たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

いつの間にか桜の花が咲き始めていますね

2014年03月26日 14時18分47秒 | 日記
ゆっくりと空を見上げながら歩いていると、いつの間にか桜の花が
開き始めていますね。

状況が中途半端で自分の動きを決めることもできない苦しさををずっと抱えながら過ごしているので、文章にも力がないなあと我ながら思います。

行政の仕組みは弱過ぎてどうにもならなかったので団体に交渉を委ねました。
そこでどうにもならなかったら、あとは訴えるしかありません。
今の日本の法律の中では、こういう時本当に真実を知ろうとしたら裁判を起こす以外
方法はないそうです。それだけ労働者は守られていないということがよくわかりました。

弁護士さんにも会いましたが、裁判となると茨の道が待っています。
そこまでエネルギーを維持し続けていくのは容易なことではありません。
事故による訴訟のニュースを今まで何気なく新聞やインターネットで目にしてきましたが、
それがいかに大変なことか、今回よくわかりました。
大きな事故ともなれば本当にそれははかり知れない膨大な時間とエネルギーが必要ですね。
もちろん費用もかかります。

自分の中にある、人を大切にしない組織、仕組みへの怒りを食いながらずっとがんばってきました。その怒りが327頁に及ぶ卒業論文を私に書かせました。
振り返ってみると卒業論文の仕上げに入っていた2001年夏ごろから私のオーバーワークは始まり、2010年夏まで7年間にわたって派遣という仕組みの中で見過ごされ続けました。
このあたりのことを以前一度ブログに書いて削除してしまったので、あらためてまた追記していこうと思っています。
本当にぐらぐらしてしまっています。


怒りを感じながらも、大好きなプリンス・エドワード島に行くために働く、旅に出るために働く、そんな生き方もありかなと思いながら振り返ってみると、とりわけ震災の1年後に訪れた母との突然のお別れの後のわたしは本当にこれでいいのだろうかと揺れ続けてきました。

手帳にこんなふうに書いています。

「2012年4月22日

『赤毛のアン』を原文で読むセミナーに参加。第5章、「アンの生い立ち」を読む。幼い頃、誰にも愛されなかったモンゴメリ自身の淋しさが投影されているようで痛々しく、心が揺さぶられる場面を読んだ。涙がにじんでしまう。
原語で読むとリアル感が違う。アンはなんと愛情に飢えていたことだろう。痛々しい、本当に。
昨夜もヘンテコな夢をみてうなされていたようが気がする。起きると胃が痛くって仕方ない。早寝しないと本当の壊れてしまうだろう。なんだか落ち着かなくってすごく疲れる。救急車の走って行く音をきくたびに、ああ今この時どこかで困っている人がいるんだな、私に手伝えることはないだろうか、と思う。震災後、自死へと誘い込まされてしまう人がたくさんいるときけば、私にできることがあるのではないかと思ってしまう。でも、現実の私は自分の小さなことに囚われていて何もできていない。どこに進んでいけばいいのかわからないままだ。
私の感性では理解できない、すごく変ちくりんな仕組みの中、私はこれ以上耐えられないだろう。だましだまし、また一週間なんとかしのいでいくしかない。
いたずらに消耗するような日々を送っているのは私だけではないだろう。
心の中にはアンがいる。苦悩の日々を生きたモンゴメリさんの深い思いの中から生まれたアン。
年をとった今だからこそ味わうことができる。
身の回りをすっきりと整理してPEIに行きたい。そしてあらたに文章を書き始めたい。
その前にこわれないようにしないと・・・。
不安を抱えながらの一週間がまた始まった。」


13年間一生懸命働いてきたことがなんらかのかたちで報われるのかどうか、今のところまだわかりません。
報われなくても、一生懸命働いてきた事実が変わるわけではないので決着したら、体を休ませながら次へと手探りしていこうと思います。ずっと己に鞭打って無理に無理を重ねてきた疲れが今はきています。

ネガティブな感情を表現することが許されない社会の息苦しさをあらためて感じました。
これからどこでどう生きていけばいいのか、今はわかりません。
組織という枠はもうきつい・・・。

もう少し先に卒業論文も書いていこうかと思っています。
どんどんわかりづらいブログなってしまっているかもしれませんが、よろしければまた訪問してください。


春のプリンス・エドワード島からまた一枚。
車の中から撮っているのですが、やっぱりきれいですね。
またいつか行きたいです。
今度はモントリオールかハリファックスも合わせて訪れたいです。
(モントリオールは2001年の冬に一度行きました。)