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書評「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(2)   文科系

2016年12月14日 15時09分29秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(坂口裕彦・毎日新聞外信部ウィーン特派員 著)の書評、2回目を続ける。今回は、アリさん家族の行程ということになる。またどうも、今回では終われそうもないということも、予め申し上げておきたい。

 アリさんは、ほぼ1ヶ月半のこういう旅をした。
 まず、イランからトルコに入るまでが約1か月。ここには書いてないが、歩いたり、国境越え待機をしたりの長い旅だったのだろう。そして、トルコとのギリシャ国境の島、レスボス島でアテネへの船待ち行列の中で坂口さんの同行取材を快諾したのが、15年11月2日。以降の旅はこう続いていく。
 レスボス島・アテネ(ギリシャ)・マケドニア・セルビア・クロアチア・スロベニア・オーストリア・ドイツである。この旅程を何日で通ったか。まず、11月2日にレスボス島で取材を始めてから8日の出航までは船がストライキで決行。8日8時に出発して18時にアテネ・ピレウス港に着いている。以下ドイツまでアリさんらが旅した行程はこうなっていく。

 アテネには10日まで居て、11日がマケドニア、12日がセルビアで、13日にクロアチア、スロベニアを経て14日には目的のドイツは南部メステュテッセンに着いている。マケドニア、クロアチア、スロベニアなどは特別列車を仕立てて、他は難民用バスで、1000人単位以上を次の国に送り込んでいく。なんせ15年に欧州に渉った中東難民は約100万人とあって、オーストリア、ドイツ、スエーデンなどの大量受け入れ国へと、どんどん送り込んでいくというやり方である。他方、受け入れを好まぬハンガリーのような国はこんなことをした。初めはセルビアとの国境に、次いでクロアチアとの国境にも塀を作って、難民の流れ、つまり彼らの通過の流れを2度も変えさせた。初めセルビア国境を封鎖して以降、この流れがクロアチア経由でまたハンガリーから、ドイツ方面へと変わったから、クロアチアとの国境も封鎖したということだ。

 さて、アリさん家族のこの流れの後半は後に分かったこと。著者は不運にも途中ではぐれてしまって、再会は11月20日、前記のドイツは南部メステュテッセン市ということになる。マケドニアで難民・一般と分けられた国境通路において互いを見失い、次のセルビアでは難民区画を外から見た遠くにアリさんを見つけて写真も撮っていながら、警官の制止で面会できなかったのである。難民特別列車には作者は乗ることが許されないという問題もあった。ドイツでの再会は、坂口さんが手渡した携帯が料金切れからやっと機能を回復して果たすことが出来たということだ。

 ともあれ坂口さんは、アリさんを捜し回って難民とともに同じコースを移動していったことには変わりはない。レスボス島アリさんの仲間を見つけてはアリさんの行方を質問したりしながら。見つけられなかった理由は、アリさんらの旅が予想以上に速かったこと。なんせセルビアからドイツまでの間の最後3国を難民特別列車などによって2日で通り過ぎていたのである。

 次の3回目を終わりとするが、そこでは難民に対する考え方、あるべき態度のようなことにも触れてみたい。 
コメント (7)
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