避難民は隊を組んで黒煙たちこめる市内を右王左往して、飢えに瀕し、市民の食料不安について、鉄道省は各地を購入方を電命し、府市当局は市内各所に炊き出しをなし、三菱地所部も丸の内で避難民のために炊き出しを行った。

 一方、猛火は依然として止まず、意外の方面より火の手あがるの点につき疑問の節あり、次で朝鮮人抜刀事件起り、警視庁小林警務長係外、特別高等刑事各課長、刑事約30名は5台の自動車にて現場に向った。当市内鮮人、主義者等の放火及び宣伝等頻々としてあり。2日夕刻よりついに戒厳令をしき、これが検挙に努めているうちに、2日未明より同日午後にわたり、各署で極力捜査の結果、午後4時までに、本郷冨坂町署で6名、麹町署で1名、牛込区管内で10名、計17名の現行犯を検挙したが、いずれも不逞鮮人である。

 鮮人いたる所 めったぎりを働く 二百名抜刀して集合 警官隊と衝突す

 今回の凶変を見たる不逞鮮人の一味は、避難せる到る所の空家等に、あたるを幸い放火しておることがわかり、各署では2日朝来、警戒を厳にせる折から、午後に至り、市外淀橋のガスタンクに放火せんとする一団あるを見つけ、辛うじて追い散らして、その1、2を逮捕したが、このほか、放火の現場を見つけ、取り押え、または追い散らした者数知れず。政府当局でも急に2日午後6時をもって、戒厳令を下し、同時に200名の朝鮮人抜刀して目黒競馬場に集合せんとして、警官隊と衝突し、双方数十名の負傷者を出したとの飛報、警視庁に達し、正力主事山田高等普通課長以下30名、現場に急行し、一方軍隊側の応援を求めた。なお、一方警視庁備え付けの鉄道省用自動車を破砕すべく、爆弾をもって近寄った一団20名を逮捕したが、逃走したもの数知れず。

 鬼気全市に漲る

 不平鮮人団は、いずれも帽子をまぶかにかぶっているので、普通の男子はすべて帽子を脱ぎ、左手に白布をまとう事とし、もしウサンな男に出会った際は、まず生国を問い、答えの濁る者は追究し、ソレと窮する時は直ちにの雨を降らす有様で、殺気は次第に宮城前広場、日比谷公園より丸の内一帯、同日午後9時頃鮮人の一団30余名、避難民をもって充満した二重橋前の広場に切り込んだとの報に接し、江口日比谷署長は部下を率い、警戒に任じ、10時半頃になりその一味を発見すると、彼らは日比谷公園に逃げ込み、10数名の一団は、鬨の声をあげて、ここに避難している老若男女を脅かし、各所に悲鳴起り、相いましむる声と思う呼笛の声鳴り響き、おどろくべき呪いの世界を現出した。東京駅前の大通りで執務している本社出張所附近に怪しき影の出没さえ見え、社員は極度に緊張、殺気立った。目下警戒に主力を注いでいるのは、渋谷方面で、鮮人などは、この方面が焼け残っているので、放火しようとたくらんでいる。

 軍隊全動員 警官隊総かり出し

 秩序の維持については、軍隊は全動員を行い、近県宇都宮方面はもちろん、新潟高田方面よりも来援をもとめ、警察官も来て近県よりできるだけの応援を求めた。

 日本人男女10数名を殺す 本部は世田ケ谷

 目黒競馬場をさして抜刀のまま集合せんとし不平鮮人の一団は、横浜方面から集まったものらしく、途中出会わせし日本人男女10数名を斬殺して後、憲兵警官隊と衝突し、三々五々となり、姿影を消したが、彼らは世田ケ谷を本部として、連絡をとっておると。

 横浜を荒し 本社を襲う 鮮人のために東京はのろいの世界

 横浜方面の不逞鮮人等は、京浜間の線路に向って鶴嘴をもって線路をぶちこわした。1日夜中火災中の強盗強姦犯人は、すべて鮮人の所為であった。2日夜焼け残った山の手及び郊外は、鮮人のくいとめに全力をあげられた。』

