南京虐殺否定派、三つの大敗北
今読んでいる「増補 南京事件論争史」(笠原十九司著、平凡社19年3月初版第三冊)から、標記の出来事三つを紹介してみたい。一つは、日中両政府が企画推進した日中歴史共同研究によって出された学問的結論を日本政府が認めずに、逃げ回っていること。二つ目は、この共同研究の結論を掲載している外務省ホームページから南京事件を消せと叫び続けてきたこと。今一つが、この問題の自民党国会議員「専門家」である稲田朋美が、南京事件関連のある訴訟を起こして完敗していること、この三つである。
「日中歴史共同研究」は、2006年10月に安倍晋三首相・胡錦濤国家主席の会談・合意によって起こされたもの。同年12月に両国各10名の委員が北京で初会合、以降年2回の会合で報告・討論を行って、10年1月に戦後史の部分を除いた「第一期報告書」が発表されたものだ。日本側報告書の中の南京虐殺部分を、著者はこのように要約している。なお、中国側の死者結論は、こういうものだ。「集団で殺害された人数は19万人、個別で殺害されたのは15万人余り、被害者総数は30万人以上、と認定した」
『20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている。このような犠牲者数に諸説がある背景には「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している』
なお、南京虐殺を巡るいわゆる日中戦争の性格について、日本側委員の座長であった北岡伸一・東京大学大学院法学政治学研究科法学部教授は、侵略戦争であったと断定している。しかしながら、安倍首相は未だにこれを認めようとしない発言を国会討論などで連発しているのである。首相として自分が言い出した共同研究の成果を認めないというこんな態度が、日本をどれだけ不義の国にしていることか。その次第は、いかのように。
二つ目の外務省ホームページ問題とは、こういうものだ。上に紹介したこの日中共同研究結果を掲載している外務省ホームページから、この掲載を削除せよという「運動」がその後も続いているのである。「外務省目覚めよ! 南京事件はなかった」等というスローガンを掲げ続けることによって。
三番目の、弁護士としての稲田朋美らが原告になって2003年4月に起こした訴訟で敗れた事件は『(南京虐殺における)「百人斬り」名誉毀損裁判』と呼ばれるこういうものだ。
『本多勝一「中国の旅」の「百人斬り競争」のため、二人の将校の遺族が名誉を毀損され、精神的苦痛を強いられたとして・・・・提訴した』
この訴訟事件に関わる虚実議論は、1970年代から続き「もう一つの南京事件」とも呼ばれて世に物議を醸し出してきたものだが、2006年12月の最高裁判決において原告側敗訴が確定している。にもかかわらず、「この判決は不当だ!」との演説が今でも公の場に時として出てくるのだが、これも今流の右の方々がよくやる手口ということになる。
自分らが起こした研究や裁判の結果を、公の場所において堂々と否定してみせる。これはまさに「嘘も百回言えば真実に換わる」という政治手法ではないか。つまり、今はもうよく語られるように、「嘘で固めた安倍政権」がこんなところにもずっと顕れてきたということだろう。官僚による政権忖度や、国家統計の改ざんなどにも、必ず嘘はついて回るものである。
なお、著者の笠原十九司は、都留文科大学名誉教授で、中国と東アジアとの近現代史専門家である。