OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

バンド・オブ・ジプシーズの切実:番外篇

2016-11-15 18:26:14 | Jimi Hendrix
ジミ・ヘンドリクス / Buddy Miles (Mercury / 日本フォノグラム)
 
バンド・オブ・ジプシーズが当初、イマイチ賛同を得られなかったのは、おそらくはバディ・マイスルのドラミングに要因があったと思われます。
 
なにしろジミ・ヘンドリクス=ジミヘンが大ブレイクした時のバンド、つまりエクスペリエンスにはミッチ・ミッチェルという、非常に手数と足数(?)の多いドラマーが在籍し、ジミヘンの激烈なギターに一歩も引かない豪放なスタイルで敲きまくっていたのですから、それがジミヘンという全く新しいロックの提供者にはジャストミートだったという印象は、その虜になったファンにとって、簡単に打ち消せるものではありません。
 
極言すれば、ノエル・レディングの影が薄くなるほどに強いエクスペリエンスの存在感は、ジミヘンとミッチ・ミッチェルの対決が主軸であり、それがバンド・オブ・ジプシーズになって、シンブルな8ビートを主体にプレイするバディ・マイルスがドラマーの座にあったのでは、ジミヘンのギターには満足させられても、バンド全体から発散される「ジミヘンの音楽」には違和感を覚えて当然だと思います。
 
もちろん、ジミヘンがエクスペリエンスよりも新しいスタイルを追求提示するためにバンド・オブ・ジプシーズを始めた事は間違いではなく、それにファンやリスナーがついていけなかったという、些か意地悪な結果がバンド・オブ・ジプシーズの不人気(?)に繋がったような気がしています。
 
しかもバンド・オブ・ジプシーズが本当に短命で、バディ・マイルスが直ぐに抜けてしまった後には再びミッチ・ミッチェルが帰参しての所謂ニュー・エクスペリエンスが始動し、ジミヘンの最期まで世界中を熱狂させたのですから、またまたの賛否両論が!?
 
う~ん、それじゃ~、バディ・マイルスは悪者扱いかっ!?
 
という声がはっきり聞こえてしまいますねぇ……。
 
しかし、サイケおやじは決してそんなふうには思っていません。
 
むしろ最初はジミヘンに対しての相性に面白味が無いと感じたバディ・マイルスのドラミングが、実はそのシンプルさゆえにジミヘンのギターが尚更に自由度の高いプレイに向かっていたんじゃ~なかろうか?
 
それを勘違いと言われれば、認めざるをえませんが、後に様々公にされていくバンド・オブ・ジプシーズの殊更ライブ音源では、ヨレずにタイトなリズムとビートを打ってくるバディ・マイルスの存在が、本当に自由闊達、そしてグリグリにソリッドなジミヘンのギターを支えているんじゃ~ないでしょうか。
 
ところでジミヘンとバディ・マイルスの接点としては、ジミヘンがエクスペリエンスを率いてアメリカに凱旋帰国のライブステージとなった1967年夏のモンタレー・ポップ・フェスに、同じく出演したのがバディ・マイルスが在籍するエレクトリック・フラッグという因縁(?)があります。
 
で、このエレクトリック・フラッグはバターフィールド・ブルース・バンドを辞めたマイク・ブルームフィールド(g) が結成した、ホーンセクションも含む白黒人種混成という、なかなか当時のアメリカとしては珍しかったと云われるグループで、そのデビューが前述した1967年夏のモンタレー・ポップ・フェスでしたから、同じ黒人でありながら、ロックをやるジミヘンとバディ・マイルスが意気投合しても不思議では無い雰囲気があったのかもしれません。
 
また、バディ・マイルスは十代でプロの世界に入った天才児であったそうですし、ジミヘンにしても駆出し時代はR&Bスタアのバックバンドで活動していたのですから、そんなサーキットで既に知り合いだったという推察も可能でしょうか。
 
ちなみにバディ・マイルスとマイク・ブルームフィールドの接点について、またエレクトリック・フラッグについても、何れ追々に書かせていただきますが、とにかくサイケおやじが重要と思うのが、ジミヘンもバディ・マイルスも、ロックという白人音楽をやって売れたという事です。
 
それは当時の映像等々でも確認出来るように、ジミヘンのライブの観客は大部分が白人層であり、またバディ・マイルスにしても、エレクトリック・フラッグが潰れた直後の1968年秋に自ら結成した新バンドのバディ・マイルス・エクスプレスが、やはり同様にブラスロックを志向していたという事実もあり、それならばもっと黒人にもロックを楽しめるようにしたいというよりも、所謂ファンキーロックを目指していたようにも思います。
 
さて、そこで本日掲載したのは1970年に製作された、そのA面には何とも大仰な邦題が附されたバディ・マイルスのシングル盤なんですが、原曲「Runaway Child」は自身のリーダーアルバム「リヴ・トゥギャザー / We Got To Live Togetjer」の中の1曲で、折しもレコーディング中にジミヘンの訃報に接したバディ・マイルスがあえて追悼の意を表したとされる逸話があるそうで、しかし楽曲そのものは典型的なソウルミュージックなもんですから、それほどバンド・オブ・ジプシーズ的なサウンドではありませんので、誇大表示という疑惑も!?
 
実際、最初に針を落とした時のサイケおやじは、なんじゃ~、こりゃ~!?
 
と、すっかり松田優作状態になったほどです。
 
でも、まあ、いいか♪♪~♪
 
それを微笑ましく許せるのも、バディ・マイルスのビシッとキマったドラミングとソウルフルな歌声、熱い節回しがあればこそです。
 
ということで、本日も独り善がりに徹してしまい、申し訳ございません。
 
しかし、最初はピンッとこなかったバンド・オブ・ジプシーズが今はすっかり好きになっているのは、どうやらバディ・マイルスの存在にあると思うのがサイケおやじの偽りの無い気持ちであります。
 
……続く。
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バンド・オブ・ジプシーズの切実:其の参

2016-11-12 18:24:47 | Jimi Hendrix
Band Of Gypsys (Capitol / Track / Poldyor)
 
 A-1 Who Knows (1970年1月1日:1st show)
 A-2 Machine Gun (1970年1月1日:1st show)
 B-1 Changes (1970年1月1日:2nd show)
 B-2 Power Of Soul (1970年1月1日:2nd show)
 B-3 Message To Love / 恋のメッセージ (1970年1月1日:2nd show)
 B-4 We Gotta Live Together (1970年1月1日:2nd show)
 
1970年9月のジミヘン早世以降、堰を切ったかのように次々と発売されていく遺作音源は、例えばオーティス・レディングとLP片面ずつ抱き合わせになっていた「モンタレー・ポップ・フェス」からのライブ盤、スタジオでレコーディングされていた未発表トラックを纏めた「クライ・オブ・ラブ / The Cry Of Love」や「戦場の勇士たち / War Heroes」、映画のサントラ扱いだった「レインボー・ブリッジ / Rainbow Bridge」そしてライブ音源を拾い集めた「イン・ザ・ウエスト / Hendrix In The West」、さらには例の「ワイト島 / Isle Of Wight」、おまけに一般公開が不可能な記録映画「エクスペリエンス」を構成しているロイアル・アルバート・ホールでのライブ音源等々、諸々の正規アルバムが1972年頃までに世に出たのですから、ファンは嬉しい悲鳴に一喜一憂!?
 
