原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

写真にて振り返る 「2016冬 ローマ・ピサ・フィレンチェ列車と徒歩の旅」ーフィレンチェ編2ー +総括編ー

2021年04月21日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、ローマ到着初日ローマ・テルミニ駅を訪れた際に列車出発情報電光掲示板を撮影したもの。)


 我々親子のイタリア旅は、まずイタリアの玄関口ともいえる冒頭写真ローマ・テルミニ駅からスタートした。

 次の日には、特急列車乗車でフィレンチェまで移動せねばならない。 その乗り場や発車時間を確認する目的で、ローマ到着後いの一番でこのテルミニ駅を訪れたものだ。


 さて、旅程は最終日の午後へと移ろう。

 
 フィレンチェでの午後は、まずピッテ宮殿からスタートだ。
         

         
 どう考えても、宮殿内部を観賞する時間はとれない。
 ひとまず外観を撮影し宮殿の右側にこれまたライオン顔像を発見した。 イタリアに来ると、このライオンの口の中に手を入れようとするのが観光客の本能ではなかろうか?? 


 その後は、当初の予定ではウィフィツ美訪問訪問のつもりだったが。
 先に記述通りスケジュールが時間的に難しく、代替案として美術館敷地内に併設されていた「ガリレオ・ガリレイ博物館」へ入場した。
         
 これが医学関係者である私としては大正解! 各種実験道具や測定機器等々が展示されていて、混雑も無く悠々と楽しめた。

         

         
  
         
 上記3点は、ガリレオ博物館のミュージアムショップにて購入した絵はがき類の中から抜粋。 館内展示物の一部が閲覧できる。


         
 ウィフィツ美術館外庭の展示物を撮影したもの。


         

         
 イタリアにての最後の晩餐。
 料理もワインもバツグンに美味しかったのだが、レストラン内部で“人種隔離政策”が執られていたのに驚くと共にショックだった。 
 中国人観光客が現在世界中あちこちに多いが、イタリアにてもその例外では無かった。 この中国人観光客の特徴として“喋りの洪水”がもの凄いものがある。 そのため当レストランでは中国人用の部屋を別立てで用意し、自国人等から遠ざけていたのだ。 どうやら我々母娘も中国人と間違われたようでその部屋へ入れられてしまい、けたたましいばかりの騒音の中の晩餐となってしまった、という残念なとどのつまりだった…😱 😭 


         
 メルカート広場。 宿泊ホテルに程近く、ここを何度も通行した。


         
 フィレンチェ空港にて。 旅程最終日はここからイタリア国内便にてローマ・フィウミチーノ空港(別称:レオナルド・ダ・ビンチ空港)まで行き、東京行きアリタリア便に乗り換える。

          
 フィレンチェを出発して。
 我々は東京への帰路についた。


         
        
                    完     


写真にて振り返る「2016冬 ローマ・ピサ・フィレンチェ列車と徒歩の旅」ーフィレンチェ編 vol.1ー

2021年04月20日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、フィレンチェ・サン・マルコ美術館内で一番著名な壁画 フラ・アンジェリコによる 「受胎告知」。 ) 


 さて、フィレンチェ旅程2日目は、1日かけて徒歩にてフィレンチェ観光名所を巡ることとなる。
 前日ピサを案内してくれた日本人美人女性ガイド氏に確認したところ、フィレンチェは徒歩にて十分に主要観光名所を巡ることが可能、とのこと。
 ただしウィフィツ美術館のみは予約制かつ広大な美術館につき、予約が取れなかったり、半日は確保しておかないと観賞しきれないとの談話だった。

 娘と話し合って、今回はウィフィツ美術館は割愛しようとの結論を出した。
 

 これはフィレンチェにての宿泊ホテル室内写真。 
         
 古い建物のホテルだったが、部屋が広く天井が高く(3m程あっただろうか)開放感のある部屋だった。 バストイレルームだけで50平米程あった。
 ところが空調設備が古いのか暖房の利きが悪く室内が寒い!😨   娘に「早めに寝よう!」とアドバイスしたものだ。
 (正直言って、格安プラン個人旅行だったためやむを得なかっただろう。 それにしては従業員の皆さん全員が好待遇だった。ヨーロッパ系の宿泊客しか見なかったが、そうではない我々に英語で懇切親切に対応して下さった。)


 まずは、ホテルから程近い場所にあるサンマルコ美術館を訪れた。
          
 朝早い時間帯だったせいか、館内は人気(ひとけ)が無い。 
 写真左下のイケメン館内係氏に「写真は撮影可能か?」と訪ねたところ「フラッシュをたかなければOK」とのご返答。 (私の認識ではヨーロッパの美術館はこの対応が多いかも??)
 

