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日本会議は全体主義団体である  文科系

2020年12月03日 13時22分56秒 | 国内政治・経済・社会問題

   昨日、こういう文章をエントリーした。

【 (前略)ちなみに、自由民主党の多くの国会議員が加わっている日本会議とは、こういう性格の団体です。「日本会議がめざすもの」という文書の冒頭部分を抜粋してみます。

『 皇室を敬愛する国民の心は、千古の昔から変わることはありません。この皇室と国民の強い絆は、幾多の歴史の試練を乗り越え、また豊かな日本文化を生み出してきました。多様な価値の共存を認め、人間と自然との共生を実現してきたわが民族は、一方で伝統文化を尊重しながら海外文明を積極的に吸収、同化して活力ある国を創造してきました。

 125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう。私たち日本人は、皇室を中心に同じ民族としての一体感をいだき国づくりにいそしんできました。

 しかし、戦後のわが国では、こうした美しい伝統を軽視する風潮が長くつづいたため、特に若い世代になればなるほど、その価値が認識されなくなっています。私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています。』

 この文章の末尾の方にあるような「歴史認識」、「同胞感」がない僕などは、日本国議会の一大勢力によるこんな文章を見させられると、ちょっと途方に暮れてしまいます。日本会議国会議員懇談会の名簿を見ると、安倍、麻生は特別顧問だし、管、下村、高市らは副会長。石破、岸田も入っているから、自民党諸派閥を超えた大勢力です。(以下略) 】

 さて、この「日本会議がめざすもの」の下に集まった国会議員懇談会とは、上記の「美しい伝統」の「歴史認識」やこれによる「同胞感」を国政によってできる限り育んでいきたいという懇談の場なのである。そこで生じてくる最大の問題はこのことだろう。この目的の実現と、現憲法の象徴天皇とが、はたして両立しうるのかどうか。もっと言えば、日本会議とは、単なる政治権能を持たぬ国家機関としての象徴天皇を上記のような魂入った存在にしなければ納まらぬ団体なのではないか。

 こう思ってみれば、色々心配なこと、不安が生じてくる。象徴天皇を神聖視するような行事、国家予算による宗教儀式のようものがどんどん増えているのもこういう政治家たちの育んできたものではないのか。天皇の伝統に「美」や「同胞感」を感じない僕としては、最近の皇室諸行事には象徴天皇を超えるような「日本会議的なもの」を感じてならないのである。今の天皇の扱い変化は、この先一体どうなっていくのだろう。この「同胞感」のない僕のような国民が「非国民」扱いされた戦前を思い出さざるを得ないのである。国の主人公である僕が、「そういう考えは持っていません」というのが憚られるような国に、既にもうなりかかっているのではないか?

 こうして、日本会議の呼びかけ内容そのものに、僕は全体主義政治を感じてならないのである。全体主義とは、個人に対する全体(国家、民族)の絶対的優位の主張なのだから。国の主人公である国民の基本的人権を元とする国家ではなくこの「歴史認識」を元とする「同胞感」を説き、この二つは一致すると日本会議は述べているわけだが、僕に言わせればこの「同胞感」優位の下で「基本的人権」が今でももう制限され始めているのではないか。象徴天皇とは国の主人公である国民の象徴なのであって、国民がこれを跪拝するというのは本末転倒の全体主義であるから、今の保守政治の動きを「こういう基本的人権と日本会議的なものという対立の目」で注意深く見張っていきたい。

コメント (5)
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