それが当時高校生だったサイケおやじにとっては、聴きたくても経済的な事情が許さず、それでも昼飯のパン代を流用したり、友人知人からレコードを借りてはカセットコピーして、なんとか天才の偉業に接してみれば、そこには述べるまでもなく、物凄いジミヘンの世界が繰り広げられていました。
 
もちろん、十人十色の好き嫌い、そして演奏や録音の良し悪しが常に議論の対象になるが如き諸問題は、そこに確かにありました。
 
しかし、サイケおやじの場合は、何を言われたって、バンド・オブ・ジプシーズよりは好きっ!
 
なぁ~んて、今から思えば、とんでもなく不遜な戯言を弄していたのですから、お恥ずかしいかぎりです。
 
というよりも、前述したジミヘンの遺作音源があまりにもサイケおやじの好みだったもんですから、正直バンド・オブ・ジプシーズのライブアルバムは、ど~でもよくなっていたという、これまた大バカヤローだったわけです……。
 
で、そんな頃に邂逅したのが、いきなりの新譜扱いで発売された「カルロス・サンタナ&バディ・マイルス! ライブ! / Carlos Santana & Buddy Miles ! Live ! 」と題されたLPで、これはサンタナの主要メンバーとバディ・マイルスの一味がジャムったステージライブ音源から作られた、なかなか熱い1枚だったんですが、中でもバディ・マイルスの熱血シャウトと迫力のドラミングに対峙するカルロス・サンタナの泣きじゃるギターが本当に最高で、毎日夢中になって聴いていたんですが、ある日、うっと呻いて(?)気がついたのが、これって、バンド・オブ・ジプシーズじゃ~ねぇ~かなぁ~~?
 
という、まさに目からウロコ状態で、そのまんまの勢いから以前にテープコピーしていた件のカセットを再生してみれば、このジミヘンはっ!? このバンド・オブ・ジプシーズはっ!?
 
その時になって、ようやくバンド・オブ・ジプシーズとジミヘンがやろうとしていた何かが伝わって来たような気持ちにさせられましたですよ。
 
速攻で中古屋を巡り、遅ればせながらバンド・オブ・ジプシーズのアルバムをゲットした事は言うまでもありません。
 
そして心を入れ替えて(?)LPに針を落としてみれば、まずはA面初っ端の「Who Knows」がライブアルバムのド頭とも思えぬ、本当に何気ない感じでスタートするという脱力系なんですが、曲が進行していく中で、やっぱりジミヘンのギターは猛烈に弾けていますし、なによりもバディ・マイスルとジミヘンのツインボーカル体制があればこそ、極めてソウルミュージックに接近したハードロックという趣向は、当時としては、なかなかに新しかったんじゃ~ないでしょうか。中盤の展開ではバディ・マイルスのスキャット気味のファルセットや後半におけるジミヘンの爆裂ギターソロにも、今となっては面白く聴ける以上の興味深さを感じてしまいます。
 
ですから、続く「Machine Gun」ではジミヘン主導による擬音大会というか、ギターやドラムスによる爆発音や機銃掃射の如きSE(?)を用いての演出とナチュラルなロックのフィーリングが充満したアドリブ主体の展開にはゾクゾクさせられてしまいます。と同時に、このトラックでは不思議な浮遊感も捨てがたい魅力で、それが最後には呆気ないほどのエンディングに結実させるための手段であったのならば、なかなかクールな目論見と思うばかり!?
 
ちなみに、このA面2曲はモノラルに近いミックスになっていて、特に「Machine Gun」ではビリー・コックスのベースが淡々としている事もあり、もっとツッコミが欲しいと願ったのがサイケおやじの初聴時の気持ちでありましたが、同じパターンを執拗に繰り返すリズムやビートで作り出されるグルーヴは、既に黒人音楽のひとつの典型になっていた所謂ファンクの常套手段に近いものがありますから、聴いているうちに、そ~した覚悟が自然に決めさせられるところが凄いんじゃ~ないでしょうか?
 
その意味でB面は相当に分かり易くなっている印象で、楽器の定位はちぐはぐながらも、それなりにステレオミックスになっていますし、まずはシングルカットもされていた「Changes」におけるソウルミュージックがモロ出しの展開は、特に観客を煽るバディ・マイルス、それに共謀するジミヘンのギターという仕掛が、明らかにエクスペリエンス時代とは異なる勢いを演出しています。
 
それは次の「Power Of Soul」でますます顕著になり、なんとっ! 珍しくも変拍子を入れた曲展開の中でウネリまくるビリー・コックスのベースにノッケから泣いているジミヘンのギターは嬉しいところですねぇ~~♪
 
また「Message To Love / 恋のメッセージ」は、この時期のジミヘンがライブでは定番にしていた演目のようで、幾つかのライブ音源が正規に出回っているんですが、ここでのジミヘンのギターはガッツ溢れるというか、個人的には名演だと思うのですが、いかがなものでしょう。
 
あぁ~、このあたりまで聴き進めていくと、その場の聴衆と共に盛り上がっている自分を感じるのは、ようやくバンド・オブ・ジプシーズに素直になれた証かもしれません。
そしてオーラスの「We Gotta Live Together」はフェードインして始まる、これまたソウル系ハードロックとは言いながら、客席との一体感を求めるバディ・マイルスは些か浮いている感じが……。ただし、ジミヘンのギターからは鬼神の如き凄みが発散されていて、実は今日では明快な回答になっいるとは思いますが、当日のライブステージでは「Voodoo Child」に続けて演じられていたという真相がありますから、それも当然だと思います。
 
ということで、ハッと気がつくと、サイケおやじは、最初は違和感を覚えていたこのバンド・オブ・ジプシーズのライブ盤に何とも奇妙な魅力を感じ、グッ惹きつけられていました。
 
そして1974年になって聴く事が出来たアイズリー・ブラザーズのライブ盤で、またまたバンド・オブ・ジプシーズ症候群を患ってしまったのが、サイケおやじの本性であります。
 
最後になりましたが、本日掲載したジャケットはバンド・オブ・ジプシーズの英国盤LPのものであり、通称パペットカバーと言われるとおり、ジミヘン以下、その隣にはブライアン・ジョーンズとボブ・ディラン、手前にはイギリスの有名DJだったジョン・ピールを模した人形が登場しているという、なかなかのお楽しみ盤で、現在ではかなりの高値が付いているとはいえ、1970年代には中古でも入手は容易でした。
 
つまり、その頃は、それだけ売れていながら、実は人気薄だったのがバンド・オブ・ジプシーズの存在だったような気がします。
 
しかし、近年は再評価というか、ビリー・コックス&バディ・マイルスと組んだトリオ編成のバンド・オブ・ジプシーズが本当に短命であったという現実も踏まえての事もあるようで、機会を窺うようにしては発掘&再編集された音源が出されるのですから、全ては聴いての結果オ~ライ?
 
