九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆 アソビ心  文科系

2020年12月13日 09時39分10秒 | 文芸作品

 昔書いた随筆です。4年生になった孫が三歳になる直前のころの、色んな一人遊びの様子。ご笑覧下さい。

 

 アソビ心
 
 ここに何度か紹介してきた孫のはーちゃん、この九月で三歳になる。今回は、いろんな言葉を拾ってみた。この観察の焦点は、彼女のあそび心ということになろうか。ただし一言。この年齢の言葉に大人流の一般的解釈はだめ。それでは第一、面白くも何ともない。

我が家へ駆け込みつつの第一声は、決まって「遊ぼーよっ!」。パソコン席から僕が離れそうもないのを確認すると、すぐに踵を返して「ばーばっ、遊ぼーよ!」。「チックン」というのは注射のことだし、アーンで口を開けさせ棒状のもので喉を調べたり、検温までするのは、お医者さんごっこ。チックンは念入りに時間をかけ、「痛いーっ?」と必ず聞いてくる。しかも、顔をしかめてみせるほどに、その目がにやりと歪んでいる。
 二つのソファを向かい合わせるのは、このくそ暑い中の彼女には大作業。がそれもなんのその、なんせ出来上がるのはプールである。近くの大人の尻を押した後から、自分も入ってくるのだから、そのプールの熱いこと。遊びに燃えた体で、バシャーンとか、バシャ、バシャとかやって、近ごろ口癖の「面白い、面白い!」を連発。プールにはいろんなものを持ち込んでいるが、こんなこともあった。「あっ、亀さんがウンコしました!」と自分で叫んでおいて、大変大変というわけで、トイレに連れて行く。それを目で追うと、一生懸命紙で拭いている。
 僕がパソコン席から離れない先日、こんなことも起こった。新聞紙を細めに長く丸めて「はい、ビールですよ!」。見れば自分も小さ目のを持っていて「乾杯しょ!」と申し込んで来た。僕の好物で僕を遊びに釣り出そうと企んだとしたら、相当な知能犯だが。乾杯してから「後で遊んであげる」と応えると、「楽しみーっ!」といいつつ離れて行った。

 アソビ心の先にいたずら心があるのも、既に人並と言えよう。家へ飛び込んできたとたんに何を思ったか、「じいじ、大好きーっ」と身体ごと脚にしがみついてきた。悪い気はしない。ところが、その三十分ぐらい後に、関連して起こったのがこれ。向かい合った時に僕の目を見てこう告げる。「好きって言って」。僕は、当然そう言った。と、こんな答えが返ってきた。「あんまり、好き(じゃ)ないの」。「好きって言って」とは、「好きかと質問してくれ」という意味だったのである。「好きって言って」の注文当初から何かおかしげな「にやり」表情だったのを、いぶかりながらのやりとりだった。
 僕のお茶専用のお盆を遊び場の方に持って行ったから、貸してと申し出に行った。何度か頼んでも返してくれないどころか、自分の身体の後に「隠している」。と突然、その体勢のままで、こんな返事が返ってきた。「まっ、いいか!」。僕は初め、返してくれる言葉と思い、ちょっと待った。が、その気配はなく、お盆は体の後に隠したままで、顔には例のにやりが浮き出ている。突然僕は気づいた。僕にこう語っていたのである。「(お前が)『まっ、いいか』と言え」と。つまり、諦めろと意地悪しているのである。

 最後に、あそびとは正反対の大変なリアル語を一つご紹介しよう。机の上の彼女の大好物・さきイカ燻製に僕の手が出たその瞬間「みんなで、みんなで!」との叫び声。叫ぶ間もあらばこそ、小さな手が体ごと既にモノを覆っている。お気に入りで対立が生じやすい保育園の連絡帳にこんな記述があったのを、僕はすぐに思い出した。
「彼女が『みんなでみんなで』と叫ぶ時には、既にちゃっかりと物を握っております」。』

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笑い話にもならぬ安倍の「景気」   文科系

2020年12月12日 19時16分15秒 | 国内政治・経済・社会問題

  日銀、GPIFが日本株最大株主という日本株バブルを安倍がこう自賛しているが、これは笑い話にもならぬペテン。
「アベノミクスの最大成果は、就業率を上げたことだ」
 日本株に何十兆円もつぎ込めば、誰だって就業率を上げられる。が、それが不安定労働者ばかりになるのは必然。「莫大な政府資金で作られた『景気』が、臨時のものだ」とは誰でも分かるからだ。むしろ、こんな資金で甘やかされた経営者の方が心配で、行く先はどうなる?というようなもの。「これは作られたバブル。いつかこの政府資金は来なくなる」と、普通の経営者らなら誰でも分かるのだけれど。