         
 館内には至る所に美術品が展示されている。 写真下は冒頭で紹介した「受胎告知」。

         
 と、ここでライオン顔像を発見! 
 この度のローマ訪問時にはローマにて著名なライオン顔像を訪れることが時間的に叶わなかった(参考だが原左子自身は24歳時にローマを訪れその口に手を入れたが。)ため、ここで娘と共にライオン像の顔に手を入れてはしゃいでみた。😆 


 次なる訪問地は、フィレンチェ一番の観光名所ドウオモ広場。
         

         
 この馬車が、観光客の目玉だったようだ。


 そのすぐ近くに回転木馬がある広場があった。 子ども達が風船を持ちつつ回転木馬に乗っていた。
         
     
 その回転木馬が眺められる場所に、レストランがテラス席を用意していた。(テラス席とは言えども冬場は寒いため、ご覧のようにガラス張りだが。)
         
 娘と「ここでピザを食べようか!」と話し合っていると、上記写真右に写っている女性係員氏が英語で「どうぞ、お入り下さい!」と席を案内して下さる。

         
 そして我々が選択したのが、この“海鮮巨大ピザ” その他もろもろ…
 我が娘は大のイタリアン好きだが、このピザのほとんどを完食してくれた!
 (参考だが、ピザよりも高かったのがミネラルウォーターだ。小瓶を3杯お代りした結果の話だが…。 更に参考だが、水道水を飲めない先進国のミネラルウォーターは酒よりも高額かも知れない…)


 大きなピザでお腹を満たした我々は、更に徒歩にてアルノ川に到着する。
 ここら一帯は、まさに観光客にとってショッピングプレイスだ!
 洋装店があれば、アクセサリー店もひしめいていて。
 私はその店舗の中からアクセサリー店を訪問した。 これまた親切な店員氏が私に英語で声を掛けて下さる。 欲しい商品は色々あったが、その中から日本では余り見ることが無い以下の写真商品等々を購入した。

          
 この商品がそれなのだが。
 店舗のマダムが英語にて詳細を説明して下さった。 全部は理解できなかったものの、要するに細い筒状のチューブに細かいビーズ類を入れ込んて作ったネックレスのようだ。
 これは私の首には短くて娘にプレゼントしたところ、娘が大事に保管してくれていた。


 そのアルノ川にて撮影したもの。
 このアルノ川はピサへ訪れた際にも通過した。
         

         
 あまり紹介されていないのは、アルノ川の後ろ姿ではなかろうか?
 その実態が私が写したフィレンチェにてのこの写真だが。
 この橋の上で、当地の人々は観光客相手に営業活動を成しつつ普段の生活を営んでおられる。


“学歴ロンダリング”と揶揄される前に自身のコンプレックスを打破するべく学業に励もう!