……続く。
 
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バンド・オブ・ジプシーズの切実:其の弐

2016-11-10 17:23:57 | Jimi Hendrix
Band Of Gypsys (Capitol / Track / Poldyor)
 
 A-1 Who Knows (1970年1月1日:1st show)
 A-2 Machine Gun (1970年1月1日:1st show)
 B-1 Changes (1970年1月1日:2nd show)
 B-2 Power Of Soul (1970年1月1日:2nd show)
 B-3 Message To Love / 恋のメッセージ (1970年1月1日:2nd show)
 B-4 We Gotta Live Together (1970年1月1日:2nd show)
 
1970年9月18日、ジミ・ヘンドリクス=ジミヘンはロンドン市内のホテルで意識不明のまま発見され、救急搬送されたものの、同日午後には死亡が認定されました……。
 
ですから、同年春に発売されたバンド・オブ・ジプシーズ名義のライブアルバムは、ジミヘンが生前に出した最後のLPになるわけですが、それとて決して本人が望んでいたものではないという説もあるほど、バンド・オブ・ジプシーズを巡る諸事情は錯綜していたようです。
 
ちなみに前回も述べましたが、当時の我が国の洋楽に関する情報は現代とは大違いに遅れていて、頼りは洋楽雑誌かラジオ、あるいは僅かではありますが、そんな話題を扱っていたテレビ番組ぐらいしか無く、ジミヘン死去のニュースにしても、その詳細は直ぐには伝えられなかったわけですが、皮肉な事にと書けば不謹慎ながら、天才の悲報後には、それまで知り得なかった内幕も含む諸々が次々に公にされ、サイケおやじが以下に記すのは、それを独断と偏見により推察したものとお断りさせていただきます。
 
で、その中でも一番の難題になっていたのが、ジミヘンが無名時代に交わした契約関係の処理であり、この天才ミュージシャンを最初に大きく売り出したマネージャー兼プロデューサーのチャス・チャンドラーは、ジミヘンが大ブレイクする過程において、様々に多かったそれらをクリアしていく作業に追われていたのですが、ど~しても残ってしまったのがニューヨークにあったPPXプロダクションとの関係であり、結局は和解案としてLP1枚分に相当するジミヘンの新作音源の権利を渡すという決着に至るのですが、肝心のレコーディングが遅々として進まないのが1969年のジミヘンでありました。
 
なにしろ前年に出した傑作アルバム「エレクトリック・レディ・ランド」に多額の製作費を使ってしまった事から、集金目的の巡業公演は過密であり、また件のセッション時に多士済々のミュージシャンと共演したことから、エクスペリエンスというレギュラーバンドそのものの存在意義も希薄になり、加えてジミヘン本人の悪いクスリ問題とか……。
 
そして結果的にノエル・レディングが実質脱退してエクスペリエンスは同年6月末に解散!?
 
ジミヘンは直ちに新バンドを組む必要に迫られていたわけで、そこに集められたのが旧知のビリー・コックス(b)、マイク・ブルームフィールドが結成したエレクトリック・フラッグで一躍人気物になっていたバディ・マイスル(ds,vo)、さらにジューマ・サルタン(per)、ジェリー・ヴェレス(per)、ラリー・リー(per) 等々、なかなかの大所帯でリハーサルやレコーディングが行われ、実際のライブ活動にしても、同年8月18日にウッドストックの野外フェスで熱演を繰り広げた事は、同名記録映画で拝観出来るとおりです。
 
ただし、バディ・マイスルについては必ずしも毎回参加というわけではなく、既にバディ・マイルス・エクスプレスと名乗る自分のバンドを率いてた事から、例えば件のウッドストックのように前任者のミッチ・ミッチェルが帰参している場合も多かったようです。
 
また、新バンド名は前述したウッドストックにおいては、ジミヘンが「ジプシー・サン&ザ・レインボウズ、あるいはバンド・オブ・ジプシーズと呼んでくれ」と自己紹介しています。
 
しかし、このメンツによるバンド・オブ・ジプシーズはウッドストック以外では数回しかライブをやれなかったようで、最終的にはジミ・ヘン(vo,g) 以下、ビリー・コックス(b,vo) にバディ・マイルス(vo.ds) というトリオ編成に落ち着き、10月頃からは順次スタジオでのレコーディングも行われていた事は、後々小出しにされたジミヘン名義の発掘盤で確認可能なわけですが、それでも前述したPPXプロダクションとの契約違反に関する和解条件には至らないマテリアルばかり……。
 
そこで当時のマネージメントを仕切っていたマイク・ジェフリーズは、1969年大晦日~1970年元旦の越年コンサートをライブレコーディングし、それをPPXプロダクションに渡すという英断(?)から制作発売されたのが、バンド・オブ・ジプシーズの最初のレコードだったという真相が今に伝えられているのですが、それゆえに仕上がった米国キャピトル盤をオリジナルとするアルバムには、一応のミキシングはジミヘンとエディ・クレイマーが担当しているものの、プロデューサーには「Heaven Reserch Unlimited」のクレジットが残されています。
 
今日では定説となっている、ジミヘンが必ずしも望まなかったレコード云々という逸話は、そ~した内部事情によるものでしょうし、配給がアメリカ以外では従来どおり、ポリドール系列でありましたので、掲載の私有LPは欧州プレス盤です。
 
さて、そこでいよいよ肝心な収録演目については上記のとおり、ライブ盤でありながら、ジミヘンの代表曲やヒット曲を含まない構成になっていて、つまりはバンド・オブ・ジプシーズとしての新曲をウリにした狙いがあるのでしょう。
 
しかし前回述べたとおり、以前のエクスペリエンスとバンド・オブ・ジプシーズでは所謂ノリが明らかに違っていたもんですから、サイケおやじは本当に違和感を覚えてしまい、せっかくジミヘンがギンギンのギターを聴かせてくれているのに、バックのリズムがシンプルな8ビートのドラミングを基軸にしているんじゃ~、なんだかなぁ……。
 
ちなみにこの越年ライブは2日間で4ステージ行われ、総計約50曲ほどがレコーディングされたのですが、サイケおやじには、その全てがPPXプロダクションに渡されたのかは知る由もありません。
 
それでも、既に1970年代初頭から、それらの音源が公式レコード収録のテイクとは別にブートで出回っており、そこではちゃ~んとファンがお好みの人気曲が聴けたのですから、ますますこのバンド・オブ・ジプシーズの正規盤を疎んでしまうサイケおやじのバチアタリは、ど~しようもありません。
 
そんなバカヤローなサイケおやじが、やっと目覚めるのは、1972年になってからでした。
 
……続く。
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バンド・オブ・ジプシーズの切実:其の壱

2016-11-08 17:23:25 | Jimi Hendrix
チェンジズ c/w 恋のメッセージ / Hendrix Band Of Gypsys (Capitol / Track / 日本グラモフォン)
 
バンド・オブ・ジプシーズは1969年、結果的に解散へ追い込まれたエクスペリエンスの後を受けてジミ・ヘンドリクス=ジミヘンが結成したグループで、レギュラーメンバーとして認められるのはジミ・ヘンドリクス(vo,g)、ビリー・コックス(vo,b)、バディ・マイルス(vo,ds) というオール黒人の3人組なんですが、リアルタイムでは同時期にレコーディグされていながら未発表になっていた様々な音源がそれなりに検証可能な現在、サイケおやじには更なる興味の対象になっていますので、そのあたりのあれやこれやを例によって独断と偏見で書いておこうと思います。
 
で、その発端なんですが、当時の我が国は本当に洋楽の情報が遅れ気味で、前述したエクスペリエンスの解散についても、同年6月の終わり頃にノエル・レディングが帰英したことによる活動停止なのか、あるいは同年8月のウッドストックにおける新編成のバンドデビューによる事後承諾なのか、曖昧なままに翌年にはバンド・オブ・ジプシーズと名乗るジミヘンの新しいバンドがデビューし、そのライブ盤が近々発売されるというニュースだけが先行していたような記憶がサイケおやじには残っています。
 
そしてついにそれが出たのが1970年春、我が国では当たり前に様に遅れて、夏になってからだったんですが、なんとっ!
 