(2023年9月10日投稿)

 

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関東大震災下、埼玉県内務部長の発した通牒と本庄町での朝鮮人虐殺の実態その➁

2023-09-10 20:36:23 | 関東大震災

 埼玉県内務部長が発した通牒をきっかけにして埼玉県でも朝鮮人の大虐殺が行われたが、なかでも本庄町はその数が突出していた。その実態を知る事が出来るものとして、当時『埼玉新聞』(1923年9月2日~4日)が掲載した、当時本庄町の町会議員であった中島一十郎氏の『本庄の虐殺事件を語る』を紹介したい。 

以下は、その➀、のつづきです。

「……武道場は七間半に四間程度の木造で中央が試合をするため少し高くなっており、入口は確か東向きでした。本庄署にたどり着いた人たちは早速、できるだけ人に知られぬように武道場内に移されたのですが、入り切れなかったためか、後から着いたためか、それと知って町民の一部が駆け付けた時には警察前の広場に(〇〇〇〇)その上にはまだだいぶ乗っている人がおりました。「警察に朝鮮人が来ている」と聞いて集まったのはもっぱら鳶職だとか大工、魚屋といった威勢のいい若い人たちでした。それにかまわず車の上に乗っている人たちに投石する。棒で叩く。ついに一人一人引きずり降ろしては殴り、蹴倒し、勢いに乗って殴り殺してしまったのです。止めようとする人があると「貴様も朝鮮人だろう」と逆に殴りかかる始末で警察の門前で集団的な大量殺人事件が公然と行われたのです。こういいますと多くの人は「警察は何をしていたんだ」とお尋ねになるでしょうが、残念ながら4日夜から5日朝まで続いた虐殺事件を通じ、警察は姿を現しませんでした。……ところで、血を見てますます狂暴となった群衆はますます勢いづき、トラックの上の女性や少年を含む全員を惨殺「東京の仇がとれた」と凱歌をあげたのですが、さらに門内を覗いていた者が武道場の中にいる人たちも発見したのです。「それっ」とばかり日本刀を抜いた連中が道場の入口に殺到したのですが、一方の壁側に固まった必死の人たちと向かい合ってしばらくは手が出なかったそうです。追い詰められて一人が机を差上げて抵抗しようとしたそうですが、この人たちは、後は全事件を通じほとんど抵抗は見せず、ただ手を合せて助けてくれと拝むだけだったのですから、随分酷い事でした。今の若い人たちなどには当時の事は話しても信じてもらえぬかも知れません。

 結局、その人たちの中に日本刀を振りかざして乱入し、とうとう夜明けまでに一人残らず殺害してしまったのです。床の下に隠れていると聞くと、力まかせに一寸もある厚い板を残らず引き剝がして、下に隠れている人を竹槍で突き殺す、天井にもいるというのでブスブス竹槍で突いておるという風で、一人だけ便所の汲み取り口から逃げた人がありますが、今の若泉公園の附近の崖から落ちて死んだそうです。その言語に絶する暴行は夜を徹し群馬県の人や児玉郡内の村部の人たちもまじえ、代わる代わる朝まで行われ、朝になってまだ息を吹き返した人があるとまた丸太で殴りつけるという有様で、警察の庭も道場の中も血の海で4日の夜から5日の朝までは、まさに地獄そのものでした。……死体は5日の午前中に荷馬車2台に乗せて町はずれの火葬場へ運びました。町の真ん中を通っただけにこの有様は多くの人の眼に触れたと思います。火葬場へ運んだもののあまりに数が多いので、焼く事も出来ず、付近の畑に大穴を掘り、その中に死体を投げ込んで焼き、そこに仮埋葬したのですが、後に市内長崎の共同墓地に合葬しました。氏名は一人も分かっていなかったようでした。今市会議員をやっている立花帝二君が事件の現場で扇子を拾いましたが、それには日本人を呪う漢詩が書かれてあったそうです。血があちこちにこびり付いていた武道場は、しばらく少し修理し使っていましたが、後に市営の火葬場へそのまま移して待合室にして今もそこに残されています。」

(2023年9月10日投稿)

 

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