広辞苑によれば、全体主義とは、『個人に対する全体(国家、民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想及び体制』とある。ブリタニカによれば『個人の利益よりも全体の利益が優先し,全体に尽すことによってのみ個人の利益が増進するという前提に基づいた政治体制で,一つのグループが絶対的な政治権力を全体,あるいは人民の名において独占するものをいう』。
「天皇=国民」を否定する個人を「反国家」、「裏切り者」と観るような主張は、全体主義でなくてなんであろうか。こういう思想からは、個人の基本的人権だけを基礎とする国家論が憎まれることになる。人権に制限を与えて良いとされる「公の秩序」の中に天皇が入ってこざるを得ないからだ。
確かに、個人がこう言う思想を持っていても構わないし、これを表現するのも表現の自由に属することだ。が、これを何らか他人に対する行動に移すとなれば話が別である。名古屋市河村市長が「表現の不自由展」に対して、「日本人の心」を踏み躙った「天皇冒涜表現が許せん」と動いたのは、こういう全体主義思想の発露ということになる。ちなみに、象徴天皇が政治的権能を持たぬと言うならば、この天皇の存在を人の政治行動に絡ませてはならないというのは明らかなことではないか。天皇を神聖視する思想、感じ方で他人を制する行動の一切は、禁じられるべきということだろう。ましてや公職にあるものがこんな行動を取るとは、全体主義政治家と言われても仕方ないはずだ。