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シンさん「天皇が宙に浮いてしまいます」  文科系

2020年08月11日 16時12分33秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 『日本国憲法は立憲主義に基づいてできたのではない。アメリカが作ったからだ。』について

 一例、こんな、近代史家の文献があります。笠原十九司著『増補 南京事件論争史』、平凡社ライブラリー、2019年3月22日 初版第三冊359ページですが。

『 日本国憲法草案を審議、作成した時の首相の幣原喜重郎がマッカーサー連合国軍最高司令官に直訴の形で憲法9条を発案し、それにマッカーサーが共感したことが「事実」であることは、以下の三つの史料から十分に証明することができる。いずれも国会図書館の憲政資料室の所蔵されている史料である。
①「平野文書」幣原喜重郎の議員秘書の平野三郎が「戦争放棄条項が生まれた事情」について幣原喜重郎から聞き取りをした記録。②「羽室メモ」幣原喜重郎と生涯親友だった大平駒槌の三女羽室ミチ子が、幣原喜重郎と大平駒槌から直接聞いた憲法草案作成に関連した話を詳細に大学ノートに記録。③マッカーサーの演説、回想録など数種類の記録資料に、幣原喜重郎がマッカーサーに「直訴」の形で憲法9条を発案した経緯が記録されている』

  なおこの本のこの直後には、こんなことも書いてありました。朝鮮戦争直後の1953年にアメリカから日本に軍隊設立、18万人の陸上部隊創設が要求されて、そこから「自由党憲法調査会」が発足し、翌年に「日本国憲法改正要綱」が発表された、と。軍隊を作りたいと言うのが占領軍の希望だったのだが、「また、軍部独走が始まる」と恐れた幣原が、これを止めたというのが9条成立の真実なのでしょう。

 

次いで、『(日本国憲法が無効とすれば、大日本帝国憲法だけが残っているわけだが)この帝国憲法は結構良いものだ。途中からは普通選挙も認められたわけだし、当時としては世界に誇るべき偉大な日本の功績です』、について

 まず、貴方は、普通選挙の本家本元イギリスを忘れていると言いたい。英仏米の運動があったから以下の全てが起こっているとも僕は見ています。イギリスの選挙制度運動に関わる長い歴史を一度調べて下さい。その上で、何よりもオーストラリア、ニュージーランドの女性選挙権から以下次のような国もお調べ下さい。
 ドイツ、アメリカ、フランス、ブルガリア。西欧諸国以外でも日本より早い所は無数ですが、女性選挙権については、日本は特に遅れている。女性選挙権について、以下をお調べ下さい。オセアニア諸国、北欧三国やソ連。中南米では、ウルグアイ、エクアドル、キューバ、ブラジル、他にもトルコ、タイなどもね。
 さらに、大日本帝国憲法第一、三条を復唱した上で、大元帥としての天皇の統帥権というものを調べてみて下さい。その上で、この憲法に国民という言葉がどこにも出てこず、これの代わりが全て臣民になっている意味を考えてみて下さい。
 あなたはやはり、大日本帝国憲法を美化しすぎていると考えます。

 

 今回の最後です。大日本帝国憲法成立時に普通選挙がなかった以上、立憲主義と天皇との間には、何の契約関係もなかったことになる。もし貴方が日本国憲法を否定するなら、象徴でさえ契約関係はない事になりますね。天皇と国民との憲法で認められた関係とは、貴方にとっては一体どういうものになるのですか? そして、今後に向けてどうあれというのですか。

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喜寿ランナーの手記(300)術後1か月、3回目のラン  文科系

2020年08月11日 11時38分40秒 | スポーツ

 白内障両目手術5日間入院後10日が過ぎた辺りから体力強化に励み、その術後26日目の8月4に走り始めて、この6、10日も走った(ちなみに、1か月は走ってはいけないと言う医者の指示があった。僕はそういうのを時々破る。自分の「傷」からの回復力を知っている積もりだから)。いずれも1回30分制限があるジム・マシンで30分×2回の距離だが、8、8.1、8.3と、今のところ順調に来ている。前半30分はいつもウオームアップ歩行も含んだものだから、時速8・5キロでは走れるようになったというところだろう。

 4日は全くのノープロブレムだったのに、中1日おいた6日の8.1キロの時は走行中大変な疲労感に襲われたもの。が、中3日おいた昨日8.3キロはかなり楽になった。それでも、後半の後半辺りにはまだ疲労感が多いのは、この暑さも関係しているのだろうが心肺機能がまだ回復していないのである。インターバル・ラン的に走ってみた時に、時速10.5キロでも走れたから、筋力的にはもう問題はないようだ。走り込みによって循環機能の回復を待つということになる。

 当面は中1~2日置いて走り、1時間の距離で前日より100メートルずつ増やしていくという、ブランク後のいつものやり方を採っていくつもりでいるが、どの程度までこれが出来ていくか。中には、循環機能前進のために全くのLSDという日も設けねばならないだろう。そして、問題は10月に入った外走りである。その時の1時間9.5キロ辺りが、今の目標になる。

 ただ、1か月程度の完全ブランクならこれくらい回復していく身体だと知ることが出来たのは、来年80歳になる僕にとって、大変貴重な体験だった。というようなことを確認できていく作業がまた、とても幸せなことと感じながら走りにいくのである。

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