2021年04月18日 | 教育・学校
 今朝方、「学歴ロンダリング」に関するネット情報を見た。
 以下に一部を引用しよう。


「院だけ東大」で陰口も…“学歴ロンダリング”と揶揄される人たちの憂鬱

 2021/04/17 16:00  
 
 自身の出身大学よりも、レベルの高い大学院に進学する――。向上心が高い人に思えるが、最終学歴を“浄化”した「学歴ロンダリング」ではないかと、否定的な見解を持つ人もいるようだ。言われた当人が抱える事情や苦悩とは。
 30代の男性会社員・Aさんは、大学は私立大理系出身だが、大学院は東大を出ている。東大院に進んだのは、「学歴コンプレックスを払拭するためという理由もある」と正直に本音を明かしてくれた。
 「やはり国立大へのコンプレックスが強かったですね……。僕の地元では、卒業した私大はあまり知名度がなく、地元国公立大が『すごい』と思われる風潮があって、地元国立理系のいとこや親戚たちにマウントを取られるのが悔しかった」(Aさん)
 だが結局失敗に終わり再受験は諦めたAさん。一流企業への就職で挽回しようと考えていたが、それでは根本的な「学歴問題」が解決しないと考え、自分の出身大学ではなく国立大学の大学院への進学を思いついたという。
 「もちろん学費を安くしたいという思いもありました。私大に2年行くと250万円くらいかかりますが、国立なら半額の130万円くらいで済むので。院試に合格した時は、本当にうれしかったです。ただ、大学時代の知り合いからは、陰で『あいつ学歴ロンダリングしやがった』と言われていたようです」(Aさん)
 就職後にも「学歴ロンダリング」をいじられることがあった。慶應大院卒の上司が、Aさんを紹介する時に、「こいつ院だけ東大」「最終学歴は東大だけど、大学は違う」などと、わざわざ「大学院だけが東大」だという“いじり”を入れてきたそうだ。 (中略)
 そんなAさんは、「東大修士課程修了」という学歴を持ったことで、新たなプレッシャーも生まれたようだ。学歴コンプレックスは緩和されたが、「本当に自分はこの学歴に値する人間なのか」とその重さを思い知る機会が多くなったという。「内部生は本当に優秀な人が多くて、胸を張って東大とは言えない自分がいます」と語る。
 東大から私大院で「逆学歴ロンダリング」?
 私大文系から理工系国立大学の大学院に進学したことで、周囲から「学歴ロンダリング」を指摘される人もいる。IT企業で働く20代女性・Bさんだ。そもそも文系出身者が、なぜ理工系大学の大学院に進学したのか。
「理工系の大学には理系の専門分野しかないと思われがちですが、実は院には社会・人間科学系の研究室もあって、私が入ったところには、かなり私大文系卒の人もいたので、そんなに珍しくはなかったと思います」(Bさん)
 Bさんが大学院に進学した動機は、「すぐ就職したくなかったから」だという。とはいえ、フリーターとしてフラフラするわけにはいかず、大学院への進学を選択した。
 「まだ学生でいたい、就職したくないという気持ちがあったところに、どうせなら“ハク”を付けたいと思ったんです。私大文系とは真逆のイメージがある国立理系なら、全然知らない環境っぽくてワクワクしましたし、人に言うような時もインパクトがあるかなと思いました。あちこちで『学歴ロンダリング』とネタにされるんですが、『最終学歴は大切ですから~』と笑ってやり過ごしています。最初はモヤモヤしていましたが、慣れました」(Bさん)
 そうした声がある一方で、「逆学歴ロンダリング」と言われてしまった人もいる。東大文系から別の私大院に進学した30代女性・Cさんだ。周囲から経歴を指摘されることが多く、「面倒」だという。
 「自分が専攻したい分野に合った研究室を選んだだけなのですが、私の経歴を知った人は、『何で東大を出ているのにわざわざ?』という目線を送ってきます。『東大の院に行けなかったのね』と遠回しに言われたことや、『最終学歴が東大じゃなくなるの嫌じゃないんですか?』と直接的に伝えてくる人も。別に本人がいいなら、それでいいじゃないですか」(Cさん)
 Cさんは、最終学歴を重視しすぎる日本の風潮に疑問を抱いている。
「日本はとにかく“最終学歴”が好きです。学歴ロンダリングと揶揄されるのも、“最後だけ上書きした”というネガティブな考えからくるものでしょう。そもそも大学に入るよりも、大学院に入る方が簡単だと思われているのがおかしい。院試を受けたことも受けようとも思ったことがない人に、何を言われる筋合いもありませんけどね」(Cさん)

 (以下略すが、学歴ロンダリングに関するネット情報の一部を引用したもの。)


 私事に入ろう。

 この原左都子も最終学歴は“大学院修了”(「経営法学修士」を取得している)だが。
 私の場合は、2度目の大学3年辺りで大学院進学を考慮しただろうか?
 当初は当然ながら内部進学で大学内にある大学院進学を考えていた。

