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なぜ、嘘の「南京」を書く?  文科系

2020年08月22日 12時52分35秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 なぜこんな嘘を書くのだろう。不思議で仕方ない。100人斬りも、夏淑琴さん名誉毀損訴訟も、日本の最高裁まで行ってその判決で確定していることまでを、コメントで堂々と平気で否定している。怖いほどの狂信ぶりは、どこから来るのか。冷静な頭脳とは思えないが、「南京なかった」派がこれだけ裁判に負け続けてきたのも、「嘘に燃え上がった偽りの構図」からなのだろう。

 

 南京事件は百%ありませんでした (シン) 2020-08-22 11:55:29

『百人斬り競争』も夏淑琴さんも、合計しても五百人にも、とおく及びません。そもそも、百人斬りが盛られている事は、百%です。実際は、10人以下でしょう。南京事件は、大量虐殺であり、六週間続く事が必須条件です。しかし、六週間、続く訳はない。なぜなら、人は逃げ出すからです。そして、0人になってしまえば、誰も殺せないからです。どう考えても大量虐殺が6週間続くことなどありえないのです。

また、日本は、国内法では無罪としています。野田少尉も向井少尉も、南京事件の犯人は全員無罪として名誉回復しています。野田少尉も向井少尉も靖国神社に祀られているだけですが、松井大将は、靖国神社に祀られているだけではなくて、殉国七士として、英雄となっています。揮毫したのは、安倍総理のお父さんの岸総理です。


100人斬り最高裁判決結果 (文科系) 2020-08-22 12:41:20

 裁判結果こそ、事実をあらわすもの。100人斬り事件裁判で名誉毀損と訴えた2人の将校遺族側敗訴として、最高裁判決はこうなっています。知らないのでしょうが、反論できます?
 『「100人斬り」訴訟は、2006年12月の最高裁の決定によって、原告側の敗訴が確定した。1970年代におこなわれた「100人斬り」論争について、司法の場においても決着がつけられたのである。「100人斬り」の実態は、戦闘中の白兵戦によるものではなく、投降兵、敗残兵、捕虜あるいは農民を座らせて斬首したのが実態であった』(P242)

 稲田朋美弁護士など原告側はその総力を挙げて151点の資料までそろえて争ったが敗退したと、この本に記してある。この記述が嘘ならば、当然新たな裁判をこの本に対して起こせるはずなのだが・・・それが今日までないということである。「事実」を覆す新資料は今のところ発見できていないということだろう。

(以下は、この8月24日追加分)

 上記シン君のコメントへの反論としては、文中言及してない部分があるので、以下の反論を追加する。

 南京大虐殺があったのは事実ということも、裁判などで確定している。それのみならず、そういう裁判結果などにも従って、外務省ホームページでも「南京大虐殺は事実」という政府見解が掲載されている。以前にも書いたことだが、だからこそ右翼の集会でこんなことが叫ばれるのである。「外務省は、南京虐殺ホームページを削除せよ!」。「南京は事実」という裁判結果の典型は、家永訴訟。これによって、「南京虐殺は事実」と認定されたからこそ、いわゆる歴史事典で「南京虐殺」が事実として載っていないものはほとんどないはずだ。「南京虐殺があった」は、学問的にはすでに決着の付いた問題である。決着が付かず残っている問題は、死者数だけだ。それも20万から3万前後までの幅があるというところだろう。

 こういう決着「事実」を、上にシン君がやっているような「論理的否定」で反論しても既に無意味な段階に到達している。「6週間でそれだけ殺せない。人は逃げるからです」??

 ということまでを事実でもって丁寧に示している「歴史論争史」としてのこの本は、著者が図らずもその歴史学者人生をかけることになった現在までの集大成と読んだ。平凡社ライブラリー・笠原十九司著「増補 南京事件論争史」。

 

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随筆 死に因んで   文科系

2020年08月22日 10時14分30秒 | 文芸作品

 心臓カテーテル手術をやった。麻酔薬が入った点滴でうつらうつらし始めてちょっとたったころ、執刀医先生の初めての声。
「これからが本番です。眠っていただきます」。
 ところがなかなか眠りに入れない。眠ったと思ったら、間もなく目を覚ます。痛い。するとまた、意識が薄らいでいくのだが、また覚醒。そんなことが三度ほど繰り返されたので、「痛いです」と声をかけた。執刀医の先生、かなり驚いたように何か声を出していた。
 さてそんなときずっと、いやに冴えている頭脳である思いにふけっていた。大事故の可能性もある手術と、意識していたからでもあろう。手術自身はちっとも怖くはなかったのだけれど、こんなことを考えていた。
「このまま死んでいっても良いな。死は、夢を見ない永遠の眠り、か」
 知らぬ間に生まれていたある心境、大げさに言えば僕の人生の一つの結実かも知れないなと、噛みしめていた。