 と、このような「景気」は馬鹿でも作れる。これだけを自賛するしかない安倍は、馬鹿を通り越したスットボケ! 自ら掲げた「2%目標命」さえいつまで経っても達成できず、有効な経済対応が何も出来なくて敗北続きだったからの、負け惜しみ自己正当化台詞というもの。それで、国民1人当たり購買力平価GDPが去年はイタリア、韓国、ニュージーランドにも追い抜かれて、世界33位。こういう選挙向けパフォーマンスだけ、政治目標は全て未達成、唯一やったのが官僚に対する忖度堕落化だけ、「ヤッテル感」の酷すぎるポピュリズム政治、政治の私物化だったのである。

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破綻した経済学者をまた使う?  文科系

2020年12月12日 12時44分31秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 新内閣がまた、竹中平蔵を起用したらしい。彼の「実績?」は彼が導いてきた日本経済の惨めな現状によって既に証明済みである。アメリカでは、これまでの経済運営自己批判は以下のようにことのほか深刻になっているのに、日本では何の自己反省もなく、また竹中平蔵? アメリカでこれほど深刻な反省があるというのに、日本政府や竹中は一体何を反省したのか? 彼の在任中、日本の国民1人当たり購買力平価GDP世界順位は下落の一途をたどって来たはず、今やイタリア、韓国、ニュージーランドにも追い抜かれて世界33位なのである。

 今改めて、この一月ここに掲載したアメリカの新自由主義経済(学)そのものへの反省を再掲しておく。竹中平蔵とは「日本経済をこのアメリカに売り渡した男」として、今改めて猛烈な批判を浴びている者だ。日本政府は一体何を考えているのか、無能を通り越してもっと悪い。過去の失政を竹中と一緒になって覆い隠すしか道がないのかも知れぬ。なんせ、「選挙に勝ちさえすれば何でも出来る。そのための政治を!」という、およそそれらしい政治理念が何も感じられないようになった自民党なのであるから。自民党は今や、何の力もないどころか、選挙(に勝つための政治)だけを目指すまさにポピュリズム政党に堕している。

 

【 今、グローバル経済(学)はこう破綻した  文科系

 今、グローバル経済(学)は、アメリカでこう破綻した。日本の主流経済学者らの反省をも是非聴きたいものである。この40年ほど世界を席巻してきた新自由主義経済に対して、世界で重大な反省が巻き起こっているからだ。まず、去年の8月にはこんなことがあった。

  小さな記事だったが、8月20日夕刊に分かる人には分かる出来事が、報じられている。この大事な記事の見出しは、
「株主最優先を米経済界転換」?? 
 この中日新聞記事の書き出しはこうだ。
『米主要企業の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」は19日、株主の利益を最優先する従来の方針を見直し、従業員や顧客、地域社会など全ての利害関係者の利益を尊重する新たな行動指針を発表した。これまで米経済界は「株主利益の最大化」を標榜してきたが、大きな転換点となる』

 次いで、12月3日の米政治週刊誌「ニューズウイーク日本版」が組んだ特集「宗旨変えしたノーベル賞学者」は、2人の世界的経済学者らの反省を載せている。それは以下のように重大すぎる声と言って良い。
 まず、アベノミクスにも大いに影響を与えたポール・クルーグマンは、こう反省しているのだそうだ。
『アメリカの製造業を支えてきた中間層が経済・社会的な大変動に見舞われることに気付かなかった。中国との競争でアメリカの労働者が被る深刻な痛手を過小評価していた、というのだ』

 このニューズウイーク記事によると、他の経済ジャーナリストなども今は、経済学者らの過去理論を批判しているのだそうだ。
『多くの経済学者が福祉を犠牲にし、効率性を最優先して「高賃金の雇用を切り捨て、低コストの技術産業に未来を託した」というのだ』
 という反省から、このニューズウイーク論文の末尾まとめはこういうものになっている。こちらは、もう一人のノーベル賞経済学者・ジョセフ・スティグリッツが90年代から指摘し続けてきたグローバリゼーション批判をまとめた文章でもあるようだ。
『最大の負け組はやはり、アメリカの労働者だ。経済学者はかって、好況下では労働者は自分たちの賃金を引き上げる力を持つと考えていた。だが最近の見方はちょっと違う。多国籍企業が全世界を自らの縄張りに収めて四半世紀がたち、グローバル化した資本は国内に縛られたままの労働者よりも優位に立った。
 主流派の経済学者たちがこれほど急に左寄りになったことに驚いているのは当の経済学者たちだ。多くは前述の格差問題に関する会議でこのことに気付かされた。来年の米大統領選挙では、経済学者達の支持は中道のジョー・バイデン前副大統領よりもエリザベス・ウォーレン上院議員やバーニー・サンダース上院議員などの革新系候補に流れているとの声も参加者からは聞かれた』

