たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

母の旅立ちから四年

2016年02月11日 22時00分02秒 | 祈り
2012年2月10日(金)

母急逝の知らせに、有給休暇扱いにして職場を13時頃切り上げる。
☆☆へ帰る電車の中でY先生に会った。
19時19分の新幹線で○○○に戻る。

2012年2月11日(土)

母の通夜を待つ。あまりにあっけない幕切れで実感がわかず、どう受けとめていいのかわからない。

2012年2月12日(日)

母の葬儀。冷たい風が吹く。
お別れしたのだという実感が終わってしまうともてない。

2012年2月13日(月)有給休暇

自分の10代の頃の手紙と学習机、洋服ダンスを処分。
少しずつ捨てていくしかない。
○○○から新幹線で☆☆に戻る。
チケットは弟がおごってくれた。
故郷は雪。

2012年2月14日(火)有給休暇

疲れ果てていた。
11時過ぎまで起き上がれず。
夕方まで部屋にこもって過ごす。
21時〰スポーツクラブでヨガ。

2012年2月15日(水)

出勤。お香典をいただいた。
フワフワと実感のないまま、仕事の時間は過ぎゆく。


 手帳の記録から振り返ってみました。母の寝顔がよみがえってきます。苦しんだのか、あごと手首に傷があって可哀想でした。あれから4年が過ぎたなんて信じられません。

 明日も無事に職場にたどり着いて、無事に一日が終わっていくでしょうか。また緊張します。クレームつくような対応してしまうのが一番おそろしい。疲れて集中力がなくなってくるとやってしまいそうです。土曜日もきびしい一日が待っています。旅の写真を載せることができなかったですが今日はこれでおしまいです。


第1章_性別職務分離の状況_②女性労働者の分布

2016年02月11日 14時43分21秒 | 卒業論文
 女性労働者の多数は恵まれない仕事に就く、逆に恵まれない仕事の担当者は圧倒的に女性であるという事実に注目したい。甲南大学経済学部教授の熊沢誠は、「恵まれない」を、その仕事の方向性や遂行方法に関する基本的な決定権というものがない、やりがいがない、うまくできたからといって会社からさほど高く評価されるわけではない、そして報酬も高くない・・・というほどの意味に用いている。職業に貴賎はない。恵まれない仕事の多くは定型的または補助的ではあれ、それが生産にとって不可欠の労働であるということはすべての議論の大前提であろう。とはいえ、「この世」には恵まれた仕事と恵まれない仕事という違いは厳存して、この違いが労働者のなかに強固な階層性をもたらしている1) のである。

 『日本の就業構造 平成9年就業構造基本調査の解説』の有業者を職業(大分類)別にみると、「技能工、採掘・製造・建設作業者及び労務作業者」が2,019万8千人(有業者に占める割合30.1%)と最も多く、次いで「事務従事者」1,357万5千人(同20.3%)、「販売従事者」938万2千人(同14.0%)、「専門的・技術的職業従事者」854万8千人(同12.8%)などとなっている。(表1-4)

 このデータを男女別にみると、男性では「技能工、採掘・製造・建設作業者及び労務作業者」が1,400万8千人と最も多く、次いで「販売従事者」589万7千人、「事務従事者」534万人などとなっているのに対し、女性では「事務従事者」が823万5千人と最も多く、次いで「技能工、採掘・製造・建設作業者及び労務作業者」619万1千人、「専門的・技術的職業従事者」376万6千人などどなっている。1992(平成4)年と比べると、男性は「技能工、採掘・製造・建設作業者別及び労務作業者」の増加が最も大きく(23万5千人増)、次いで「専門的・技術的職業従事者」(21万3千人増)となっている。

 また、女性は「事務従事者」(45万6千人増)「専門的・技術的職業従事者」(44万4千人増)、「サービス職業従事者」(39万7千人増)が大きく増加している。逆に「技能工、採掘・製造・建設作業者及び労務作業者」(42万8千人減)は大きく減少している。(表1-5)