直後の9月にはジミヘンの突然の訃報が飛び込んで来たのですから、実は件のLPを買う余裕も無かったサイケおやじにとっては、どうにか聴く事の出来たバンド・オブ・ジプシーズの演奏が如何にも中途半端で物足りないものに思えていました。
 
それが掲載したシングル盤A面曲「チェンジズ / Changes」であり、歌っているのはバディ・マイルス、しかも演奏そのものがシンプルな8ビートによるソウルミュージックという印象で、そりゃ~確かにジミヘンの強烈なギターは聴けますが、決して主役では無いという……。
 
何よりも一聴して違和感を覚えたのが、ドラムスの単調さであり、何故ならばエクスペリエンス時代の前任者だったミッチ・ミッチェルはツインのバスドラを使い、思いっきり手数の多いドラミングという、当時で言えばザ・フーのキース・ムーンとかクリームのジンジャー・ベイカーのようなドカドカ煩いスタイルで、それがジミヘンの過激なギターと対峙して展開される演奏こそが、世界中を虜にしていたエクスペリエンスの魅力のひとつだとすれば、ここでサイケおやじが初めて聴いたバンド・オブ・ジプシーズは、やっぱり肩すかしだったのです。
 
また、もうひとつ期待外れだったのが、この音源が1969年大晦日から1970年元旦に行われた所謂年越しコンサートからのライブレコーディングだったにもかかわらず……、という点でありまして、実はこれが世に出るまでは、ジミヘンの公式ライブ盤は全く発売されていなかったという真相があったことも「火に油」だったように思います。
 
何故ならば欧米では普通に(?)接する事が出来たジミヘンのライブが我が国では全くの夢幻であり、おそらくはサイケおやじを含む日本のファンがこの頃までに体験出来たのは、1967年のモンタレーフェスにおける記録映像の爆発的パフォーマンスだけであったろうと思いますから、ジミヘンこそが一番にライブに行きたいロックミュージシャンであったという現実は、お若い皆様にも踏まえていただきたいところです。
 
しかも、サイケおやじの場合は現在追体験出来るフィルムの全長版よりも、ずぅ~~っと短いパートだけをテレビの洋楽番組で見ただけという状況でありながら、それでもジミヘン対ミッチという構図と展開には心底シビレさせられ、それこそが我が国でも発売されていたエクスペリエンスのスタジオ録音盤を聴く時の知覚拡大に役立っていたのですからっ!?
 
案の定、日本におけるバンド・オブ・ジプシーズの評価は芳しくない時間が長かったと思うのですが、いかがなものでしょう。
 
告白すればサイケおやじは、そうした第一印象が良くなかった所為で、バンド・オブ・ジプシーズのレコードは後々まで買わず、冒頭に述べた最初のアルバムにしても、友人から借りたLPをカセットコピーしたテープで漫然と聞いていただけでした……。
 
……続く。
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物欲退治にジミヘン

2015-09-22 15:19:05 | Jimi Hendrix

Voodoo Child (Slight Return) c/w Hey Joe / All Along The Watchtower
                                                                                      / Jimi Hendrix (Polydor)

ここんとこ、仕事がとにかくハードな所為か……、等々の言い訳を弄しつつ、物欲が増幅し、様々な煩悩に苛まれています。

昔だったら、忙しければ買い物の時間が無く、それゆえにそこで諦めていたはずが、現代じゃ~、ちょっとネットのショッピングサイトをふらつくだけで、そりゃ~~、もう、欲しい物だらけで、しかもポチッとやれば、後は手元への配送を待つばかりという、便利なようで、実は麻薬的快感のお誘いがあるんですから、後は自ずとなんとやら……。

つまり、例えば欲しくて買ったレコードやCD、あるいは映像ソフト等などにしても、それを楽しむ時間も余裕も無いくせに、矢鱈にお金だけが、それに消えていくというテイタラクですよ。

しかも自宅に届けられると、皆様ご推察のとおり、何かと家族の目もありますからねぇ……。現実的には仕事場へ配送される段ボール箱や封筒等々が、開けられもせずに溜まっていくのですから、周囲からの顰蹙をヒシヒシと感じ、それでも物欲を抑えきれない自分が情けないというわけです。

でもねぇ~~、何のために働いているかって言えば、そうした煩悩に対処しうるお金が必要ですから、なにやら本末転倒、自己矛盾も窮まっているのが、サイケおやじの本性とお笑い下さいませ。

で、本日掲載したのも、これまた最近再燃しているジミヘン熱に浮かされての猟盤で、1970年9月のジミヘン急逝を追悼する名目で緊急発売されたイギリスプレスのシングル盤♪♪~♪

 A-1 Voodoo Child (Slight Return)
 B-1 Hey Joe
 B-2 All Along The Watchtower

その内容は上記のとおり、変則のマキシシングルであり、収録トラックも既発のスタジオバージョンですから、特に重要なものではないんですが、しかし、このジャケ写があればこそ、思わず手を合わせてしまうのは、それも刹那のファン心理とご理解願いところです。

ということで、最後になりましたが、Jimi Hendrix をジミヘンと呼ぶ事については、各方面から不遜というお叱りがあろうはずです。

しかし、例えば我々が高倉健を「健さん」と呼ぶのは、そこにファンなればこその尊敬と親しみを込めての行動であり、それは幸運にもリアルタイムでレコード鑑賞出来た天才ロックミュージシャンに対しても、同じなんですよ。

実際、その頃は皆が「ジミヘン」と呼ぶのが当たり前のスタアでありました、ジミ・ヘンドリックスは!

永遠なれ、ジミヘン!

毎年9月は、偉大な故人へ殊更真摯な祈りを捧げつつ、その音源鑑賞にも気持ちが入っていくのでした。

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Roadwork Jime 1968

2014-09-06 14:05:44 | Jimi Hendrix

Miami Pop Festival / The Jimi Hendrix Experience (Sony Legacy)

 01 Introduction
 02 Hey Joe
 03 Foxey Lady
 04 Tax Free
 05 Fire
 06 Hear My Train A Comin'
 07 I Don't Live Today
 08 Red House
 09 Purple Haze
※Bonus Performances
 10 Fire (Afternoon Show)
 11 Foxey Lady (Afternoon Show)

既に昨年の発売だったのに、ど~いうわけか、世間一般での盛り上がりがイマイチだったのは、ジミヘンがすっかり過去の人と言うよりも、公式発掘プロジェクトをウリにしながらも、供用された音源に新味が足りなかった所為でしょうか……。

実際、この1968年5月18日のマイアミ・ポップ・フェスのライブステージは、これまで夥しいブートのネタ元になっていましたし、内容の充実度も賛否両論というのが、これまでの経緯でありました。

しかし今回はきっちり、ジミヘン所縁のエディ・クレーマーが責任者ということで、これを書いているサイケおやじ本人からして、ブツを早々にゲットしていながら、今頃になって戯言云々という態度は申し開き出来るものではありません。

特筆すべきは、やっぱりリマスターの秀逸さで、それは冒頭のバンド紹介MCに続くチューニングパートからエッジの鋭い音作りに驚嘆! 中でもバスドラの音圧の高さには身震いしてしまったですよっ!