 さて、こう言った反省は、日本の誠実な経済学者達の間ではもうとっくに起こっていた。中谷巌(三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長、多摩大学名誉学長、一橋大学名誉 教授)とか水野和夫(三菱UFJモルガン・スタンレー証券、法政大学教授)らがその代表者になるはずだ。「中産階級を大量に没落させたのが、現経済政策の最大の誤りだった」と反省したのだし、水野はこう述べている。「バブル経済しかないというのは、既に資本主義の寿命が尽きたということだ」。それでさて、英米日などの政府は、どういう理論でもって今後の経済政策を行っていけるというのだろう。

 アメリカは「GAFA時価総額バブル」経済? 日本は「官製バブル」経済? こんな危機的な閉塞状況だからこそ、アメリカは中国を叩き続けざるを得ないのだろう。もしアメリカから日中資金が逃げ出したら、こんな「GAFAバブル」経済の国など即沈没である。アメリカが今や必死に見えるイラン、ベネズエラや、(対中国冷戦対策としての)香港、台湾やに対する「暴力的」外交戦略、姿勢も、こういう経済破綻が背景になっている事はまた自明であろう。
 日本の主流経済学者の声も、今是非聴きたいものだ。】

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朝日の天皇敬語報道批判  文科系

2020年12月11日 20時16分01秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 本日の朝日新聞「メディア私評」は、今とても必要な公論、正論だと読んだ。題して「天皇制とタブー 敬語報道 批判を抑制しないか」。この正論の最重要触り部分は、こうなっている。

『右翼は広告主に圧力をかけるという手法を用いている。・・・・しかし現在の「陛下・殿下・さま」に代表される敬称報道の是非は議論されるべきだ』

『市民が皇室を尊敬することは何ら問題ない。強調したいのは、報道機関が天皇・皇族だけに特別な敬称を使い、読者や市民に間接的に敬語を強いる問題である。敬意をもつべきとされる対象に人は自由な思考や批判をもちにくい。実際、意味を深く考えぬまま敬称使用を自然視する学生は多い』

 この「過剰な敬称報道」批判は、例えば右翼の典型・日本会議の「日本会議がめざすもの」文書の内容から見ても、とても重要なものだ。

『私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています。国際化が進み、社会が大きく変動しようとも、常に揺るがぬ誇り高い伝統ある国がらを、明日の日本に伝えていきたいと思います。私たちはそんな願いをもって、皇室を敬愛するさまざまな国民運動や伝統文化を大切にする事業を全国で取り組んでまいります。・・・・・現行憲法が施行されてすでに60数年-。わが国の憲法は、占領軍スタッフが1週間で作成して押し付けた特殊な経緯をもつとともに、数々の弊害ももたらしてきました。すなわち、自国の防衛を他国に委ねる独立心の喪失、権利と義務のアンバランス、家族制度の軽視や行きすぎた国家と宗教との分離解釈、などなど』 

 この日本会議が天皇を何か「国家的な宗教的敬愛対象」にしようとしている事は明らかある。そして、ここに自民党の主要な国会議員がほとんど参加しているところから観ても、上記朝日新聞の批判は、極めて重要なものである。

 日本国民にとっては、憲法上の象徴天皇について批判など自由にものが言えなければおかしい。ましてや、宗教的な神聖な「天皇」を国の主人公である国民に何らか押しつけるなどは、民主主義の名においてけっしてあってはならないことである。自由民主党は、憲法の中に神聖天皇を何らか明記していくことを目指しているのであろうが、日本国憲法から観たら、主人公である国民より大切なものはないのであって、その言論に何かタブーを設けるなどは、あってはならないことである。