 ただ4年次に入ってから、その考えが変化し始めた。
 (自分で言うのも何だが、我が学力が予想以上に伸びたのがその理由だ。担当教官氏よりも“優秀学生”の異名を頂き、周囲の学生達もそれを認めてくれていた。)
 早速、大学院入試に向けて動いた。
 一応狙ったのは「一橋大学法学研究科」そして「東大法学研究科」である。
 担当教官に相談したところ「頑張って下さい!」との激励と共に、一橋の方は「担当教授の推薦書(1,000字程度)」が必要とのことで、私が自己推薦書を作成して持参したところ、「貴方は自己分析力に秀でていますね!」とのことでそれを丸ごと推薦書として仕上げて下さった。
 東大の方は推薦書が必要なかったため、教官には相談せずに願書のみを提出した。
 ところが、東大の方は「民事訴訟法」も試験科目の一つだったが、これの学習が間に合わず直前に受験断念した。
 一橋の方は受験したが、残念ながら合格通知が届かなかった。
 そんなこともあろうかと我が大学の大学院にも願書を提出していたのだが、それには合格通知が届き翌春入学した。(参考だが、我が大学院の入試問題が一番難解だった。定員が少ないため“難関大学院”と言えるかも??)

 後に思ったのは、これが大正解だったとの事だ。
 大学院とはまさに指導教官とのマンツーマン教育だ。(他のマンモス大学の実態は知らないが、我が大学(院)ではそうだった。) そのため指導教授との関係性が非常に強い。 大学からゼミで既に2年半の年月お世話になった担当教授に“優秀学生”のお墨付きを貰っていた私の大学院ライフは、実に安泰だった。 お陰で順風満帆に学問に励めたものである。 (参考だが、我が指導教授は後に“文化勲章・秋の叙勲”を受章されている。)

 
 “学歴ロンダリング”に関してだが。

 上記ネット情報内に書かれているように、「自身の出身大学よりもレベルの高い大学院に進学する――。向上心が高い人に思えるが、最終学歴を“浄化”した「学歴ロンダリング」ではないかと、否定的な見解を持つ人もいるようだ」

 この風評は私が大学院受験をした頃から、一般的に語られていた。
 故にこの私も敢えて東大大学院受験を回避したのは大正解だったか、と今現在尚思っているふしもある。

 まあ、とにもかくにも大学院にて学業に励む場合、将来の就職等々の“邪心”を優先するよりも学問の素晴らしさを堪能してはどうだろう。
 私の場合、既に医学分野にて“成功を収めていた”(今後とも医学が“食い扶持”と成り得る、との自負と余裕があったことも大きいが。)
 ゆったりした心的環境下で「経営法学修士」を取得できたことがラッキーだったと、今尚思ったりもする。 (高校教諭としてこの学業も数年間活かしましたよ!)


“お一人さま”の方が“家庭持ち”よりも寂しくないかもしれない…

2021年04月17日 | 自己実現
 何分、長~~~~い独身時代を思う存分謳歌した後に晩婚に至り、高齢出産にて娘を産んで現在に至っている原左都子故に。

 “お一人さま”、“家庭持ち” 両者の心情が分かる気がする。


 冒頭から、本日付け朝日新聞“悩みのるつぼ” 50代女性による「娘を心配せずにいられない」と題する相談内容を、以下に要約引用しよう。

 50代女性だが、20代の娘がいる。
 私が結婚した時から自分自身にかたく誓っていたのは、子どもの人生に干渉しないこと。 「孫の顔を見せてくれ」などという発言は慎むことだ。
 現在娘は安定した職業に就いているが、これまで異性との交際経験がない。 最近、近所の方から婚活パーティへの誘いがあり、それとなく娘に問うてみたところ、「結婚するつもりはない」と申す。
 干渉しないと誓ってきたのに、娘の人生が急に心配になってきた。 私と夫が死んでしまったら娘が一人になってしまうと、その事が心配でならないのだ。 
 早く子離れしなくてはとの思いと矛盾する気持ちのせめぎ合いで苦しんでいる。 上野千鶴子先生にご回答いただきたい。

 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”本日の相談より要約引用したもの。)


