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日本会議の「トンデモ国家観」  文科系

2020年08月28日 07時56分22秒 | 国内政治・経済・社会問題

 「日本会議がめざすもの」なる文章を読んだ。結論を一言で評すれば、こういうことになる。近代以降の政治経験がある世界のどの国にも通用しない独りよがりの、しかも、目的実現など不可能な「夢想家の戯言」。この文書のような国家構想に、無数の保守党国会議員、地方議員が賛成の名を連ねているというのは、我が国政治世界における政治史的教養の欠如とさえ、僕には見えるのである。以下に、その証明を試みてみる。全六節から成った3,000字ほどの文書だが、あと三つはそれぞれ「教育」「国防・世界平和」「国際協力」という各論に当たるものなので、国家論総論に当たる1~3節を論評する。なお、以下の『 』文章は全て、本文から抜いたものであることを示している。

『私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています』(『1美しい伝統の国柄を明日の日本へ』から)

『わが国の憲法は、占領軍スタッフが1週間で作成して押し付けた特殊な経緯をもつとともに、数々の弊害ももたらしてきました。すなわち、自国の防衛を他国に委ねる独立心の喪失、権利と義務のアンバランス、家族制度の軽視や行きすぎた国家と宗教との分離解釈、などなど』(『2 新しい時代にふさわしい新憲法を』から)

『国民の政治への無関心は民主主義そのものの危機です。
 特に、先の大戦を一方的に断罪するわが政府の謝罪外交は、国の歴史や国難に尊い命をささげた戦没者をないがしろにするものであるとして、国民の大きな非難をうけています。・・・・国の名誉や国民の命を守るべき政治の使命がおろそかにされていることに、多くの国民が危機感を抱いています。
 今こそわが国は、独立国としての名誉と国益を重んじ、国民の生命と財産を守る確固とした政治の再生が求められています』(『3 国の名誉と国民の命を守る政治を』から)

 さて、以上三つの文章は、題名を付した総論3節のそれぞれ「さわり部分」である。そして、この三つの文章を結ぶと、日本会議の歴史認識とそこから導き出されてくるあるべき日本国家観というものが、鮮やかに浮かび上がってくる。

・なによりもまず、この国家観は、これを認めぬ国民を『同胞感』の無い者として切って捨てる。これらの国民を、『社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力』になりえない「日本人」であると観ることによって。

・次に、これら国民に対しては、無責任な「日本人」であるとして、こんなことも迫られ、叩き直していくのであろう。『自国の防衛を他国に委ねる独立心の喪失、権利と義務のアンバランス、家族制度の軽視や行きすぎた国家と宗教との分離解釈、などなど』を戒める新憲法を作るとはそういうことである。

・第3節はこういうことだ。以上のような意味において国の名誉も国民の命も財産も守れなくなった堕落した人々をあるべき政治によって正していきたいのだ、と

 

 さて、これに対してなによりも言いたいのは、こういう国家観は、近代民主主義やそれに基づく立憲主義国家観とは全く相入れない全体主義国家観の一種になるということだ。近代民主主義の国家観は、基本的人権を有するありのままの国民諸個人を国家の主人公としてきた。そして、その諸権利をより豊かに守れるようにせよと、時々の為政者に憲法の実現を命じたものという国家観である。そういうありのままの諸個人が尊い国の主人公であるという考え方を、日本会議の国家観は一種否定しているのである。社会の安定も国民の命も財産も、彼らが言うところの「同胞感」の無い日本人にはこれらを守ることを期待できないとして。
  どうだろう、近代民主主義を表す格言などと、あまりにも異なる考え方ではないか。
「僕は君のその考え方には反対だ。が、それを発言する権利は命を懸けても守る」。これに対して「同胞感」の無い人は、発言を押しとどめられるような文書と言える。『皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感』のことである。
 この「同胞感」は、「天は人の上に人を作らず」や「人民の、人民による、人民のための政治」「自由、平等、友愛」とも異質な国家観にも連なっていくはずだ。

 そしてなによりも、こういうものがこの日本に近く実現できるという、その感覚が僕には不思議に思えた。この「同胞感」になじめぬ国民を強制排除しなければ、実現などあり得ないからだ。国民の3分の2の賛成を得てこの強制排除を遂げようと考えているのだろうが、これが独りよがりの幻想としか見えないのである。こうして位置付けられた天皇も今の象徴天皇も変わらぬ同じような存在だと、日本会議の人々には見えるのかも知れぬ。しかし、普通の人には全くそうは見えないはずだ。現在の象徴に対して、「日本人同胞の同胞として帰一する『125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在』は。

 

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