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ハリルジャパン(79) 希望見え始めた日本サッカー①  文科系

2016年12月31日 16時15分47秒 | スポーツ
 近年ちょっと低迷していた日本サッカーに、明るい明日が見え始めた年だったと思う。かなり長く続いた世界比較の最大弱点がカバーされ始めたからだ。その弱点とは、サッカーが格闘技だという事を計算に入れず、育成の柱からも外していたに等しいと思われること。この事にまつわって近年の経過を2回連載で書いてみたい。

①この弱点はかなり長く続いていて、例えば中田英寿が最後に出たドイツワールドカップ。初戦のオーストラリア戦を終わって、監督ジーコがこううめいたのは有名な話。
「日本選手が、こんなに体力がないとは! これは、予想外のことだった」
 オーストラリア監督フィディング見え見えの「挌闘戦略」にじりじりと体力を奪われた末に、終盤に攻められっぱなしで1対3、惨め過ぎる大逆転を喰らったゲームだった。第3戦のブラジル相手にはもうヒデ1人が孤軍奮闘。それは、誰の目にも明らかなことであった。
 この中田英寿が当時世界1位のイタリア優勝チームでレギュラーを張れた理由は古いサッカーファンならば誰でも知っている。高校時代にナイジェリアと対戦して以来、「あの体力に少しでも追いつかなければ」とハードな、当たり強さなどの筋トレを日課としてきたからである。
 ところが、このヒデの「経験」をその後、長谷部と本田が現れるまで、受け継いだ選手が途絶えていたように僕には思われる。

②南ア大会直前になって、本田が彗星のように現れた。その理由は岡田監督の言葉では「日本は先取点を取られると苦しい。守備に人数を割くから、少ない前はボールがキープできる選手にする」。本田は、日本人離れした力強さでボディコンタクトを物ともしない選手になっていた。同じような選手が長谷部。彼はドイツに渡った08~09年の1年間をマガト監督の「軍隊式トレーニング」に費やした。「このトレーニングの後は家に帰って、バタンキューと寝るだけの生活」、この1年を後で振り返った長谷部の言葉である。その結果として後の長谷部は、ヒデと同じようにドイツ優勝チームレギュラーになっただけではなく、その年の独キッカー誌ベスト11にも選ばれている。それから10年近く、長谷部が立派な代表キャプテンを張り続けていられるのも、日本人離れしたデュエル(1対1、決闘の意味)の強さがあったからだ。「先ず、デュエル。これで負けていては話にならない」、これが長くキャプテンを務めてきた長谷部の口癖だ。

③さて、ヒデ、本田、長谷部から、Jリーグ選手はちっとも学んでこなかったと思われる。その結果が、これ。Jリーグ選手だけで戦うアジアチャンピオンズリーグで全く勝てなくなったことだ。ワールドカップ南ア大会があった2010年ちょっと前からのことだが、明らかに当たり負けていた。闘いを避けていた。だから中東や韓国チームなどは、日本相手には余計に体力勝負で来た。そこから、鍛え抜いた優れた(組織的)技術もさっぱり使えなくなっていた。1対1の競り合いで負け始めると、すべてが後手後手に回らざるを得ないのである。
 こうして、14年W杯ザックにしても、今のハリルホジッチにしても、海外組中心に使うのは以上のような理由が第一だったと思う。初めの頃のハリルなどはもう「デュエル」のことしか言わないと感じて、驚いた覚えさえある。そう見抜いた彼は、ジーコやザックよりも現代サッカーをよく知っているということだろう。弱小ドルトムントが世界を席巻してからは、なお走り合い、当たり合いが激しくなったことだし。


(その2に続く)
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随筆 「ソルのエチュード・セゴビア編20曲集」  文科系