 このような職業別構成の統計数値では、性別職務分離の状況の把握にはきわめて不十分である。女性労働の内部では専門・技術、事務、販売、サービス、そして工場・建設労働という、恵まれている程度の序列がある。この序列を念頭において表1-5で男女の職業構成を比べると、むしろ女性の仕事のほうが恵まれているのではないか。男性は女性より、専門・技術職や事務職が少なくブルーカラー労働者が多いからだ。それゆえ、職業構成をもって性別職務分離を、恵まれない仕事への女性の偏りをみることはできない。問題は職業統計の先に潜んでいる。

 それぞれの職業の内部には、制度的または慣行的に「男の仕事」と「女の仕事」があるのだ。比較的に性別分離の傾向が弱い専門・技術職でも、たとえば医師はもっぱら男性でナースは女性、教員の世界でも女性は幼稚園と小・中学校に集中している。熊沢が総務庁の資料に従って述べているところによれば、それらの教員とナース、薬剤師だけで女性専門職の約70%を占める(総務庁1999)。雇用の最大領域である事務部門においては、キャリア展開が期待されている「総合職」は圧倒的に男性、女性はいつになっても比較的簡単な様々の仕事を適宜わりあてられる「一般職」に緊縛されている。 2) 販売職においては、契約の前線である外交販売はほとんどが男性、フロント・窓口などの店頭販売が女性の仕事である。工場では、男性は主として装置の保守・点検、計器監視、一品生産の組み立てなどに携わる。他方、女性は大量生産品の定型的な組立て、検査、包装といった職域で働いている。3)

 次に、熊沢が『平成9年版 就業構造基本調査』を基に作成した女性労働者分布を示す資料(表1-6)と検討した結果を参照しながら、女性の多くが恵まれない仕事に就いている状況を概観したい。この表は、『平成9年版 就業構造基本調査』のいくつかのページと総務庁への依頼のプリントアウト部分から、女性労働者を階層化させる要因(職業・年齢・雇用形態)がわかるように区分して実数と比率を示している。熊沢は非正社員比率と年収300未満比率(これを「低賃金率」と呼ぶ)を「恵まれない程度」と考えて、次の幾つかの検討を試みている。まず、あらためて男女の違いの大きさに驚かされる。男性は全体で正社員比率が81%で低賃金率が25%なのに、女性では正社員比率が54%、低賃金率が74%である。男性という範囲内では戦後労使関係のなかでの「従業員としての平等」4) 合意がここにも及んで、職業の差はさほど大きくない。定年後の再就職者がよく就く補助労働であるサービス職業のみが、非正社員と低賃金比率の2点において、女性の中では最も「恵まれた」層である専門・技術職を凌ぐだけである。

 職業別に考察してみると、女性労働者の最大勢力である事務職では、20代で272万人、そのうちの正社員比率が80%近いとはいえ75%は年収300万未満である。若い事務職、いわゆる「OL」はなお現代の女性労働者の一典型といえよう。その後、OLたちの正社員比率は加齢に伴って低下し、低賃金率も30代以降はあまり改善をみない。こうして事務職は、人数でみて30代から50代まで続く高い尾根を作っている。しかしそれだけにベテラン事務職の人々においては、ジェンダー差別が鮮明に意識される可能性が高い。

 販売職とサービス職は、事務職よりさらに「恵まれない」立場におり、かつ加齢と共に、ジェンダー差別が鮮明になっていくのは事務職と似ている。事務職に次いで、約500万人を擁する女性ブルーカラーは、年齢計で正社員率が38%に過ぎず、低賃金率が93%にものぼるもっとも「恵まれない」人びとである。10代、20代に工場で働き始める人は今では販売職、サービス職よりも少ないが、30代からは増加に転じ、40代、50代では事務職と並ぶ山塊となる。しかも彼女ら中高年層は、20代よりも恵まれず、もっぱらパートタイマーとしてわずかな賃金で働いている。

