たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

わたしの2011年3月11日

2014年03月11日 15時06分56秒 | 東日本大震災
手帳の記録からそのまま書いていきます。

3月11日(金) 
14時46分 
かなり揺れは続いた。繰り返し余震も起こる。電車が止まったので、帰宅をあきらめ、(職場の建物の中で)一晩中ネットで情報をみながら、眠れない夜を過ごす。


3月12日(土)
朝、帰宅。
地震情報が流れて一時電車がとまるが問題なく帰宅。ずっとテレビを見続ける。
気づいたらお風呂の中で寝てた。


3月13日(日)
整骨院で全身マッサージ。
平常心ではない。
やっと7時間眠った。まだ停電の影響はさほどなく、呑気にドトールで本を読んだり、英語を勉強したりした。


3月14日(月)
計画停電の発表により、電車の本数が少なくなる。
大混雑ですごいことになったので出社をあきらめる。
部屋でずっとテレビをみながら、ネットでメールをチェックして、仕事もできる範囲で行った。睡眠不足の影響もあり、疲れ果ててしまった。
原発への不安高まる。


3月15日(火)
おくれてPM出社。節電の電車への影響は軽減。ネットで情報を見続けながら仕事。ずっと揺れている感じがしてビルの中にいるのがおそろしくて仕方ない。原発への不安。帰宅困難者になる不安。自分の持っている物を全てあきらめなければならないかもしれないという不安。計画停電の心配。落ち着かない。


3月16日(水)
不安が続く。ずっと揺れていて、揺れていないのに揺れているみたいだ。あまりのすごさに言葉もない。帰宅後はずっとスキュンを続けながらニュースをみる。


3月17日(木)
夕方、大停電の怖れありのニュースに夕方5時前に仕事を切り上げて帰宅。大混雑の一歩手前でパニックに巻き込まれずにすんだ。最寄りの駅に戻ると計画停電中。信号も止まっているし、日没前に部屋にもどることができたが、心細くて不安高まる。食べる物の買い置きをしておいてよかった。Y先生とYさんに電話した。なんだか落ち着かない。いくつもの不安が重なるが、一番は原発だろうか。

3月18日(金)
落ち着いた一日だった。ネットで情報を見続けながら仕事する。帰宅困難者になるかもしれない。停電も心配。でも被災した人達のことを思えば辛抱しなければならない。ボランティアの受け入れが始まったら何かしたい。気づいたら風呂の中で眠っていた。危ない。


3月19日(土)
かかりつけの内科へ行く。& ジョブスタ。


3月20日(日)
美容院でカット。


3月21日(月)
連休中は計画停電は実施されず、少し落ち着いて買い物もできた。久しぶりに多めに眠れた。


3月22日(火)
15時20分-19時00分:計画停電
夕方大きな余震がくる。夜半も揺れる。11日の恐怖感が体に刻まれてしまった。
PTSDにあたるのだろうか。不安障害だろうか。軽度だがうつを伴って私の中に起こっている。
冷静に、冷静に。
人に話すことでいくらか緩和される。ガンバレ、わたし。
職場の部署替えのハシゴからおりたい。今そんなわけにはいかないが・・・。あまり眠れていないのできつい・・・。


3月23日(水)
12時20分-16時00分:計画停電
東京都の救援物資受付に買い集めた物を送った。個人でやるとたいしたことない。
でも今なにかしないではいられない。早く届くといいな。喜んでもらえるだろうか。
東北はよく一人旅で行っていた場所だ。秋田、岩手、青森、仙台。色々と処分してしまったけど、記憶に残る東北はどうなってしまったのだろう。
原発もおさまって、一日も早く平和がきてほしい。
なんでみんな何事もなかったかのようにしているのだろう。
そんなことないか・・・。


3月24日(木)
9時20分-13時00分、16時50分-20時30分;計画停電
自分の持っているもので何かできないだろうか。


3時25日(金)
6時20分-10時00分;計画停電
東京都の救援物資受付が27日で一旦終了というHPの情報に急いで荷造り。半分仕事になっていない。


3月26日(土)
18時20分-22時00分
こんな時に部署替えにつきあわなければならないのが歯がゆい。私にできることはないのだろうか。


3月27日(日)
免許証更新。寒いし遠かった。カウンセラーのY先生のお宅に行きたかったが残念。でも話をきいてもらって少し落ち着いた。
私が給料もらって消費する。それも大事なことなんだ。これからどうなっていくのかますますわからなくなってきた。私はどう生きていくべきなのだろう。新しいことを始める前に今持っているものを整理したい。ちょっとずつ、辛抱して・・・。
義捐金に4,000円だした。物資を合わせると、弟のY君が送ってくれた分ぐらいは還元できたかな。ありふれた日常に感謝。当たり前のことは当たり前じゃなかったんだ。祈り続けるのみ。
(3/28記)


3月30日(水)
昨夜会社にいる間に余震があってからまだずっと揺れている感じで、夜布団に入ってからは体が震えてしまってしばらく寝つけなかった。ずっとインターネットやニュースを見続けているた為、その映像が頭から離れなくなっている。PTSDっぽくなってるなあ。
見なきゃいいのに、でも知らん顔できない。不安、不安だけがつのる。不安神経症が強くなってつらい・・・。


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がんばろう日本、がんばろう、がんばろうの掛け声への違和感を感じ続けた。
なにかおかしい、違っている。でも何がおかしいのか、その正体は今もわからない。
もうすでにがんばっている人たちに、がんばるしかない人たちに、これ以上なにをがんばれというのか・・・。

私にできることがあるのではないか。
突然近しいと人とお別れとなったその苦しみは乗り越えるものではない。
時間が解決するものでもない。ずっと一緒に生きていかなければならない。
自分が生きている限り終わりなんてない。その苦しみは経験した人にしかわからないと思う。
心の片隅でそう思い続けながら3年が過ぎた。
私は今自分の雇用すら守ることができないでいる。