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嘘答弁国会の末路か、派閥間告発闘争?  文科系

2020年12月09日 08時09分04秒 | 国内政治・経済・社会問題

 昨今、与党のその腐敗、堕落が、どんどん明るみに出始めた。初めは、読売、NHKから、次いで、朝日新聞が独自の取材方針・論調を世に問い始めている。大変良いことである。検察が、その社会的公正・公安の視点から、我慢の限界に達したというのなら、なお良いこと。最近付けた三つのコメントをここに再掲させていただきます。若干の補足修正をしましたが。

【 嘘だらけの政権 (文科系) 2020-12-09 05:41:17
 モリカケ、桜。河井克行が公然とのように大々的に示した政治腐敗にも、自民党自身の大金が流れていたのである。どんな金だったのか?? そしてこれらの果ては、すべてをもみ消すべく検察人事制度変更にまで悪の手をのばそうとしたあのやり口。これら全てにおいて、安倍はどれだけの嘘答弁を日本国国会で吐き尽くしてきたか。検察は、数年にわたる安倍の政治資金収入不記載を重大問題にすべきである。
 これだけ社会的公正を吹っ飛ばしたのがまた、日本歴代最長内閣の下でなのだ。この内閣のもとでまた、日本は、国民1人当たり購買力平価GDPが世界33位と、実に貧しい国に落ちぶれた。国民はよほど、自らの投票行為を考え直さねばならない時だと思う。何よりも、どんどん荒廃していく世界・地球の上で、日本人の食料源、日本農村の荒廃が悲しいことである。安倍の汚いその口から発して、何が「美しい日本」か! 】

【 派閥間で告発合戦??  文科系  2020-12-09 08:08:23
 河井克行の白昼堂々たる選挙目当て贈賄事件捜査から、吉川元農相の収賄、西川元農相もその疑いと、芋づる式の検察快挙が始まった。これにまつわって標記の分析が朝日新聞関係から流れ始めた。
 安倍・麻生対、管・二階の告発合戦だというのである。それかあらぬか、麻生財務相の古傷までが明るみに出始めている。
 もっとやればよい。規制緩和と称して公正やシビルミニマムを投げ捨てつつ、国家資金を湯水のようにつぎ込んで株価だけを上げてきた「民間活力」のMMT政治。その裏側で発生し来たった必然の構造的事件だと観ている。

 説明責任無しの、嘘ばかり政治! これでは、汚職が増えるのも当然だろう。】

【 関連する経済理論 (文科系) 2020-12-09 05:21:57
 日銀・GPIFが日本株の最大株主であるというエントリー内容に関わって、関連する現状肯定理論として、現代貨幣理論・MMT理論というのがある。これについて、こんな批判があることを明示しておきたい。
 短期的経済理論であって、日本、アメリカでしか肯定的話題にはなっていないものである。つまり、理論というものにとって最も重要な時間と空間が非常に狭い範囲でのみ主張されているものということだ。ましてや、この理論を肯定する世界的現象が、「財政大赤字の日本が破綻していない」と言うだけのことであってみれば、後世に「新自由主義経済破綻を取り繕う最後の屁理屈」として嘲笑されるようなものとさえ述べておきたい。基軸通貨の強みがあるドル・アメリカや外貨を多く持っている中国が世界的総需要不足が押し詰まって苦し紛れになった時に事実上は協力し合って日本を買い漁り、ハイパーインフレと、そんな運命さえ予測させるものではないか。この苦し紛れも、新自由主義の帰結である有効需要欠如から起こるはずのものであってみれば、必然性が高いと思う。いずれにせよ、一般消費者が貧しすぎる世界にどんどん陥っているという世界の悲劇には変わりはない。】

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安倍のこの「大悪」はどうなる?  文科系

2020年12月08日 08時51分20秒 | 国内政治・経済・社会問題

   「桜」前夜祭のホテル代金の何年もに渡る補填は、秘書の略式起訴? 本人は事情聴取だけ? そう言う世論形成が進められているようだが、以下の事実は一体どうなるのか?