もちろん音源の基本はモノラルなんですが、付属解説書によれば、リアルタイムの現場録音もエディ・クレーマーであった事はプラスのベクトルと思います。

それは皆様ご存じのとおり、1968年のジミヘンは欧州~アメリカの巡業に明け暮れながら、何故かこれまで、この時期のライブレコーディングが公式にはなかなか発表されず、なんとか10月のウインターランド公演だけが認められるわけですが、実はレコード会社は相当に録っていたという推察は易いんじゃ~ないでしょうか?

どうやらエディ・クレーマーの意向(?)としては今後、こうしたライブ音源を順次(?)出していくらしいですよ。

で、肝心の中身については、ジミヘン(vo,g) 以下、ノエル・レディング(b,vo) にミッチ・ミッチェル(ds) という初代エクスペリエンスですから正直、この頃には幾分のマンネリ感も滲んでいる気がしないでもありませんし、演奏そのものにも、手慣れた雰囲気がある事は否定出来ないと思います。

しかし思わせぶりなイントロがニクイばかりの「Hey Joe」、ドシャメシャな「Foxey Lady」の破滅型ロックフィーリングは、やっぱりカッコE~~!

そして「Tax Free」の混濁したハードロックジャズな世界観(?)は唯一無二でしょう。後半のジャムパートの凄みは本当に強烈ですよっ!

また、突っ込みまくりの「Fire」におけるギターにしても、そこに典型的な「らしさ」爆発のジミヘン節が楽しめるんですから、たまりません♪♪~♪

その意味で共演者の頑張りも聴き逃せず、「Hear My Train A Comin'」でのミッチ・ミッチェルのドラミングは、ダレそうになる演奏を見事にドライブさせる原動力だと思いますし、ステージ全篇の随所で意外とプリティなコーラスを披露(?)してしまうノエル・レディングも憎めませんよ。

ですから後半に入っての「I Don't Live Today」に感じられる幾分の倦怠を逆手に活かしたような「Red House」が、これぞっ! スローなブルースロックのお手本に仕上がっているのは結果オーライ以上の嬉しさです。

ただし、不遜にも、そこには既に述べたような「手慣れた雰囲気」が漂うのは……。

それは「Purple Haze」にも同様で、ルーズなグルーヴという感じ方も無いではありませんが、ジミヘンにしてはイマイチどころかイマニぐらい、冴えていないんじゃ~ないでしょうか?

もちろん当時も今も、他のミュージシャンにこれほどの演奏が出来るかといえば、それは否であって、だからこそ常にジミヘンにはエポックメイキングな何かを期待している裏返しの愛情と、言い訳を弄したくなるのですが……。

するとボーナストラックとしてのセカンドショウからの音源が相当に素晴らしく、熱く暴走した「Fire」と捨て鉢な感じの「Foxey Lady」を聴いてしまえば、なんとかこっちも完全版を強く望みたくなりました。

極言すれば、このオマケがあれば、本篇最後の尻つぼみ(?)は帳消しと思います。

ということで、まだまだジミヘンには凄い「お宝」が、どっさりある事は言わずもがな、しかし、あれやこれやの注文や切望を書くことは今回、あえて控えさせていただきとうございます。

そして虚心坦懐に、このマイアミ音源の公式盤CDを謹聴する姿勢こそが、不遜な気持ちを抱いてしまったサイケおやじのとるべき態度と思うばかりなのでした。

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これも怖かったジミヘンの発掘盤

2013-03-20 15:37:10 | Jimi Hendrix

Nine To The Universe / Jimi Hendrix (Polydor)

現在、巷で大いなる話題のジミヘン驚異の新作(?)アルバム「ピープル、ヘル&エンジェルズ」は、確かに凄い!

まあ、そんなふうに思い込んでいるのはサイケおやじだけかもしれませんが、とにかく車の中じゃ~、ほとんど鳴りっぱなしという現状は、周囲の迷惑考慮せず!

そんな困った顰蹙おやじの典型をやっています。

で、本来であれば、それを書けばいいんでしょうが、その前にど~しても触れておきたいのが、掲載のLP「ナイン・トゥ・ザ・ユニバース」です。

 A-1 Nine To The Universe (1969年5月29日録音)
 A-2 Jimi / Jimmy Jam (1969年3月25日録音)
 B-1 Young / Hendrix (1969年5月14日録音)
 B-2 Easy Blues (1969年4月24日録音)
 B-3 Drone Blues (1969年4月24日録音)

ご存じのとおり、ジミヘンの急逝以降、契約レコード会社が「公式」という錦の御旗で未発表音源から仕立て上げたアルバムを様々に出していた事は、1970年代ロックの歴史でもあったわけですが、一方では天才の下積み時代の音源が様々な大儀名分の下に出回っていたのですから、ファンや信者にとっては泣き笑いの現実がありました。

中でも賛否両論だったのは、ジミヘンが心ならずも未完成にしていた音源にレコード会社側が勝手にスタジオミュージシャンを起用してのダビングを施したフェイク盤、例えば1975年に発売されたLP「クラッシュ・ランディング」がバカ売れしてしまった異常事態でしょう。

今日では、それを否定するのが一般常識になってはいるのですが、リアルタイムではウケまくった事実がある以上、ある意味では素直にそれを認めるのも、サイケおやじは吝かではありません。

と言うよりも、本音を吐露すれば、「クラッシュ・ランディング」には、なかなか気持の良いロック的快感が確かにあると思うんですよ。

ところが、それに浮かれたレコード会社が、続けて同じ手法による「ミッドナイト・ライトニング」を出したあたりから雲行きが怪しくなりました。

つまり、それは呆れかえるほどの失敗作で、どんなに贔屓目に聴いても、ジミヘンが残した明らかに不十分な原材料へ強引に新規ダビングを施したのは、愚行愚策としか感じられません。

なにしろ元ネタのテープスピードが一定していないところさえあるのですから、流石に凄腕のスタジオミュージシャン達にしても、労多くして、なんとやら……。

それはアナログ時代でしたから尚更だったと言えば、ミもフタも無いんですが、しかし現代の最新デジタル手法を用いたとしても、選んだ素材や企画そのものに無理があったというのが結論でしょう。

当然ならが世評も芳しくなく、件のLPは一時期、中古屋に溢れかえっていた事も、はっきり記憶しているほどですし、ほどなく廃盤になった事は言うまでもなく、以降のジミヘン発掘商売は、少なくとも真っ当なレコード会社では中断された感がありました。

ですから、本日ご紹介の「ナイン・トゥ・ザ・ユニバース」が1980年に突如として発売された時も世間の風は冷たく、ひっそりしていたんですよ。

しかし実際に針を落して、吃驚仰天!