2016年12月31日 14時42分26秒 | 文芸作品
 フェルナンド・ソルは18~19世紀スペインのギター弾き兼ギター作曲家。20世紀のギター巨匠セゴビアらが「ギターのベートーベン」と呼んできたお方。そのセゴビアが、ソルの数多い練習曲の中から20曲を厳選・編集した「セゴビア編によるソルの20の練習曲」という楽譜本がある。この本を僕はこの12月、とうとう終えることが出来た。終えたと言っても、20曲のうち三つを除いてはそれぞれ一応の完成と言うにもほど遠いもの。読譜弾きでつかえつかえでも最後20番までを一応なんとかやり終えたというだけなのだが、定年後に先生について習い始めた僕としてはちょっとした達成感がある。
 なお、上に書いた「三つを除いては」というのはこういうこと。5、14、17番は、僕のギター生活の宝物のような「暗譜群20数曲」の中に入っているからだ。つまり、この3曲はちょっと弾き込めば人前でもなんとか辛うじて弾けるかという出来なのである。
 5番は、ギター弾きには言わずと知れたギター界での通称「月光」。僕が心底惚れている曲。この曲は、若い1人習いの頃からどれだけ弾いてきたことか。一向に上手くならないから人には聞かせられず、仕事から夜遅く帰ってお酒を飲みながら1人弾きを楽しんできた曲なのだ。定年後先生について、2か月程の音出し訓練から最初に手を付けた曲もこれだった。

 もう一つ17番も大好き。つい最近、同門のあるギター友達にこんなメールを出した程だ。
【17番着手に、熱烈なエールを送ります。
 16番を終わったのですね! 美しい曲でしょう。これもキープしておく価値は大きいと感じてきましたが、次はいよいよ「僕にとって大問題」の17番! このお話を「記録を見ながら」ちょっとしましょう。セゴビア編20曲集本などに付した記録を見ながらね。
 この曲との出会いは随分古く、それは僕にとっては文字通り衝撃。こんなふうに。
 03年62歳で先生なるものに、初めてY・Mさんについて音出しから始めて、彼とケンカしてやめて06年末にO・Mさん所に来て、その12月にこの20曲集を勧められて始めている。1番に「12月25日着手」と書いてあります。この頃に、いつかお話ししたノーバート・クラフトというカナダ人演奏家のCDを買ったか聴き直したかして、17番がどうしても弾きたくなったようです。2番、3番に07年2月と書いてあって、その次がいきなり17番に「3月3日、着手」ですから、本当に今から考えればとんでもない「飛躍」に挑んだもの、もちろん弾けませんよね。それでもこれを数か月レッスンに上げている。その4月とか、6月16日とかの注意書きが続いていますから。それでも、ちゃんと弾けるわけがありませんよ。でも、そういうこの曲を初めから暗譜群に入れたんです。以降最低2回はレッスンに上げ直して、やり直している。09年5月とか、11年4月とかの再着手、再々着手の記録があります。親友のKさんにもこれを勧めて、彼としては珍しくこのクラッシックに数か月必死に挑んだという事実までありますよ。
 さて、そこらの事情は、先生が全部知っています。先生自身ももう一度、この曲に挑み直しているはずですから。僕の方は以降一度だけ、我が家のギター遊び(春夏秋冬と、年に4回程やって来たギター弾きのパーティーです)でこれを弾いたことがある、この曲をアポヤンド旋律に換えた11年頃のはずです。本当に難しい曲ですが、こうして僕は、この曲のためにここまでギターに没入できたと言ってよいんですよね。また、客観的価値も凄く高い曲なんだと解しています。ソルは魔笛もグランソロも一応やりましたが、問題なくこっちが上と! ただ、変奏曲の面白さは別格ですけどね。
 という訳で、この曲はとにかく頑張って下さい、と僕としては声を大にして言うわけです。】

 と、こんな細々とした長々しい話を、ギター弾き達、音楽好きが誰か読んでくれないかなと、密かに思って書いた、年末なのでありました。何か楽器の演奏が趣味の方なら分かってくれる箇所が一杯と目論んだのですが、どうでしょうか。
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