 政治資金収支報告書にない出費があったということは、同じく帳簿にない収入があったということ。それも何年も続けてということであるから、一体どれほどの簿外収入があったのか。そして、その出所はそれぞれどういうものだったのか。安倍の政治資金収支報告書には、そういう疑惑が何年も積み重なって湧いているということだろう。さらに、この積み重なった帳簿に載らない収入は「載せられない収入」である可能性もあって、その場合はもっと悪辣な所業も想像されるのである。

 これらを説明させなくて良いとしたなら、政治家の政治資金収支報告書など一体何の意味があるのか? こんなものはそもそも、無用なものになるはずだが、検察は今後そんな政治資金報告書で良しとしていくのであるか。こういう深刻な疑惑を残したまま検察は事件を決着させる積もりらしいが、何よりも腹が立つのは、以下のこれ。論理的に必然のこんな疑問をマスコミはなにゆえもっと告発しないのか。

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安倍「桜」は、「西松、陸山会」よりはるかに悪質  文科系

2020年12月07日 11時54分11秒 | 国内政治・経済・社会問題

   スポーツ報知サイト4日に、こんな記事が載った。

『 立憲民主党の小沢一郎衆院議員(78)が4日、安倍晋三前首相(66)に浮上した「桜を見る会」前日に行われた夕食会の費用の補填(ほてん)問題で東京地検特捜部が安倍氏本人の任意の事情聴取を要請したことについて、私見を述べた。
 この日、「結局、安倍氏は、自身の疑惑について、国会で嘘ばかりついていたということになる。つまり、過去の森友問題、加計問題等全ての疑惑について、改めて、嘘をつかれて迷惑を被った国民に代わって、立法府が検証する必要。具体的には、安倍氏にまつわる全ての疑惑についての本人の証人喚問が避けられない」と厳しくつづると、さらに連続ツイート。
「安倍氏と菅総理は、やり過ぎた。総理だからといって、何をやっても許されるわけではない」と厳しく指摘すると、「しかし、彼らは、全てが許されると思い込み、自分とお友達のために税金を無駄にし、制度を改悪し、法を犯し、不正の証拠を揉み消し、国会では平然と嘘をついてきた。真実の解明なくして、この国は前に進めない」と結論づけていた。』

  この小沢一郎の過去には、秘書が主犯とされた同類の事件・西松建設事件、陸山会事件があった。民主党幹事長・小沢一郎が新政権の初代首班になるのを引きずり下ろされたも同様の日本政治史に残る大事件であった。同じ「秘書がやった」政治資金事件、西松・陸山会事件に比べて、今回の「桜」をめぐる安倍の方がはるかに悪質である。

・小沢のいわゆる西松建設からの寄付「虚偽記載」は虚偽ではなかった。それで、別件逮捕のように起こされたのが、世田谷区不動産の取得に関わる収支報告書問題。これは登記の日ズレ問題に過ぎなかったのだが、秘書ら3人が逮捕されている。同じ記載を行っていた自民党議員らは、10人もいたとか。

・この小沢事件に対して、安倍の「桜」は、以下のようにはるかに悪質であり、「桜」に対する検察の態度は大甘であると、植草一秀氏のサイトがこう語っている。
『この事件の公判で、商法と会計学の専門家は法廷で、小沢氏事務所の収支報告が法令上、もっとも適切なものであることを証言した。これに対して、安倍首相資金管理団体の事件ははるかに悪質である。収支を把握しながら記載しなかった。安倍氏事務所の支出は選挙区の有権者に対する寄附行為である。明白に公職選挙法に違反するもの。
まずは、秘書の逮捕が必要不可欠。家宅捜索を行うべきことも当然だ。当然のことながら、公判請求して公判廷で事実を明らかにする必要がある。西松事件、陸山会事件と比較すると、これ以上のダブルスタンダードが存在しないことが鮮明に浮かび上がる。』

 ホテル側に自ら調べたのか調べなかったのか、安倍はこともあろうに国会で嘘をあれだけ語り通した。例によって「全く・・ありません」とかの形容を一杯付けながら。自分に掛けられた嫌疑を自分で調べられるのに、ホテル側など他からバレて当然という嘘をなぜあれだけつき通せたのか。黒川検事を通して上から押さえつけて、もみ消そうとしていたとしか思えないのである。主がこんなだからこそ、その秘書同然であったこともある広島の河井克行が、あんな堂々たる買収選挙を繰り広げられたとさえ、僕は推論した。国政の最高機関・国会をこれだけ馬鹿にした首相がかって存在したことがあったろうか。そんな悪質である。国会議員などでいられる資格など、自らとうに投げ捨てている。

 

 加えるに、森友事件。首相の国会答弁(これも結局虚偽であった)が、一人の立派な公務員の死に繋がって唯一最大の役割を果たしたのである。少なくとも妻諸共関わることになったと判明して虚偽答弁となったのだから、これだけでも、「関わっていたら議員も辞めます」という約束通りにするのが当然ではないか。まして、あれだけ大規模な何重もの不正を生み出した首相忖度行政体制は国政史上に残る汚辱と言えよう。