ガッツ~~~ンっと後頭部を殴られたような衝撃が忽ち全身をシビれさせたほど、そこはジミヘンのギターが炸裂しまくった激ヤバ世界で、こんな地獄があるもんかぁ~~~~~♪

心底、茫然とさせられましたですねぇ~~~~♪

そこであらためて裏ジャケ掲載のデータ等々を確認してみると、演奏の基本メンバーはジミヘン(g,vo) 以下、ビリー・コックス(b) にミッチ・ミッチェル(ds) ではありますが、トラックによってはバディ・マイルス(ds)、ジム・マッカーティー(g)、ラリー・リー(g,vo?)、ローランド・ロビンソン(b)、そしてラリー・ヤング(org) 等々の名前が!?!?

特にラリー・ヤングは当時、最も先鋭化していたモダンジャズのオルガン奏者として、マイルス・デイビスのレコーディングやトニー・ウィリアムスのライフタイムに参加していた俊英ですから、前々から噂になっていたジミヘンと本格派ジャズミュージシャンの共演が、ついに公になった記録です。

それがB面ド頭、10分を超えるジャムトラックの「Young / Hendrix」で、如何にも「ビッチェズ・ブリュー」なリズムパターンを用いつつ、お互いの腹の探り合いを含んだジミヘン対ラリー・ヤングは疑似名勝負でしょう。

と書いてしまったのも、やはりこれはジャム、あるいはリハーサルの段階でしかありえない、場あたり的な感じが強く、裏を返せば、何かとんでもない期待を抱かせたままに終ってしまうところが、恐ろしいとしか言えません。

う~ん トラック終盤で例の「Here My Train A-Comin'」のフレーズを用いたジミヘンの情念が熱いっ!

もちろん、これは後に出た4枚組ボックスセット「ウエスト・コースト・シアトル・ボーイ」に倍近い長尺バージョンが入れられ、さらに危険な予兆に接する事が出来るわけですが、リアルタイムでは、ここに聴かれるだけで充分過ぎるほどでした。

また、直後にカクタスに参加するジム・マッカーティーとのジャムセッションから作られた「Jimi / Jimmy Jam」は、これまた後にカクタスに参加するローランド・ロビンソンのアグレッシヴなペースプレイもあって、何度でも聴きたくなりますよ。

その意味で、4ビートで演じられる「Easy Blues」が本当に凄くなってきたところで終ってしまう編集には完全に???

ですから、同曲が前述の新譜「ピープル、ヘル&エンジェルズ」に新ミックスのロングバージョンで収録されているのは朗報ですし、こちらの初出バージョンに馴染んだ煮え切らなさ(?)に思わず有難味を感じてしまうのは、苦笑いでしょうねぇ~♪

そして「Drone Blues」で炸裂するワウ&ファズの響きこそ、ジミヘン永遠の存在証明! ナチュラルディストーション(?)との兼ね合いも実に良い感じなんですよっ!

さて、肝心のアルバムタイトル曲「Nine To The Universe」については、う~ん、なんと申しましょうか、ビリー・コックスとバディ・マイルスを率いたバンド・オブ・ジプシーズによる凄まじい演奏でありながら、ほとんどヤケッパチとしか思えないジミヘンのプレイが逆に虚しいと述べれば、許される発言ではないでしょう。

ただし、それを自覚していても尚更に感じるのは、当時のジミヘンの「もどかしさ」なんですよ……。

不遜にも後の天才の最期を知っているだけに、何か「生き急ぎ」しているとしか思えないのですが、いかがなものでしょうか。

ということで、しかし我々はジミヘンに感謝の念を忘れてはなりません。

透き嫌いは十人十色でしょうが、これだけ熱くさせられるミュージシャンは、そんなにはいないでしょう。

ですから本人が天国へ召された後になっても、新譜は常に渇望され、例えそれが疑問符付きであったとしても、最初は我知らず謹聴してしまうのが自然の成り行きなのです。

正直に告白すれば、この「ナイン・トゥ・ザ・ユニバース」が出た頃のサイケおやじは、パンクやテクノやニューウェイヴに荒らされ、また産業ロックと称された「事なかれ主義」の洋楽には辟易し、オールディズやモダンジャズ周辺に逃避していたんですが、図らずもその類に入っていたジミヘンの新発掘音源によって、前向きなロック魂を取り戻すことが出来たような気がしたものです。

それは例によって、サイケおやじが得意の大袈裟かもしれませんが、本人はすっかり「その気」になっていたんですよ。

まあ、そんな事も含めまして、このアルバムには思い入れも強いですし、またまた熱くさせられた「ピープル、ヘル&エンジェルズ」を聴きまくってはいても、忘れられない1枚というわけです。

最後になりましたが、ジミヘンのレコーディングに関するデータは日進月歩といていうか、常に訂正が頻繁にあって、どれが正当なのか、サイケおやじには見当もつきません。

この「ナイン・トゥ・ザ・ユニバース」収録の各トラックにおける演奏メンバーや録音年月日についても、とりあえずLP裏ジャケのデータに基づいた記述に致しましたが、それもどうやら誤認とされていますので、ご注意下さいませ。

ただし、そのあたりに拘る以前に、ジミヘンのエネルギーには圧倒されるんですけどねっ!

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ジミヘンライブの恐怖

2012-12-16 15:53:06 | Jimi Hendrix

Hendrix In The West / Jime Hendrix (Reprise)

ジミヘンが凄い事は重々承知していた十代のサイケおやじを、更なる狂熱地獄に誘ったのが、本日ご紹介のライプ盤でした。

というか、バンド・オブ・ジプシーズを別にすれば、ジミヘン名義の公式完全ライプアルバムは、このLPが出た1972年までは存在しておらず、しかしそのステージでの狂乱暴虐ぶりは記録フィルム等々で我国へも紹介浸透していたのですから、今となっては免疫作用も逆効果だったんですねぇ~~♪

なにしろ最初に聴いたのはラジオの洋楽番組で、実はその時は「Johnny B. Good」と「Little Wing」だけだったんですが、それとて完全放送ではないフェードアウトのオンエアでありながら、瞬時に全身の血液が沸騰逆流させられた興奮は、今も忘れられるもんじゃ~ありません。

そこで勇躍ゲットしたのが、中古ではありますが、掲載したアメリカ盤です。

 A-1 The Queen (1970年8月30日:ワイト島)
 A-2 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (1970年8月30日:ワイト島)
 A-3 Little Wing
    (1969年5月25日:サンディエゴ → 同年2月24日:ロイヤル・アルバート・ホール)
 A-4 Red House (1969年5月25日:サンディエゴ)
 B-1 Johnny B. Good (1970年5月30日:バークリイ)
 B-2 Lover Man (1970年5月30日:バークリイ)
 B-3 Blue Suede Shoes (1970年5月30日:バークリイ)
 B-4 Voodoo Chile
    (1969年5月25日:サンディエゴ → 同年2月24日:ロイヤル・アルバート・ホール)

上記収録演目のデータから、このアルバムは様々なライプ音源の名演集でありながら、そこにはジミヘンの急逝という事情を考慮しても、意図的なフェイクは許されません。

なんとっ! これは後に明らかになったんですが、「Little Wing」と「Voodoo Chile」がサンディエゴではなく、ロイヤル・アルバート・ホールからのライプトラック!?

