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沖縄県石垣島オグデン道路:市と市教委のHP説明は事実を正しく反映しているか?

2023-09-17 09:26:09 | 沖縄

 石垣市石垣市教委のホームページには、「オグデン道路」についての紹介説明資料を見る事ができる。「オグデン道路」について、いずれもよく似た内容となっている。しかし、その説明は事実を正しく反映しているのだろうか?疑問である。

 沖縄県は、沖縄地上戦をへて連合国軍である米国政府軍の占領下にあったが、1952年4月28日以後は、その日に発効した日米安全保障条約(昭和天皇の要望と吉田茂首相の責任の下に締結)に基づいて、米国政府軍単独の占領下に置かれる事となった。その沖縄県を実質支配したのがオグデン氏で琉球列島米国民政府(USCAR)副長官であった。

 ホームページでは、その彼が資金援助し、ブルドーザーやグレーダーなどの機械力を導入し、西表島を東西に走る道路や石垣島を一周する道路などを造った事からその道路に「オグデン」の名前が冠せられたとの事。また、八重山庁長石垣島住民一同の名で1955(昭和33)年に「オグデン感謝記念碑」を建てたとの事。その「感謝碑」には、「1953年6月琉球民政府副長官オグデン少将御来島の際八重山開発援助のため川平桴海道路工事費として百万円賜った御厚意に対し此の碑を建てて感謝の意を表します。1953年12月 八重山地方庁長高嶺世太 石垣島住民一同」と刻まれている。

 またホームページでは、道路の整備がなされた背景については、戦後の開拓民の入植を挙げている。1953年当時、すでに石垣島の西部や北部にかけては、沖縄本島の読谷や宮古島からの琉球列島米国民政府(USCAR ・ ユースカー)計画移民が一部入植しており、東部(裏石垣)地域への入植住民のために石垣島一周道路(1955年11月13日完成)整備を急いだとの事である。

 石垣市教委市史編集室ホームページではこの「オグデン道路」を、「戦後開拓の歴史と深い関りがあり、いわば、たくましく戦後を生き抜いた人びとの生活を拓いた道」であったと評している。

 さて、このような「オグデン道路」についての紹介は、造られた事実を正しく反映しているだろうか?端的に言えば、「事実を正しく反映していない」というべきだろう。

 それは、道路整備を急がなければならなかった、琉球列島米国民政府(USCAR)副長官オグデン氏側の最も重要な事情を紹介していないからである。

 USCARは沖縄本島における基地拡大のため、沖縄県農村民の農地を強制接収しなければならなかった(軍用地として接収した土地は、読谷村では全村面積の74%。現在でも47%を接収されたまま)からである。そのため1952年に「政府計画開拓移民」という名目で、読谷村を中心に沖縄各地から多くの農民を石垣島東側(裏石垣)西表島、海外では南米大陸のボリビアなどへ強制的に移住(移民)させようとしたのである。しかし、石垣島や西表島は戦後も「マラリア」の蔓延する島であり、それを退治しなければ、追い出す農民の収容は困難だったのである。つまり、沖縄本島から追い出す農村民の移住先を確保するためというのが、オグデン氏の「道路整備事業」の根本の目的だったという理解を伝えなければ正しく説明紹介した事にはならないし、現在の紹介説明内容では、オグデン氏、また琉球列島米国民政府(USCAR)感謝し讃える気持ちを生み出す効果か与えないからである。

(2022年5月2日投稿)

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中山義隆石垣市長:「つくる会」系採択をくわだて八重山教科書問題を引き起こし、コロナ禍下でキャバクラ会食

2023-09-17 09:08:57 | 新型コロナ感染症

 沖縄県石垣市中山義隆市長が、2021年2月2日、宮古島市長選(2021年1月17日投開票)の候補者応援のため同市を訪れた際、地元の支援者とキャバクラなどで会食していた事を明らかにした事を、翌日メディアが報じた。

 中山氏は2018年、自民、公明、維新の会、幸福実現党の推薦により、市長の3選を果たした。県内9市の保守系市長で構成した市長連合「チーム沖縄」のメンバーである。中山氏についてこれまで特に印象深い事は、市長初当選の翌年2011年に引き起こした、八重山地区において「つくる会」系の教科書採択をもくろんで引き起こした八重山教科書問題である。

 今回はコロナ禍下で、中山石垣市長自らが市民に要請した自粛期間中に、宮古島市キャバクラなどで会食をしていたのである。

 2021年1月6日の記者会見で「明日1月7日から1月20日までの2週間は、不要不急の外出を控えていただき、マスクの着用、手洗い、うがい、手指の消毒を徹底してください」と述べるとともに、島外での飲食などに注意を促していた。1月12日には沖縄県立八重山病院の病床逼迫を受け、「状況としては『医療崩壊危機宣言』だ」として、不要不急の外出自粛を1月末まで延長していた。

 中山氏はその後、1月17日投開票の宮古島市長選に立候補した下地敏彦氏を応援するため、1月15日から17日まで宮古島に滞在し、15日と16日、選対関係者らと居酒屋やキャバクラなど5軒で会食したという。1月27日、宮古島市は新型コロナの爆発的な感染により、公園や図書館など公共施設を閉鎖するとともに市民の外出、島外への移動、観光客らの来県の自粛を要請した。沖縄県立宮古病院はコロナ対応に集中するため、一般外来を中止するに至った。

 宮古島での接待付き飲食が発覚したのは2月1日。中山氏はメディア記者から「会食したのはキャバクラではないか」と聞かれ、「スナックだ。キャバクラではない」と否定し、「僕は基本的なキャバクラの認識は、女の子がミニスカートで隣に座ってもも触ったり、肩を抱いたりするようなお店。そういう店ではない」「県の緊急事態宣言前の事だから問題ない」と釈明したり、「誤解を与えるような行動になった事への批判は真摯に受け止める」と述べたともいわれる。

(2021年2月21日投稿)

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