 こんな恥ずかしい首相が、この日本にかって存在しただろうかという悪党である。それも事実を自らは調べもせずに口から出任せでその場を凌ぐという、甚だしい小物の悪党だ。こんな小悪党と、ものの分かった大人ならば「論点外しの冗長答弁」という語り口だけで分かるような人間をば、日本国民は日本政治史上最長の内閣首班に選ぶような選挙結果を残したのである。そして今も、こんな人物の大番頭だった人間が首相をやっている国。主権者国民を筆頭として、日本政治史最大級の恥をなお残しつつあると言うべきではないか。

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喜寿ランナーの手記(331) LSDは、13キロ  文科系

2020年12月06日 11時14分23秒 | スポーツ

  昨日5日は、3日に続いてジムランで90分のLSD。中1日置きのLSDの4日目である。マシン走りでも、「地面をつついたその力で走る」という新しい走法が確実に出来るようになったのは、90分で13キロ走っても翌日の今日疲労感がまったく残っていないということからよく分かる。

 3日のLSDは、30分の制限時間があるマシンを3回走って、その合計距離が12・9キロ。5日にはこれが、13・4キロになった。1年超し修行した新走法が板に付いてきたから、これだけ走って3日に続いてやはり、疲労感は残っていない。昨日の後半の方、平均時速9キロほどがLSDになるなんて、何年ぶりのことだろうか。さらに、あれこれ試行錯誤しつつここに書き留めてきたこの新走法は、このように距離を走っても疲れないから合理的と分かる。それも昨日は10キロ時10分とか、11キロ時、11・5キロ時とかもやってみたのだが、この走法は速度にも対応できるもの。地面をつつく力をほんの少々強めるだけなのだ。それも、ストライドはそんなに延ばさずに、ピッチを上げることを中心にやれば良く、そのピッチも実に190近くに出来るようになった。僕のピッチ数は今までずーっと少なくって160ほど。190などというピッチ数で走ったのは、ランナー歴20年では考えられなかったことだが、今はこれが難なく出来るから驚いてしまう。着地脚の膝がほとんど曲がらなくなったから可能になったことなのだ。以前曲がっていた膝を持ち上げる時間が不要になったのである。
  16~19年と色んな病気手術入院ブランクなどを重ねてきて、その都度何割かは復活してきた走力が、結局16年の初めの頃に戻せるかも知れない。新走法に変えて良かった。

 話は違うがメガロス・キッズ・スイムに通っている孫が、バタフライでも4年女子1番になった。これで、最近はまだ計っていないクロールを除いて、3泳法種目すべて1番である。それぞれの25メートル泳力試験(泳法試験はもうずっと以前に終わっているから、一定タイムの泳力試験である)の前に二人で1~2日特訓をして各2~5秒も記録を上げてきたその成果だ。今日の午後は、改めてクロールの悪癖修正に市民プールへ行く計画になっている。息継ぎのやり方が悪く、その時にフォームがやや乱れるので、「力を抜いたノーブレス・クロールに身体を慣らしてから、顔だけを横に向けるだけのような息継ぎ」を教えるつもりだ。今42秒の50メートルが、この修正によって当面最低何秒は速くなるだろうかと、例によっていろいろ楽しみだ。そのためには、悪癖が付いた左側呼吸を右側呼吸に換えても良いと、昨夜二人して話し合ったもの。この孫は結局、この火曜日から、今の「育成クラス」(一般クラスの上のクラス)から、選手クラスに入っていくことになった。こんなことに来年80歳になる僕がつきあえるのも、ランニング体力のおかげなのだ。6歳の孫にも走り方を教えて来たが、この新走法によって強くなった僕の膝で地面をバーンッと叩くそのやり方を見せることも出来るようになった。短距離の場合は、一方の膝を伸ばした脚の全力で地面をばーんと叩いたその瞬間に他方の膝を一挙に前に持っていくのだが、この理屈は、基礎理論を習ったランナーの方々にはお分かりいただけるはずだ。

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喜寿ランナーの手記(330) 5年前の走力に戻れる?  文科系