 一旦、この相談に対する原左都子の私見から述べよう。

 ご自身の娘さんに干渉しないと言いつつ、本心との間に随分と“自己矛盾”を抱えている母親氏と判断する。
 ただ、普通の(という表現は適切でないと思いつつ障害等を抱えていない)娘さんの母親とは、そんなものなのだろう。
 原左都子の娘(発達障害がある)の場合、まったく事情が異なる。
 (以前にも記載したことがあるが)我が娘の場合、生来的に“恋愛感情”が欠落していると母の私は診断している。 故に、私の方から異性との交際等々の話題を持ち出すことも無ければ、本人からその種の話題が出ることは皆無だ。
 いや、もしかしたら“友達同士の婚姻”というのもあり得るかも知れない。
私の場合も見合い晩婚だったが、恋愛をした後の婚姻と言うよりも、それに近かったようにも振り返る。 (いえいえ私の場合は、長き独身時代にすったもんだ・ドロドロの恋愛三昧を繰り返した挙げ句の果ての、見合い晩婚選択だったが…)
 とにかく、娘の好きなように生きればよかろうと展望している。
 私が相談女性と根本的に異なるのは、既に“子離れ”出来ているところだろう。 産んだ親の責任として、娘の面倒は我が人生を賭けてみるつもりだ。(そのためには、長生きする必要があるが。) 娘が一人残された後の準備も万端整えてから死に至る覚悟である。


 話題を変えよう。

 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、社会学者・上野千鶴子氏だが。
 さすが生涯を掛けて独身を貫くおつもりの上野先生のアドバイスは、厳しい。
 少しだけ紹介すると。
 娘さんの結婚を期待するのは、あなた方ご夫婦の介護に加えて夫となる人とその両親の介護が娘さんにふりかかってくる事だ。 今時娘に結婚して欲しいと期待するのは、それだけの負荷を娘に背負って欲しいというのと同じだ。
 今後、本気で娘さんに依存せずに生きるためには、貴女自身が人間関係を作ることだ。 今からでも遅くない、“人持ち”になって下さい。
 (以上、上野千鶴子氏による回答のごく一部を引用したもの。)


 実は本日の朝日新聞記事内に、上記上野千鶴子氏の回答とダブる別記事を発見した。
 作家・雨宮処凜氏による上野千鶴子氏著書「在宅ひとり死のススメ」に対する解説記事の一部を、以下に紹介しよう。

 上野氏著作にまず励まされるのは、「独居高齢者の生活満足度のほうが同居高齢者より高い」というデータ。 さらに、「子無しおひとりさまは満足度が最も高く、悩みが低く、寂しさ率が低く、不安率も低い」という調査結果も紹介されると俄然勇気がわいてくる。
 高齢者イコール施設入所という思い込みを鮮やかに否定する上野氏だ。 上野氏に寄れば、入居資金を自費負担サービスに充てればよいとの主張に納得だ。 
 それでは在宅で死ぬにはいくらかかるのか。 それを実際に計算すると、ヘルパー代や看取りのコストも在宅が一番安いというから驚く。
 徹底して、(死に際まで)「自分はどうしたいか」との目線から書かれた終末期のノウハウである。 最期は単身世帯も多いからこそ重要な一冊だ。
 (以上、雨宮処凜氏による上野千鶴子氏著書の解説記事より引用したもの。)


 最後に、原左都子の私見に入ろう。

 独身時代が人よりずっと長かった私は、今尚時々思う。
 もしも私が高齢にての見合い結婚を実施しなければ、あのままずっと一生 “華の独身時代” が続いたのではなかろうかと。
 まるで上野千鶴子氏のごとくの“生活満足度”を維持しつつ、自由恋愛を楽しみ今尚青春を謳歌していたのでは???  なる夢物語が脳裏を彷徨ったりもする。
 
 ただ私は現実的に晩婚を遂げ、(曲がりなりにも??)一人娘に恵まれた。
 この事実こそが、長き独身時代に浮かれて暮した我が日常を叩き直してくれた感覚もある。
 娘を産んで後苦難を重ね今に至った我が“サリバン時代”こそが現在の我が生き甲斐でもあり、その積み重ねで私は更に成長出来たとも思っている。

 私はきっと、私なりの良き死に際を迎えられそうに思ったりもする…
 

小児にはブルーライトカット眼鏡はむしろ逆効果??

