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慰安婦問題、当時の関連2通達紹介  文科系

2020年08月06日 18時04分35秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 

 これも、今論争中のシンさんという右のお方に向けて、拙稿を再掲するものである。日本軍免罪どころか、賛美の傾向が彼に強すぎるように思うので当時の風潮を「右の方々お得意の不確かな伝聞ではなく、本物の歴史家が重視する一次資料でもって示したエントリー」である。慰安婦は、歴とした陸軍省の事業だったのだし、強制連行もあったということが、当時の政府文書で示されている。もっとも「このような強制連行は止めよ」という文章なのだが、軍の意図とは逆に「このような強制があった」という証拠になるものだろう。

 

【 慰安婦問題、当時の関連2通達紹介  文科系2014年09月22日

 以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。

『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
         在上海日本総領事館警察署 』


『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。
 まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

 支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』


 さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。】

コメント (7)
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喜寿ランナーの手記(299) 今日は疲れた  文科系

2020年08月06日 16時16分55秒 | スポーツ

 白内障両目手術後28日目の今日、一昨日に続いて2回目のジムラン。30分2回で予定通り8・1キロ走った。前半がウオームアップ歩行も入れてジャスト4キロ、後半が4・1キロだったのだが、この後半はあまりないような疲労感を覚えつつ走っていた。1か月のラン・ブランク後に中1日で走るのがまだ無理な身体なのだろうが、何しろ後半は、一昨日とは打って変わった疲弊ぶりだったのである。
 スピードは結構出せるのだ。途中9・5キロ時でも長く走れたし、11キロ時でも2~3分は可能という感じだったから、不思議な疲労感だな思うばかりだった。
 多分、筋肉の強さは回復していても、毛細血管が半ばまだ縮んだままなのだろう。退院10日後からスクワット、階段往復などの補強運動は十分にやって来たが、心肺機能がまだまだということ。途中で、右足首が痛んで走法を変えたりしたのも、僕の弱点左脚に疲労がたまって蹴りが弱くなったからで、これも心肺機能の問題と捉えていた。でもまーこのスピードなら、中1日置きで走り1時間の距離を100メートルずつ延ばしていくというやり方が今は最適だと思っている。あとは、いつものこのやり方で1時間9・5キロ近くになっていった時に、もう一度プランを立て直すこととする。

 この秋、どれだけ行くだろうか、楽しみだ。168・5センチに体重は56キロ弱と、僕のベストより1キロほどは軽いのかな。夏はいつも軽くなるのだから、秋には例年通り57・5キロほどになるだろう。

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