2020年12月04日 01時00分39秒 | スポーツ

 1日の外走り8キロ強の内5キロがキロ6分21秒と、あと一歩で当面の目標6分19秒を超えられるところまで来た。それが分かって、嬉しかったこと! これで、18年12月11日の6分12秒も見えてきた。
 この6分12秒は、16年春から17年春までの前立腺癌陽子線治療の後に復活した時期の最高のもの。ここから、19年の胃癌の疑いによって胃腺腫皮下内視鏡切除術一週間入院・一時休止からの低迷時期を経て、これを今日まで乗り越えて来たことになるのだから、僕にとってはちょうど2年前の力に戻るというとても貴重なものだ。
 これ以前となると、僕はほぼジムラン中心だったのだが16年1月11日の1時間10・3キロというのがある。以上を、まとめて書くと、こうなる。
 16年1月11日。ジムで30分×2回が、5・0+5・3キロの10・3キロ。その後前立腺癌治療。数ヶ月の女性ホルモン投入後に陽子線照射治療だった。そこから復活して、18年12月11日、今と同じやり方の外走り5キロでキロ6分12秒まで来た。その後胃内視鏡手術。そしてこの1日、キロ6分21秒まで来たということだ。つまり、走力が二年前に戻って、さらにその前どれだけまで戻っていくかと。来年80になる身としては、こんな努力はとても楽しいものになってきた。

  次いで、この3日。中1日で3日LSDをやる予定だったその3日目は、ジムランを90分やって、その合計距離は12・9キロ、新走法が板に付いてきたらしく、これだけ走ってこの程度のスピードならばほとんど疲労感は残っていないという初めての経験をした。この1年あれこれ試行錯誤しつつここに書き留めてきたこの新走法は、今日のような距離を走っても疲れないようになったから、その分合理的なものと改めて確信できた。
  16~19年と色んな病気手術入院ブランクなどを重ねてきて、その都度復活してきた走力が、結局16年の初めの頃に戻せるかも知れないと、今そんな気もしている。16年1月11日。ジムで30分×2回が、5・0+5・3キロの10・3キロだったが、外走りでキロ6分を切れたら、これを突破したことになるはずだ。出来ると良いなー。

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日本会議は全体主義団体である  文科系

2020年12月03日 13時22分56秒 | 国内政治・経済・社会問題

   昨日、こういう文章をエントリーした。

【 (前略)ちなみに、自由民主党の多くの国会議員が加わっている日本会議とは、こういう性格の団体です。「日本会議がめざすもの」という文書の冒頭部分を抜粋してみます。

『 皇室を敬愛する国民の心は、千古の昔から変わることはありません。この皇室と国民の強い絆は、幾多の歴史の試練を乗り越え、また豊かな日本文化を生み出してきました。多様な価値の共存を認め、人間と自然との共生を実現してきたわが民族は、一方で伝統文化を尊重しながら海外文明を積極的に吸収、同化して活力ある国を創造してきました。

 125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう。私たち日本人は、皇室を中心に同じ民族としての一体感をいだき国づくりにいそしんできました。

 しかし、戦後のわが国では、こうした美しい伝統を軽視する風潮が長くつづいたため、特に若い世代になればなるほど、その価値が認識されなくなっています。私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています。』

 この文章の末尾の方にあるような「歴史認識」、「同胞感」がない僕などは、日本国議会の一大勢力によるこんな文章を見させられると、ちょっと途方に暮れてしまいます。日本会議国会議員懇談会の名簿を見ると、安倍、麻生は特別顧問だし、管、下村、高市らは副会長。石破、岸田も入っているから、自民党諸派閥を超えた大勢力です。(以下略) 】

 さて、この「日本会議がめざすもの」の下に集まった国会議員懇談会とは、上記の「美しい伝統」の「歴史認識」やこれによる「同胞感」を国政によってできる限り育んでいきたいという懇談の場なのである。そこで生じてくる最大の問題はこのことだろう。この目的の実現と、現憲法の象徴天皇とが、はたして両立しうるのかどうか。もっと言えば、日本会議とは、単なる政治権能を持たぬ国家機関としての象徴天皇を上記のような魂入った存在にしなければ納まらぬ団体なのではないか。

 こう思ってみれば、色々心配なこと、不安が生じてくる。象徴天皇を神聖視するような行事、国家予算による宗教儀式のようものがどんどん増えているのもこういう政治家たちの育んできたものではないのか。天皇の伝統に「美」や「同胞感」を感じない僕としては、最近の皇室諸行事には象徴天皇を超えるような「日本会議的なもの」を感じてならないのである。今の天皇の扱い変化は、この先一体どうなっていくのだろう。この「同胞感」のない僕のような国民が「非国民」扱いされた戦前を思い出さざるを得ないのである。国の主人公である僕が、「そういう考えは持っていません」というのが憚られるような国に、既にもうなりかかっているのではないか?