こういう恣意的な情報操作(?)を制作側がやらかしたのは、もちろん良い演奏を集めたいという意思の表れではありますが、結局はロイヤル・アルバート・ホールの音源に関する権利を有していなかった事が大きな原因でした。

しかし、そうやりたくなるのも無理からんほど、ここでの「Little Wing」はリスナーを幻想的なムードに導くほどの素晴らしさであり、「Voodoo Chile」の強烈無比なハードロックフィーリングは、泣きまくりのギターやドカドカ暴れるリズム的興奮も相まって、感動感激の大嵐ですよっ!

ちなみにメンバーはジミヘン(g,vo)以下、ノエル・レディング(b) とミッチ・ミッチェル(ds) の初代エクスペリエンスが最も熟成していた時期とあれば、後は説明不要でしょう。

まさに聴かずに死ねるかっ!

そして同じメンバーによる「Red House」が、これまた永遠の大名演♪♪~♪ 全篇13分ほどの歌と演奏には入魂の激情、トロトロに甘い誘惑、さらには純粋なブルースの衝動がびっしり散りばめられているんですから、これまた過言では無く、歴史的!

サイケおやじは何時如何なる時に聴いても、これで昇天させられてしまいますよっ!

ところが、それで終わらないのが、このアルバムの素晴らしさです。

ベースがビリー・コックスに交代した「Johnny B. Good」と「Lover Man」の激演は偽りなく大噴火した、これもまた恐怖のジミヘンロック! 特に「Johnny B. Good」におけるギタープレイは基本がシンプルなだけに、その唯我独尊の突進力は時空を切り裂くパワーに満ちています。

もちろんハードファンキー化したブルースロックの「Lover Man」も同様で、もしもこの二連発で何も感じなければ、ジミヘンを楽しむ因子が欠落していると言いきって許されるんじゃ~ないでしょうか。

これは独断と偏見では、決してありません。

ちなみに書き遅れてしましましたが、このアルバムの構成はイギリス盤や日本盤と異なり、このアメリカ盤はAB面が逆になっています。

それゆえにワイト島でのライプテイクから入れられた「The Queen」のスタート前のメンバー紹介が、なかなか自然に置かれた感じがしますし、なによりも最初に手にしたのがアメリカ盤であれば、それに馴染んでいるのも当然なんでしょう。

実はそれからメドレー形式で続く「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」が、中途半端なフェードアウトで終わってしまう事も、だから許せるという側面が……。

そして似たような現象(?)として、ライプステージ本番前のリハーサルテイクと言われている「Blue Suede Shoes」の採用についても、ちょいとした息抜きと思えれば、後は一気呵成にLP片面が楽しめるのですから、アナログ盤の特性を上手く使った編集だと思います。

しかし、このアルバムは当時、発売からしばらくして廃盤に……。

何故かと言えば、前述したとおり、「Little Wing」と「Voodoo Chile」の本当の音源権利所有者から訴えられたからで、その所為でカット盤が市場にどっさり出回ったのも懐かしい現象でありましたが、それゆえにこれほどの名演集が気軽に聴けないという時期もありました。

また、その問題がどうにか解消(?)したのか、1990年頃に出たCDは、非常に音が悪くて、幻滅……。

おまけに現行再発の同タイトルCDは曲数も増えていますが、前述の2曲はオリジナルレコードのロイヤル・アルバート・ホールのテイクでは無いので、これまたオススメ出来ません。

結局、リアルタイムの感動を楽しむためには、このアナログ盤を聴く他はありませんが、それでも2000年に出たCD4枚組ボックスセットには件の2曲が収められていますので、これまた今は廃盤かもしれませんが、要注意だと思います。

ということで、ジミヘンが最もジミヘンらしく楽しめるのが、このアルバムの一番の魅力でしょう。

もちろん生前の正規スタジオ制作盤、あるいはウッドストックやワイト島でのライプを収めたLPや記録映画も言い訳無用の素晴らしさではありますが、ジミヘンが実際に生でギターを弾き、歌っている瞬間風速の感度は絶大なんですねぇ~~。

そのエネルギーの膨大さは決して尽きることがないはずです。

そしてサイケおやじが実演のジミヘンで最高に驚異と思っているのは、歌いながらのギタープレイで、その大技小技の兼ね合いやリフの使い方、千変万化でシャープなリズムプレイ等々、リードやアドリブだけではないギターがここまで使えるという真摯なテクニックであります。

それがこの「イン・ザ・ウエスト」で存分に堪能出来ますので、どうか震えながらお楽しみ下さいませ。

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ジミヘンはジミヘン、今日は合掌…

2012-09-18 14:36:09 | Jimi Hendrix

In The Beginning / Jimi Hendrix (Shout)

さて、ジミ・ヘンドリクスの命日……。

何故、死んだ……、と言うより先に、我々ファンは、神様がジミヘンをこの世へ使わせてくれた事に感謝するべきでしょう。

ですから、ジミヘンの没後、いろいろと作られてきた未発表音源集の諸々が悲喜こもごもであっても、それはあくまでも聴いて後の結果論であって、初めて接する時のワクワクドキドキ感は、かけがえのないもの!

例えば本日ご紹介のアルバムは、1972年頃にカナダ(?)のレコード会社が出した、権利も参加メンバーも曖昧な1枚なんですが、ジミヘンのギターに関しては、これぞっ! というフィーリングが唯一無二に楽しめます。

 A-1 Hey Leroy, Your Mama's Callin' You
 A-2 Free Spirit
 A-3 House of the Rising Sun / 朝日のあたる家
 B-1 Something You Got
 B-2 Let the Gods Sing
 B-3 She's a Fox

既に述べたとおり、収録セッションに参加したメンバーは不明ながら、それでもギターは2本が明確に聞こえますし、他にベースとドラムス、キーボードも適宜入っています。

しかも音質は決して悪くないのですから、最低でもリハーサルスタジオでのレコーディングでしょう。

また、ボーカルと掛け声を担当しているのはロニー・ヤングブラッドというR&Bのミュージシャンで、それだけが現在まで、まあ、なんとか判明している事実ではありますが、ご存じのとおり、ジミヘンが下積み時代に草鞋を脱いでいたのが件の親分のグループであり、初めてプロとしてのスタジオレコーディングを経験したのも、1963年冬に同バンドと一緒であったという説もあります。

しかし、ここで聴かれる演奏は明らかなフィードバック奏法、そしてニューロックとしか言いようのないフレーズ構成とポリリズムっぽいロックビート、さらにはバンド全体のグルーヴがファンキーロックしているのですから、これは巷の噂どおり、1966年の渡英直前のセッションだと思うほかはありません。

それはインスト中心であり、特にA面の「Free Spirit」は完全なニューロック、また続く「House of the Rising Sun / 朝日のあたる家」もアップテンポ仕立の強引なノリに熱くさせられますよ♪♪~♪

ところが、これは当時から言われていたことなんですが、実はここに収められている演奏はジミヘンではなく、巧みな贋作!?

