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河村たかし名古屋市長は、全体主義者  文科系

2020年08月07日 15時21分16秒 | 国内政治・経済・社会問題

 表現の自由展に関する彼の発言をもう一度見直してみた。というのは、これがつい最近コロナに対する愛知県と名古屋市との協調を妨げている側面すらあると思い立ったからだ。
 最初の彼の猛反発は、こんなふうだった。
 天皇の写真を燃やしてその灰を踏みつけにする展示や慰安婦少女像の展示について、『どう考えても、日本人の心を踏みにじるものだ。即刻中止していただきたい』
 これに対して、大村県知事側はこう反論した。「表現の自由に属することで、止めるのは誤りだ」。これへの河村氏の反論は、「おのおのの人権には縛りがあって、表現の自由という権利にも、『公共の福祉に反しない限り』という制限があるというのは、当然のことではないか。

 さて、こうしてみると、河村氏が「公共の福祉」を掲げて、己の「表現の自由制限」を正当と主張していることが分かる。この「公共の福祉」は極めて抽象的なものであるにしても、公の「利益」に重きがある言葉のはずだ。が、この抽象性をこそ、保守などが過去からずっと問題にしてきたものであって、自民党の改憲草案にこんな文面がある。
『自民党憲法改正推進本部は平成24年4月に「日本国憲法改正草案」を発表しているが、当該草案において「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」へ変更しており、』(ウィキペディアから)

 つまりこういうことだろう。河村氏は、己の感情を日本人の心と置き換えて、「公の秩序」が乱されたと述べている。
 これはおかしいと、僕は思う。「日本人の心」は「象徴天皇を今回のように冒涜してはならぬ」というものと認めて、これを「公の秩序」いや「公共の福祉」の定義に当てはめるべきなのか? 違うだろう。こんなやり方をすれば「日本人の心に合わない」とされた「表現」が全部弾圧されてしまう。これは全体主義ではないのか。憲法の立憲主義精神をば、一部政治勢力の「心」でもって表現の自由を制限することによって浸食して良いとする言い分なのではないか。


 河村市長は、南京虐殺問題でも誤った主張をした。宣戦布告のない中国の地において中国捕虜兵士を中心に最大20万人殺したというのは、既に歴史学的事実に近くなっている。日本軍が予期しなかったことなのだが、最初から殺す方針だった捕虜が大量になったという事実が存在したのである。そして当初方針通り、本当に、見つけた大壕に連れて行きそのあちこちに分けて密かに殺し、埋めてしまった。師団長ですら、この虐殺の自分が関わった一部しか知らぬというように秘密裏に行われたことだ。河村市長は初めおそらく「兵士殺しは当たり前、虐殺には入らぬ。民間人をそんなに殺すわけがない」と言いたかったのかも知れぬが、こんな捕虜殺しも大虐殺には違いない。それにしては彼は現在、この前言を訂正、謝罪したという話は聞かない。だからこそこの春、南京からのコロナ・マスクを受け取れなかった? 彼の立場でのこんなデマこそ、「公共の福祉」に反するものではないのか。中国人が嘘を言っているというのだから、国益を著しく害するデマでもあることだし。

コメント (4)
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