「なつかしいものは なあに・・・?
とどかないものは なあに・・・?
それでも 忘れられないものは なあに
それは 通り過ぎた 子供の日の 幸せ」
「ただようものは なあに・・・?
うつろうものは なあに・・・?
それでも 忘れられないものは なあに
それは まだ出会えない 幸せの予感」
「心をしばっている糸を
ほんのすこし ゆるめてください
耳をふさいだ手を
ほんのいっとき はなしてみてください
ほら ここはもう妖精たちの住む世界」
永田萌画集『妖精の季節(とき)』(1980年発行 サンリオ)より引用しました。
ボタンをかけ違えたまま突っ走ってきた10時間労働の息苦しい日々は、たぶん事実上終わりました。
あまりにも突然な残念な終わり方です。
契約はもう少し先までありますが、流れは変わらなさそうです。
その先は、なにかしないかぎり1円も稼ぐことはできません。
大いなる不安と背中あわせですが、今すぐ焦る必要はありません。
失業手当もあるので長期戦でいこうと思います。
昨日の夜、仕事帰りの人たちの姿をみかけるとつらくなりました。
あんなにがんばってきたのに、と思うとつらくなりました。
誕生日だったのに自分でも気づきませんでした。
長い間深呼吸することを忘れていました。
お惣菜を駆けこみで買う生活を続けてきて、簡単な野菜スープをつくることすら忘れていました。
がんばりすぎました。
自分に無理させすぎました。
二人分ぐらい働きながら、職場では全く表に出さずに、卒業論文を書きました、カウンセリングスクールに夜間通いました、国家試験に合格しました。
お休みの時間があっても、神様は許してくれるでしょう。
ここらで一度棚おろしをしたいと思います。
事実関係を知るためには今からがスタートです。
色々な意味で違和感がありました。迷いがありました。ふらふらしていました。
手続きを進めていくために、そういう自分と向き合い、人に話していかなければならないのはきつい作業です。
でも、ふらふらしながらも一生懸命やってきたことは事実でそこは揺るぎません。
違和感があると顔にでてしまう。
自分に嘘をつけないので苦しかったなあとあらためて思います。
もう少し先落ち着いてきたらボランティアから入っていければと漠然と思ってはいますが、
具体的には何もイメージできません。私の力を必要としてくれる場所はあるでしょうか。
今はわかりません。
21年前の自分もほんとうに情けなかった。
でもふんばってふんばって、妹の分まで生きようとしてきました。
情けない自分をさらけ出すことになりますが、こうして生きていることが大切なので、
過去の日記をまた書こうと思います。
「1995年3月14日(火)
おだやかに毎日は過ぎて行く。
まだまだ風は冷たいが、もうすぐ春。
新しい部屋の空気を満喫している。
ひととおり片付けも終わって、落ち着いた雰囲気になった。
さすがに長くいると飽きてはくるが、帰ってくるのが嬉しい。
陽当たりのいい窓。
周囲の音もあまり気にならないし、開放的でくつろげる。
どんどんこの空気が好きになってくる。
わたし自身にも春が訪れるような気にさせられてしまうではないか。
編集プロダクションへの就職が決まった。
作文と面接がパスしてしまって、素直に嬉しいというよりは信じられない気持ちと不安の方がまさっている。まさか採用されるとは思わなかったので、たいした考えもなく応募して、あまりにあっさり決まってしまったので戸惑っている。
ほんとにわたしでいいのだろうか。
少人数だし、この年齢で新しいことを始めるにはそれなりの気構えが必要なわけで、呑み込みのおそいわたしとしては不安だらけである。
今あれこれ考えても仕方ないけどね。
やるしかない。
先よく眠ることだ。
Mちゃんのことを思うと、なかなか苦しいが
休んでエネルギーをたくわえていくことだ。
フロイトのレポートも書かなければならないし、なかなかに忙しい。
いつもそばに感じる。「おねえちゃん、がんばれ」っていってくれてるような気がする。
心の中にあの娘がいる限り、がんばれる筈だ。
二人分生きること-それしかもうしてあげられることがない。
気負うことなく、肩の力を抜いて自然体で前に進んでいこうよ」
写真は春のプリンス・エドワード島、お化けの森です。