それが今日までの、もうひとつの真相と疑われています。

う~ん、そう思えば、確かにエレキベースの音やグリグリのグルーヴが、1966年にしては進歩的過ぎる感じもしますし、ギターに使われているであろうエフェクターで作り出されたサウンドの響きが、英国で作られたエクスペリエンスよりも、はっきりした意図があるような……。

ちなみにジャケットに記載されたプロデュースは「Vidalia Productions」というあたりも、なにか思わせぶりな気がしますよねぇ~~。

でも、それでも良いんですよねぇ~、サイケおやじはっ!

なんていうか、気持良く騙されれば、それもファン冥利って事でしょうか。

例え贋作であったとしても、思わず熱くなって聴けるのが、このレコードなんですよっ!

本物であっても、極端に音が悪いブートよりは良心的!?

と言っては問題かもしれませんが、妙に憎めないのは確かです。

あぁ、尊敬すべき故人の命日であるにもかかわらず、本日は不遜な文章で申し訳ございません。

どうか、それもサイケおやじのジミヘン愛とご理解願いとうございます。

そして合掌。

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これもジミヘンの幻…

2012-07-06 15:49:20 | Jimi Hendrix

Loods Ends / Jimi Hendrix (Polydor)

さて、アーカイヴ商法と言えば、常に物議のあれこれを提供してくれるのがジミヘンの音源でしょう。

もちろんそれは故人の天才性に由来することは言わずもがな、急逝直前まで頻繁にやっていたスタジオレコーディングのソースが完璧な整理保存では無くとも、それなりに纏まっている事が逆に諸問題の根源かと思います。

また膨大に残れさているライプ音源の数々も、それが公式であれ、私的レコーディングであれ、全てに絶大な価値があるのですから、権利関係の煩雑さも含めて、今日ではどれがオフィシャルか、あるいはブートなのか、そういう区別が曖昧になっているものがどっさり!?

そこには裁判沙汰もあるらしいのですが、しかしファンにとっては、とにかく出てくるブツは片っ端から聴きたくなるのが偽りの無い心情ですから、例えそこに詐術や欺瞞があろうとも、お金を払ってしまう行為に罪はありませんよねぇ……。

さて、そこで本日のご紹介はジミヘンの死後、1974年春に編纂発売されたLPで、結論から言えば玉石混合!?

 A-1 Coming Down Hard On Me Baby (1970年7月14日録音)
 A-2 Blue Suede Shoes (1970年1月23日録音)
 A-3 Jam 292 (1969年5月14日録音)
 A-4 The Stars That Play With Laughing Sam's Dice
                                                               / 賭博師サムのサイコロ (1967年7月18日録音)
 A-5 The Drifter's Escape (1970年5月14日録音)
 B-1 Burning Desire (1969年12月15日録音)
 B-2 I'm Your Hoochie Coochie Man (1969年12月18日録音)
 B-3 Have You Ever Been To Electric Ladyland (1967年10月25日録音)

まず、一応は未発表曲集をウリにしていながら、実は「賭博師サムのサイコロ / The Stars That Play With Laughing Sam's Dice」がシングル盤B面ながらも、既に世に出ていた隠れ人気曲という事で、アルバムの中では最高の完成度を示しているのは当然でしょう。まあ、ここまでLP未収録であった事に加え、それなりにリミックスが施されていますから、苦しい中にも大儀名文は成立しているのでしょう。

ですから、それを知ったファンにとってのお目当ては必然的に他のトラックに集中し、中でもジミ・ヘンドリクス(vo,g)、ビリー・コックス(b)、バディ・マイルス(ds,vo) が組んだバンド・オブ・ジプシーズによる1969年末から1970年録音の歌と演奏に対し、大いなる期待を抱いたのはサイケおやじばかりではないはずです。

そして完全に以前のエクスペリエンスとは異なる味わいを表出する「I'm Your Hoochie Coochie Man」のブルース&ソウルなジャムセッションは、明らかにジミヘンが次に狙っていたものの一端が感じられるんですねぇ~♪

あぁ、この重力過多な雰囲気は黒人ロックのひとつの典型でしょうか!?

特有の「淀んだ構成力」を聴かせる「Burning Desire」も、なかなか良いですねぇ~♪

しかしちょいと楽しみにしていた「Blue Suede Shoes」がスタジオ内のお喋りが半分というのは、大減点!?

ここにアルバム全体の散漫な印象、手抜きリサーチ等々が強く感じられ、ジミヘンの諸作中では低評価の要因があると思うほどです。

それは初っ端の「Coming Down Hard On Me Baby」にも強くあって、ここでのメンバーはジミヘン以下、ビリー・コックス(b) とミッチ・ミッチェル(ds) という、なかなか相互理解も進んでいるトリオのはずが、やはり未完成の誹りは免れないところ……。

ちなみに皆様ご存じのとおり、このトラックは後に全然関係のないスタジオミュージシャンによるオーバーダビングセッションで作り出された、最高のフェイクアルバム「クラッシュ・ランディング」に収録され、見事に復活するわけですから、素材としてはそれなりに凄いものがあるのです。

結局、このアルバムの弱点は、企画制作段階においてのスタッフの迷い(?)があったのかもしれず、一説によれば当時のジミヘンのマネージャーだったマイク・ジェフリーの離脱≒急死が要因という内情も……???

ですから、せっかく一番の目玉になるはずだった「Have You Ever Been To Electric Ladyland」の最初期バージョンが、実は全くの断片という強烈な肩すかしに許せないものを感じたとしても、それは天国のジミヘンには責任の無い話だと思います。

当然ながら、売れ行きも芳しくなったようで、リアルタイムではアメリカ盤が出なかったという実情も納得されるでしょう。

ところが、このアルバムには「Jam 292」と「The Drifter's Escape」いう、なかなか素敵なお宝が入っていて、まず前者はジミヘン十八番のワウワウを使ったアドリブプレイが強い印象を残しますし、後者はこれまたジミヘンが好んで歌うボブ・ディランの曲ということで、冷静に接すれば不相応なファンクギターが喧しい気もする後で、実は繰り返し聴きたくなる魔力があるんですねぇ~♪

演奏メンバー的にも、ジャケットにクレジットされていない面々、例えばダラス・テイラー(ds) とかスティーブン・スティルス(g,key) あたりの名前が取り沙汰される真相も含んでいるようですし、「Jam 292」に至っては後に発売される「ブルース」というオムニバスCDに収録された時、またまた凝ったミックスや編集が施されるのですから、たまりませんねぇ~~♪

ということで、所謂蔵出し企画の良し悪しが凝縮された感も強いアルバムです。

しかし主役がジミヘンである以上、リスナーの我儘はバチアタリであり、またそれに甘えたかのような発売元の遣り口は、両方ともジミヘン本人が決して望んでいなかった事は明らかです。

その意味で、一時は遺族の手によって体系的な復刻作業が進んでいながら、またまた最近の縺れ具合は様々な点において不明な発売元から多種多様な音源がダブったように登場するという、これは如何様に理由を捻り出したとしても、ファンにとっては有難迷惑でしょう。

少なくともサイケおやじの現在の立場は、そうです。

したがって、そういう未発表音源集を楽しまんと欲すれば、まずはリアルタイムで接していたアナログ盤LPを取り出すことに躊躇はありません。

残念ながら、この「ルーズ・エンド」はかなり以前にCD化されたっきり、今は廃盤状態という事もあり、皆様にはぜひともアナログ盤を探索鑑賞されん事をオススメ致します。

 

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