 小学校の中頃友人を亡くして、考え込んでいた。「彼には永遠に会えない。どこにいるのだ」。ひるがえって「僕もそうなる」。それ以来自分が死ぬということを強く意識した。間もなくこれが「永遠の無」という感じに僕の中で育っていって、何とも得体が知れぬ恐怖が始まった。この感じが寝床で蘇って、何度がばっと跳ね起きたことか。そんな時はいつも、冷や汗がびっしょり。そしてこの「症状」が、思春期あたりから以降、僕の人生を方向付けていった。「人生はただ一度。あとは無」、これが生き方の羅針盤になった。大学の専攻選びから、貧乏な福祉団体に就職したことも、かなり前からしっかり準備した老後の設計まで含めて、この羅針盤で生きる方向を決めてきたと思う。四人兄弟妹の中で、僕だけが違った進路を取ったから、「両親との諍い」が、僕の青春そのものにもなっていった。世事・俗事、習慣、虚飾が嫌いで、何かそんな寄り道をしなかったというのも同じこと。自分に意味が感じられることと、自分が揺さぶられることだけに手を出して来たような。こうした傾向を、二十歳の春から五十年付き合ってきた連れ合いはよく知っており、「修業している」といつも評してきたものだ。

 ハムレットの名高い名台詞「生きるか、死ぬか。それが問題だ」でも、その後半をよく覚えている。「死が眠りであって俺のこの苦しみがなくなるとしたらこんな良い終わり方はないと言えるが、この苦しみがその眠りに夢で現れるとしたら、それも地獄だし?」というような内容だったかと思う。この伝で言えば、今の僕のこの「症状」ははてさて、いつとはなしにこんなふうに落ちついてきた。
「夢もない永遠の眠り。それに入ってしまえば、恐いも何もありゃしない」
 どうして変わってきたのだろうと、このごろよく考える。ハムレットとは全く逆で、人生を楽しめているからだろう。特に老後を、設計した想定を遙かに超えるほどに楽しめてきたのが、意外に大きいようだ。ギター、ランニング、同人誌活動、そしてブログ。これらそれぞれの客観的な出来はともかく、全部相当なエネルギーを費やすことができて、それぞれそれなりに楽しめてきた。中でも、ギター演奏、「音楽」はちょっと別格だ。自身で音楽することには、いや多分自分の美に属するものを探り、創っていく領域には、どういうか何か魔力がある、と。その魔力ぶりは僕の場合、こんな風だ。
 この二月から、ほぼある一曲だけにもう十ヶ月も取り組んでいる。南米のギター弾き兼ギター作曲家バリオスという人の「大聖堂」。楽譜六ページの曲なのだが、この曲だけを日に一~二時間練習して先生の所に十ヶ月通ってきたことになる。長い一人習いの後の六十二の手習い七年で上級者向け難曲なのだから、通常ならとっくに「今の腕ではまーここまで。上がり」なのだ。習って二ヶ月で暗譜もし終わっていたことだし。が、僕の希望で続けてきた。希望するだけでは、こんなエネルギーが出るわけがない。やればやるほど楽しみが増えてくるから、僕が続けたかったのである。「この曲はもっと気持ちよく弾ける、その為には」。ギターの構えから、長年の悪癖までを、この半年ほどでいくつ苦労して修正してきたことか。こんな熱中ぶりは、自分でも訝しいほどである。
 ギターを習い始めて、これと同類の事をもういくつも体験してきたように思う。

「何かに熱中したい」、「人が死ぬまで熱中できるものって、どんなもの?」若いころの最大の望みだった。これが、気心の知れた友だちたちとの挨拶言葉のようにもなっていたものだ。今、そんな風に生きられているのではないか。日々そう感じ直している。

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掌編小説  魂は存在するか?  文科系

2020年08月22日 09時42分13秒 | 文芸作品
 
「いろいろ考えてみたんですが……、一番聞いてみたいことで……。Tさんは、人の魂ってあると思われてますか?」
 高校二年と聞いていた細い肩が目立つ小柄なその女の子は、予めMさんから僕が打診されていた相談話の一番の核心をいきなり切り出して来た。母方の祖母であるMさんが孫のRちゃんのことで僕に相談を持ちかけてきたのは、僕が大学院の哲学科を出ていることと、十数人で十年近く続いたギターパーティー常連同士で気心知れた仲とからのようだ。

