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書評 「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(1)   文科系

2016年12月13日 14時01分38秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「ルポ 難民追跡 バルカンルートを行く」(坂口裕彦・毎日新聞外信部、ウィーン特派員 著)の書評を書きたい。

 僕がこの本を読もうとした動機は、こうだ。
 右翼論者が苦手な「世界を」、「100年単位で観る」時、現在中東・西欧を揺るがせているこの問題が日本を含めた世界の人々の未来に影響するところは計り知れぬと考える。それ以上に、100万人単位どころか1000万人にも及ぶ昨今の民族大移動・大事件を気にかけることは、人として最低の義務の一つだろうと考えるのである。つまり、この問題をよそ事とする頭脳には、何か政治論議を語る資格さえ無い、とも。この二日間書いてきた立派なノーベル賞物理科学者(益川敏英)さんでさえこう語っていた。「科学者である前に先ず人間であれ」。これは、普通の道義を備えた人々には、常識に属することだろう。


 さて、2015年に西欧への難民大移動が特に激しかった時期、作者はウィーン特派員。記者として避けて通れない問題と考えた。ルポとはルポルタージュの略で、「現地報告」を決意したのである。それも、西欧への入口トルコ・ギリシャからドイツへという典型的ルートを通るだろう1家族に密着同行取材を認められて、その家族が属していた1000人程の一団を追跡していくことになる。なお、「その日のことはその日の内にに書きとめる」と心に決めて来た坂口氏は、この本を「同時進行ルポ(現地報告)」と名付けている。

 いろいろ断られた揚げ句の取材相手は、イランから来た3人家族と決まった。アリ・バグリさんはアフガニスタンはバーミヤンの出身で32歳、蒙古人の血を引く日本人に似た容貌のハザラ人。彼がイランに亡命したのが2010年、そこで同じアフガン出身のハザラ人、タヘリー・カゼミさん(この15年で)30歳と結婚した。一人娘のフェレシュテちゃんが4歳になったこの年に、ドイツへの移民を決意したのである。
 こういう彼らに坂口さんが出会ったのは2015年11月2日。約1か月前イランを後にしてドイツに向かうべく移動し続けた末に、ギリシャ領レスボス島からアテネ・ピレウス港行きの難民船乗り込みを待って延々数百メートルも続いた隊列の中のことだった。なんとか英語が話せるアリさんが密着取材要望を快諾してくれたと、これがこのお話の始まりなのである。
 ちなみにレスボス島とは、トルコ領北西端の沖10キロにあるギリシャの島で、この島への渡航が密航業者で有名なすし詰め、決死のゴムボート。ここからアテネのピレウス港までは1日がかりのフェリー航海とのことである。

 それからのこの一団の行程は、結果的にこうなっていく。アテネ(ギリシャ)・マケドニア・セルビア・クロアチア・スロベニア・オーストリア・ドイツである。このルートは、2015年春から2度変更された末に自然に出来あがったものと述べられている。9月14日までは、セルビア・ハンガリー・オーストリアというルートだったのが、セルビア・ハンガリー国境をハンガリーが塞いでしまったことから以降2度大移動の流れが変わっていたということだ。この難民大移動は、なぜドイツを目指すのか。アリさんらは、11月14日にはドイツに着いているが、どういう運命が待っていたか。この書評は次回で終わると申し上げておきたい。

 乞うご期待として一言。彼らは希望を求めて難民の旅に出たのである。掲載された写真にある顔はほぼ全部、明るく笑っていて、僕が持っていた難民というイメージとはかなり隔たっている。もっとも、一定裕福であるとか、親族の「希望」を背負った金を掻き集めて「先遣隊(後には「本国に残った親族などの呼び寄せ隊」に変わる)」として出かけてきたという人々が中心と言われていた。

 2015年国連調査によれば「新しい避難民」1240万人。出身国内訳で多いのは、シリア490万人、アフガン270万人、ソマリア110万人とあって、アリさんらのバルカン半島ルートで3番目に多いのはイラクとあった。受け入れ国トップは、トルコの250万人、次がパキスタンで160万人である。アフガン戦争、シリア内戦(工作)、イラク戦争と打ち続いた戦乱の歴史の罪の重さを痛感せざるを得なかった。
 
(続く)
 祝、昨日のアクセス390人!
コメント (2)
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