 こうして、人数の点からいえば、①年齢を通じてわりあい等質な専門・技術職(全体の15%)、②20代事務職(12%)、③40代と50代の事務職(13%)、④40代と50代のブルーカラー(13%)という、女性労働者の代表的グループを認めることができる。「恵まれている」順序は①②③④である。グループ間で、性別職務分離の在否、その度合いと形態、労働生活の中での主な関心、就業コースなどは、かなり違うだろう。5)  男性に比して、仕事と私生活が密接に結びついている女性は、私生活の事情次第で仕事の位置づけも、抱えている悩み事も、目標や期待も様々に異なるのである。

 熊沢の検討に沿って女性労働者の分布をみた結果、日本型企業社会が女性に求めていたのは、若年のうち低賃金で正社員として働き、結婚または出産を機に退職し、家事・育児に専念する。そして、子育て終了後に家計補助のため自分に税金がかからないように夫の扶養者とみなされる範囲内でパートタイマーとして低賃金で働くというサイクルである。このため、日本の女性の働き方は、しばしばM字型雇用と呼ばれてきた。次に、M字型雇用について検討してみたい。



引用文献

1)熊沢誠『女性労働と企業社会』10-11頁、岩波新書、2000年。

2)1986年4月に施行された男女雇用機会均等法は、性別による処遇の差を禁止している。同法の施行を契機として、「コース別人事管理制度」を導入する企業が相次いだ。それまで大卒の男子は幹部候補生、女性は大卒であっても補助業務という、性別による人事管理制度に代わって、総合職、一般職等のコースを設定し、コースごとに異なる雇用管理を行う制度である。「総合職」は、賃金が高く機関的業務に従事し昇進昇格ができるけれども、全国的規模の配転を条件とする。「一般職」は、賃金が低く定型的・補助的な業務に従事するが、転居を伴う転勤はないコースである。この制度は、性別人事制度を敷いてきた大手企業を中心に相次いで導入された。均等法においては、男女の均等な機会等を確保するために事業主が講ずるべき措置として、募集・採用及び配置・昇進に係る男女の均等な取扱いについては努力義務規定とされるにとどまった。そのため、もともと女性を積極的に採用する意思がないにもかかわらず形式的に「男女とも募集」を行っている事例もみられる。(表1-7)(総務庁行政監察局編『女性の能力発揮を目指して』56頁、大蔵省印刷局、平成9年)

3)熊沢、前掲書、11-12頁。

4)熊沢、(英文)『日本の職場』(A・ゴードン)、ウエストビュー・プレス社、1996年より引用。

5)熊沢、前掲書、22-28頁。


***************

 私にこの卒論を書かせたのは「怒り」だと指導していただいた先生がおっしゃいます。自分では気づいていませんでしたが、大会社(仕組みの上では派遣先)で働きながら日々感じていたことが卒論のテーマにつながっていったことをあらためて思い出します。働き始めて1-2年にしてすでに私は、疑問、怒り、息苦しさ等をかなりため込んでいたということになります。この卒論の指導を受け始めて3回目ぐらいの時に所属していた特定派遣業者との間で行き違いが起こり、特定派遣業者は私を辞めさせて他の人を会社に派遣しようとしました。特定派遣業者を実質牛耳っていたおばちゃんの知り合いの娘とかで能力の低い女性を会社に派遣しておきながらすぐに辞めてしまうと、おばちゃんが牛耳っていた特定派遣業者はそれを全部私に非があったからだと言ったのです。担当業務が違うのだから、私の責任ではなく、派遣先とそんな人を派遣した特定派遣業者の責任であったはずですが全部私の責任にされました。派遣先で大会社は、登録型派遣業者へと派遣元を移籍させて私を使い続けました。文献収集が終わり、執筆に取り掛かりはじめた時期と、人をコストとしか考えられなくなった大会社の都合に振り回されるだけ振り回されるようになった時期とが重なりました。この卒論があったからその後10年持ちこたえてしまったのかもしれません。こんな酷いところでよく長い間がんばってしまったもんだと思います。思い出すと具合が悪くなりそうです。

(参考資料の表はスキャンしないといけないので後日追加する予定です。)