2021年04月16日 | 医学・医療・介護
 つい先程見たネット情報を以下に引用しよう。


 小児ではブルーライトカット眼鏡はむしろ逆効果。日本眼科学会が見解
2021/04/15 13:43

 公益財団法人日本眼科学会は14日、小児に対する市販ブルーライトカット眼鏡の効果について疑義を呈する意見を公開した。
 近年はスマートフォンなどのデジタル機器の普及にともない、ディスプレイから発せられるブルーライト(波長380〜495nm前後の青色成分)をカットするための眼鏡が広く販売され、睡眠障害や眼精疲労の軽減、眼球への障害の予防が謳われている。
 日本眼科学会によれば、体内時計とブルーライトの関係については、いくつかの論文が出ており、夜遅くまでデジタル機器の強い光を浴びると睡眠障害をきたす恐れがあり、夕方以降にブルーライトをカットすることには一定の効果が見込まれる可能性があるとする。
 しかし、そのほかの効果については科学的根拠が乏しく、一部で小児へのブルーライトカット眼鏡の装着を推奨する動きがあることについて、参考文献などを引用して以下の問題があると指摘している。
  1. デジタル端末の液晶画面から発せられるブルーライトは、曇天や窓越しの自然光よりも少なく、網膜に障害を生じることはないレベルであり、いたずらにブルーライトを恐れる必要はないという報告がある。
  2. 小児にとって太陽光は、心身の発育に好影響を与えるもので、十分な太陽光を浴びない場合、小児の近視進行のリスクが高まる。ブルーライトカット眼鏡の装用は、ブルーライトの曝露自体よりも有害である可能性が否定できない。
  3. 最新の米国一流科学誌に掲載されたランダム化比較試験では、ブルーライトカット眼鏡には眼精疲労を軽減する効果がまったくないと報告されている。
  4. 体内時計を考慮した場合、就寝前ならともかく、日中にブルーライトカット眼鏡をあえて装用する有用性は根拠に欠ける。産業衛生分野では、日中の仕事は窓ぎわの明るい環境下で行なうことが奨められている。
 日本眼科学会は、以上のことを踏まえ、小児に対してブルーライトカット眼鏡を装着させる根拠はなく、むしろ発育に悪影響を与えることを危惧していると表明している。
 なお、参考として以下の記事にあるとおり、慶應義塾大学は波長360〜400nmの光(バイオレット光)について、近視進行を抑制する効果があることを以前に発表している。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 私事に入ろう。

 私は、20代半ば頃まで両眼共々ずっと視力 1.5 ~2.0を誇っていた。 
 父と姉とは強度の近視だったにもかかわらず、私は母の血を引いたのか視力にはまったく問題がなく、何でもよく見えていた。

 これに変化が訪れたのは、20代に医学業務に於いて“鏡検(倍率1000倍以上にて顕微鏡を見る仕事、免疫細胞の分類業務だったが)中心に移行した後のことだ。
 顕微鏡を見た経験がある方々はご存じだろうが、それに慣れないうちは、まるで車酔いをしたような気持ち悪さに襲われるのだが。
 ただそれをプロ業務として行う限り、“気持ちが悪い”などとは言っていられない。(中には本当に吐く症状が出て、隠れて日々トイレに通うとの医学仲間も存在した。)
 体質がこれに慣れてくると、次第と“気持ち悪さ”は消失するのだが。
 その代わりの副作用として、視力が落ち始める…
 
 当時既に両眼顕微鏡を使用していたが、どうしても効き目中心に鏡検作業をしてしまっているようで、私の場合は右目の視力がどんどん悪化しはじめた。
 常に1.5以上の視力を誇っていた我が右目があっという間に0.7まで落ち、その後回復することは無く(それ以上悪化もしなかったが)現在に至っている。
 ところが不思議なことに、近視視力が低下した右目は「老眼」を免れているようだ。 この右目のお陰で私は未だに“老眼鏡要らず”の身だ。 (いわゆる“ガチャ眼”状態…)😵 

 

 ブルーライトに話を戻そう。

 近年“ブルーライトカット”の言葉をよく耳にするが、私には無縁かな??
 などと思っていたら、どうも最近特にスマホを見た後に目がかすむ症状が出始めている。 パソコンは比較的大丈夫のようだが…
 我が亭主などとうの昔から“ブルーライトカット眼鏡”を何本も購入し、それに依存している様子だが。 一体全体、その効果があるのやらどうなのやらに関しては、私は感知していない。😷 

 冒頭の話題によると。

 日本眼科学会は以上のことを踏まえ、小児に対してブルーライトカット眼鏡を装着させる根拠はなく、むしろ発育に悪影響を与えることを危惧していると表明している。 等々の記載がある。
 
 小児をお持ちのご家庭においては、この話題を参考にされては如何だろうか。