 こうして、日本会議の呼びかけ内容そのものに、僕は全体主義政治を感じてならないのである。全体主義とは、個人に対する全体(国家、民族)の絶対的優位の主張なのだから。国の主人公である国民の基本的人権を元とする国家ではなくこの「歴史認識」を元とする「同胞感」を説き、この二つは一致すると日本会議は述べているわけだが、僕に言わせればこの「同胞感」優位の下で「基本的人権」が今でももう制限され始めているのではないか。象徴天皇とは国の主人公である国民の象徴なのであって、国民がこれを跪拝するというのは本末転倒の全体主義であるから、今の保守政治の動きを「こういう基本的人権と日本会議的なものという対立の目」で注意深く見張っていきたい。

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人文・社会系学者の社会的抹殺とは  文科系

2020年12月02日 02時48分57秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

美濃部達吉・天皇機関説と上杉慎吉・天皇主権説の論争(1912年)

 僕がよく読む「つれづれなるままに心痛むあれこれ」というブログの昨日の記事です。1912年に始まったこの論争事件は、後の1935年に美濃部が反撃され、時の政府強権によって「敗北」を強いられることになっていく。この前々年には京都大学・滝川幸辰事件があり、36年には2・26事件。今思えば、大正デモクラシーが破れ去り、戦争に向かってまっしぐらという時代と振り返ることが出来る。ある人文社会系学説に対する攻撃とはこういうものなのだと、教えてくれているのではないか。

 読んでみて下さい。

 ちなみに、自由民主党の多くの国会議員が加わっている日本会議とは、こういう性格の団体です。「日本会議がめざすもの」という文書の冒頭部分を抜粋してみます。

『 皇室を敬愛する国民の心は、千古の昔から変わることはありません。この皇室と国民の強い絆は、幾多の歴史の試練を乗り越え、また豊かな日本文化を生み出してきました。多様な価値の共存を認め、人間と自然との共生を実現してきたわが民族は、一方で伝統文化を尊重しながら海外文明を積極的に吸収、同化して活力ある国を創造してきました。

 125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう。私たち日本人は、皇室を中心に同じ民族としての一体感をいだき国づくりにいそしんできました。

 しかし、戦後のわが国では、こうした美しい伝統を軽視する風潮が長くつづいたため、特に若い世代になればなるほど、その価値が認識されなくなっています。私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています。』

 この文章の末尾の方にあるような「歴史認識」、「同胞感」がない僕などは、日本国議会の一大勢力によるこんな文章を見させられると、ちょっと途方に暮れてしまいます。日本会議議員懇談会の名簿を見ると、安倍、麻生は特別顧問だし、管、下村、高市らは副会長。石破、岸田も入っているから、自民党諸派閥を超えた大勢力です。『俺は、こういう人々からは疎外されるのだろうな。彼らから見る俺は、「社会の安定」や「国の力を大きくする原動力」にはなり得ない国民なのだ』。そう考えれば、日本学術会議会員任命を拒否された6人の問題は、僕自身の問題とも見えてくるのです。皆さんご自身は、どうでしょうか?? 

 

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アベノミクスの帰結、誤りの本質  文科系

2020年12月01日 10時43分34秒 | 国内政治・経済・社会問題

 日銀が、日本企業全体の最大株主になった。今までの最大株主・GPIFを抜いてのことであるから、日本国家が日本企業全体の頭抜けた株主になっていくわけである。企業業績に関係ないように見えるこんな企業向け過保護政策を続けたら、日本企業の国際競争力は一体どうなっていくのだろう? 一例、43万円の電気自動車が中国で大流行りだそうだが、この点で後れを取ったままステイタスシンボル頼みのような高級車を中心に作っているやのトヨタなどに将来はあるのだろうかと心配になってくる。日本での売れ筋も、どんどん軽自動車に傾いてきている世の中だ。
 企業最大の株主が日本国家だとは、まるで社会主義国ではないか。いやそれよりもはるかに悪い。社会主義国なら、低所得者向けの所得再配分政策とか(まともな)ベイシックインカム論とかも論議されようが、この国家巨大株主制度は企業向けの無条件融資、つまり究極の供給サイド経済である。不安定労働者など一般消費者の需要側がどんどん痩せ細っている時代に、供給側だけを大きくするのは、ここまで日本貧困化を招いてきた経済悪循環を繰り返していくだけではないのか。

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