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母の闘い その5  文科系

2007年01月19日 00時25分19秒 | 文芸作品
 仕事から帰ってすぐ母の部屋にとんで行き、たずねた。
「あいつ、病院にのせてってくれた?」
 ベッドで疲れをとっていた八十七歳の母は答えた。
「うん、連れてってくれたし、骨も折れてなかったし、ほんとに良かったよ」
 ご機嫌な夢から醒めてまだ寝惚けが残っているといった感じの微笑みも交え、もにゃもにゃと応えた。

帰宅の道すがら、僕は考え込んできたのだ。おそらく息子は僕との約束を果たしてはいまい。朝、ベッドの中から朦朧とした意識のうちに返してきた形の約束だったし、母の方も「仕事で疲れてるでしょう、悪いから自分で行くよ」と遠慮がちだったのだから。いや、朦朧としてたからこそ、また休みは家にいない彼だと思えばこそ特に、何回も念を押してきたはずだ。だけどやっぱり約束は守られてないだろうなぁ。どうやって怒ってやろうか。あいつは、僕の連れ合いが度々こぼす泣き言どおりに「当てにはならず、怒っても糠に釘」。こういう時こそまなじり決し胸倉をつかんではなさずにでも、言い分を最後まで聞かせてやろう。今日は久しぶりにことを荒立てることになりそうだ。僕自身のことでではなく老人絡みのことでなのだから、荒立てる意味は大きいだろう。母の性格なのだが、怪我を後悔し自分の歳を恨むその気の病の方が怪我自身よりはるかに致命的になりかねないという心情も説明してやろう。こんな思いをめぐらしながらの気の重い家路だったのだ。

「今日、病院行ってくれたそうで、ありがとう。ほんとに嬉しかった」
 これが、息子の部屋へとって返して顔を見つめたとたんの、僕の声だった。彼はテレビ画面から目を離さず、表情も変えないで、ただ「うん」と返してきた。

「初めて食べたけど、クレープって美味しいもんだね」
 いつ二階のダイニングに上がって来たのか、不意に母の声がした。まだ、もにゃもにゃとした羽化登仙の様子だ。
「クレープのバナナが美味しいんだね。バナナまで熱かった」
クレープとはバナナ入りと決め込んだような物言いがおかしかった。病院の帰りに彼が買って来てくれて、車の中で肩を並べて食べたのだそうだ。長く家庭科の教師だった母がクレープを知らないのかと一瞬いぶかったが、そういうふりだったのか。母は昔から、何か人と繋がりを深めたいような時、会話の種作りでそんなふりをすることがあったから。でも、クレープが世に出始めたのはいつ頃で、母はいくつでーとっ、やっぱり知らないのかもしれない。
コメント
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