2023年9月3日朝日新聞「日曜に想う」が、関東大震災朝鮮人虐殺100年に際し、埼玉県本庄市(当時本庄町)の市長らが、当時住民が虐殺した朝鮮人を慰霊するために建てた石碑のある墓地で追悼式を営んだ事を掲載した。山崎今朝弥著『地震憲兵火事巡査』に朝鮮人虐殺慰霊碑建立などの提言主張があるので紹介しよう。
山崎今朝弥は、明治法律学校(明治大学の前身)卒後、判検事登用試験、弁護士試験ともに合格し、司法官試補となり、検事代理として甲府区裁判所に赴任した。1902年11月には渡米。以下に提言を紹介しよう。
「選外壱等
われわれは昨年9月の震災を、この一周年に当たり、如何に記念すべきか、という読売新聞の課題に対し、選外壱等に当選さるべきものとして大正13年8月10日書いた原稿。
㈠朝鮮人の殺された至る処に朝鮮人塚を建て、永久に悔悟と謝罪の意を表し、以て日鮮融和の道を開くこと。しからざる限り日鮮親和は到底見込みなし。
㈡司令官本部に宗一(大杉事件の事。甘粕正彦憲兵大尉が大杉栄と伊藤野枝、大杉の甥宗一(大杉の妹の子)を虐殺、虐殺指示した)地蔵を建立し、永遠に無知と無謀と幼児の冥福を祈り、以て排日問題の根本口実を除去すること。米国排日新聞の日本に対する悪口はことごとくこれに原因すればなり。
㈢セッテンデーもしくは亀戸労働祭を挙行し、亀戸警察で軍隊の手に殺された若い労働者の魂を猛烈に祭ること(亀戸事件の事。純労働組合長・平沢計七と南葛労働会理事・河合義虎他組合員8名を亀戸署が手引きした習志野騎兵第13連隊が虐殺した)。日本の労働者だからよいようなものの、噴火口を密閉したのみで安泰だと思ってるは馬鹿の骨頂だ。何時か一時に奮然として爆裂するには当然過ぎるほど当然である。」
上記本庄町での住民による朝鮮人虐殺事件については、『山陽新聞』1923年10月25日「埼玉県の暴行自警団検挙さる 関所を設けて通行人を一々検査」に詳しい。又中島一十郎氏(当時本庄町町会議員)が『本庄の虐殺事件を語る』(1932年9月2日~4日『埼玉新聞』)で、「本庄町では郡役所の門平文平氏らの幹部などが県庁からの達しだといって消防団や在郷軍人分会などに朝鮮人についての流言蜚語を事実として伝え、対策に乗り出すよう指示した」事が町民らによる虐殺行為を引き起こしたと述べている。
(2023年9月3日投稿)