 この日僕がMさん宅のベルを鳴らしたのは、七月上旬午後の猛烈な日差しの中の、ジャスト二時。白に近いベージュ地に濃いダークブラウンのアクセントを付けた洋風の家は、ここを永住の地と決めて六年前に建てられたばかり。玄関から続く三メートルほどのアプローチ左脇の真っ赤なカンナの花がすくっと伸びた姿に歓迎されるようにして通い慣れたリビングダイニングに通されたのだった。このリビングは二階までの吹き抜けになっているのだが、これも含めて、ギターのホーム・パーティー会場などにと目論んだ空間なのである。

「先ず、君の意見とその理由を聞きたいな。今日は聞き役に回る積もりで来ましたから」
「私は、無いと考えるようになりました。人間の心だけが他の動物のそれとは違うって、おかしいと思うんです。旧約聖書の創世記のような考え方がおかしくって、進化論が正しい訳なんでしょうし……」。
 単刀直入のこんな物言いに驚いた僕は、この子の勉強ぶりをもっと知ってみたくなった。
「アメリカのかなりの州が進化論を教えず、旧約聖書の創世記だけを教えていることも、そして、例えばドーソンの曙人を巡る考古学上の論争史なんかも、勉強されてご存知なんですね? そして、人の魂が無いなら神は居ないと?」
 彼女の目を見ながら話したから、この全てを彼女が肯定しているのは明らかだったが、Rちゃんはすぐにこの世界史に残る大偽造事件、曙人論争部分を引き継いでくれた。
「人類の頭頂骨を古い類人猿の下顔骨にくっつけて考古学的な化粧を施した化石を一九一〇年頃に発見したという事件で、当時の学会を大騒ぎさせてまで人間の心だけが神の似姿なのだと抵抗してきた論争で、人類化石五百万年の発達解明でも完全に否定されたのでしょうし、……… ある人の魂と言っても〇歳と九十歳とでは、全く変わっていく。老人の認知症なんかも含めてみれば、魂って何歳のソレって感じですよね。そして何よりも、神が居なくなる。人間の肉体を離れて魂がないとすれば、その魂の特別な造物主も不要になるからで……」

 いろんな周辺知識をネットで調べる現代っ子流儀から得られた限りのもので何回も予行練習を重ねてきたような話しっぷりに若く健全な好奇心、探求心が伺われて、僕は嬉しくって仕方なくなった。紅いセイロン紅茶を運んだ後、顔が見えるキッチンから耳を傾けているやのMさんも、気持ち良さそうな微笑みを彼女に投げかけている。僕は、自分の意見は抑えて聞き手に回ると決めたギリギリの応答内容を今ここで語って、彼女を励まそうと思い立った。

「どんな新聞などにも宗教欄はありすぎるほどあっても、神とか、人を超越した神聖な存在とかを否定する議論の紹介って、君も見たこと無いでしょ。これってやっぱりおかしいと、僕はいつも思ってきたよ。アメリカのいくつもの州みたいに地球や人類の誕生について創世記だけを教えるのと大して変わらないよね。無神論にも一応触れなきゃねー。ところで、神がいないとなった時には、罪とか愛、人生の価値とかはどうなるのだと、この事も考えたんでしょ?」
「はい『それら』もこの世の人間関係の中から生まれたんだと思います。島国に一人で生きてたら、便不便はあっても罪はほぼないのだろうし、物の価値の世界とは別の正義とか愛とかいうのは、他の人や擬人化されるような動物に対してのものなんじゃないかと……」 
 鉛筆を舐め舐め人生そのものへの答案を書いている真っ最中のような彼女は、僕の人生をも洗い直してくれるようだ。

「人の死は、どうなの。神の王国がなくってこれが待っている以上、人生の一切が無意味だという人もいるけど……」
「はい、私がこんなことを考え込むようになったのは、中学時代の親友が一年ほど前突然亡くなってしまったから。彼女はもうどこにも居ません。もちろん、自分がどこにもいないことも知りません。夢も見ない永遠の眠りですから、彼女を覚えている人もやがて誰もいなくなるでしょう。生きている私たちは、そこに至るまでは色々考え、悩むかも知れませんが、たった一度の人生を精いっぱい頑張って良いものにしようということでいいんじゃないでしょうか。Tさんたちがギターを一生懸命やっているように、私もピアノを頑張ってますし、勉強も楽しくやれてます」

 ここにいたって、見事至極と以外の言葉を僕は思いつけなくなっていた。この子は人文系学問の天才である。何よりも言葉による思考の整理・推進力が。こんな力を持っている子なら学科などは授業だけで分かってしまうに違いないのである。ある授業の焦点をすぐに嗅ぎ出して、そこの周辺だけを集中して学ぶことによって。Mさんも語っていたように、あらゆる種類の読書やネット検索を猛然と重ねて来た結果なのだろうが、それにしても……。
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