九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

九条問題、経済人の良識。       まもる

2007年01月30日 21時57分52秒 | Weblog
平川克美氏(リナックスカフェ社長)

   憲法改正9条、「理想論」で悪いのか 。

 国論を二分するような政治的な課題というものは、どちらの側にもそれなりの言い分があり、どちらの論にも等量の瑕疵(かし)があるものである。そうでなければ国論はかようにきっぱりとは二分されまい。国論を分けた郵政法案の場合も、施行60年を迎えて近頃かまびすしい憲法の場合も、重要なのはそれが政治課題となった前提が何であったかを明確にすることである。

 政治は結果であるとはよく言われる。仮に筋の通らぬ選択をしたとしても、結果において良好であればよしとするのが政治的な選択というものだろう。ただし結果は結果であって、希望的な観測ではない。米国のイラク介入の結果を見るまでもなく、しばしば自分が思うことと違うことを実現してしまうのが、人間の歴史というものである。

 その上で、憲法改正の議論をもう一度見直してみる。戦争による直接の利得がある好戦論者を除外すれば、この度の改憲問題は反対派も賛成派も平和で文化的な国民の権益を守るという大義によってその論を組み立てている。

 9条をめぐって護憲派は、広島、長崎に被爆の体験を持つ日本だからこそ、世界に向けて武力の廃絶を求める礎としての現行憲法を守ってゆくべきであると主張し、改憲派は昨今の国際情勢の中で国益を守るには戦力は必須であり、集団的自衛権を行使できなければ、国際社会へ応分の責任を果たすこともできない、と主張する。

 なるほど、どちらにもそれなりの正当性があり、等量の希望的な観測が含まれている。しかし将来起こりうるであろうことを基準にして議論をすれば、必ず両論は膠着(こうちゃく)することになる。

 では、確かなことはないのかといえば、それは戦後60年間、日本は一度も戦火を交えず、結果として戦闘の犠牲者も出していないという事実がこれにあたる。政治は結果と効果で判断すべきだというのであれば、私は、この事実をもっと重く見てもよいのではないかと思う。これを国益と言わずして、何を国益と言えばよいのか。

 「過去はそうかも知れないが、将来はどうなんだ」と問われるであろう。現行の憲法は理想論であり、もはや現実と乖離(かいり)しているといった議論がある。私は、この前提には全く異論が無い。その通りだ。確かに日本国憲法には国柄としての理想的な姿が明記されている。理想を掲げたのである。そこで、問いたいのだが、憲法が現実と乖離しているから現実に合わせて憲法を改正すべきであるという理路の根拠は何か。

 もし現実の世界情勢に憲法を合わせるのなら、憲法はもはや法としての威信を失うだろう。憲法はそもそも、政治家の行動に根拠を与えるという目的で制定されているわけではない。変転する現実の中で、政治家が臆断に流されて危ない橋を渡るのを防ぐための足かせとして制定されているのである。当の政治家が、これを現実に合わぬと言って批判するのはそもそも、盗人が刑法が自分の活動に差し障ると言うのに等しい。

 現実に「法」を合わせるのではなく、「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠であり、その限りでは、「法」に敬意を払われない社会の中では、「法」はいつでも「理想論」なのである。

2007年1月13日朝日新聞「私の視点」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこかが狂っている。この果ては!!?  文科系

2007年01月30日 15時55分02秒 | Weblog
30日毎日新聞にもこんな記事が載った。題して「イラン『米が攻撃』に警戒拡大」と。

イラクがあんな風だからイラン戦争など普通では到底不可能なはずだ。なのに、アメリカ行政府の最近の動きは、単なる脅しとも見えないほど深刻な物がある。イスラエルもクライスター爆弾とか「新型『サド』爆弾」とか、常軌を逸しているような行為に及んで憎しみの連鎖を増やしているようだし、何かが狂っているとしか表現できないような深刻さがうかがわれてならない。
国際原子力機関エルバラダイ事務局長も「両者は衝突に向けたコースに進んでいる」、「軍事的な解決策があると考えるのは狂気のさただ」と警告したらしい。
まさに、そういう「狂気の沙汰」が起こりかけているように見える。

ペルシャ湾に空母を並べられたイランの疑心暗鬼は、当たり前だろう。大統領の命令一下で即、重点爆撃なのだから。こんなイランがイラクのシーア派やレバノン、パレスティナ支援を必死に強めるのも、分からないではない。
ところがここに来てブッシュが23日、一般教書演説でこう叫んで見せのだという。
「イスラム教シーア派の過激派が米国にとってアルカイダと同程度の敵になっている」
次いで英米メディアまで、米政権からと見られる、こんなリークを流しているらしい。
「イランが北朝鮮の協力で地下核実験の準備を進めている」
「イランが弾道ミサイルを改良したとみられるロケットで近く人工衛星を打ち上げる」

 こんな事ばかりが続くと、悪循環、憎しみの『眼には眼を』の果てに、イランやアメリカの為政者すら今は望んでいないような米イラン戦争が起こらざるをえぬようになっていくかも知れないと、心から心配している。
戦争なんて案外、最後はそんな風にして起こるようだと考えている。

また、愚か過ぎるブッシュならこんなことにさえ考え至るかも知れないと、僕は恐れてもいる。
「このまま『イラク戦争を泥沼にした大統領』という汚名を歴史に残すよりも、いっそイスラム全体を大きく叩いてしまえ。『狂信の徒』、『女性蔑視』、『非民主主義』、どんな理屈でも大きく付ければよい。毒を食らえば皿まで、小悪人と言われるよりも『大悪』にも見える正義の人と振る舞えば、後世の人々は偉人にも見てくれようか!!」



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする