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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

救われます

2016年02月14日 22時05分45秒 | 日記
若松英輔さんがリツイート


石川うた ‏@cocorojin · 2月13日

若松英輔『生きる哲学』
「人間には誰しも担わなくてはならない人生の問いがあり、それは他人に背負ってもらうことはできない。自己を生きるという使命においては、優劣や意味の大小は存在しえない。それぞれが固有の存在であることが個々の人間に宿っている冒されざる尊厳の根拠となっている。」


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 かくて休日は少しのんびりしていたらあっという間に終わりゆく。きつい三日間の初日がスタート。また時間までに行けるか緊張します。ブログ書いている場合ではないんです。残念ながらこれにておしまいです。


やっぱり悔しさはあります

2016年02月14日 12時37分16秒 | 祈り
 胃がいたくって二度寝ですごくへんてこりんな夢をみながら目が覚めました。先ほどまで2月だというのにまるで台風がやってきたかのように風がふきあれ、雷もなっていました。これでまた明日から冷え込むというのですから体をこわしてしまいそうです。あまりに大変で体をこわしてしまいそうなぐらいだったら辞めればいいという気持ちでいくしかありません。実際には生活があるので辞めることはたぶんできませんが・・・。途中で辞めたという汚点がついてもいやかな。やれるところまで・・・。次は明日の朝をがんばるしかないです。営利追求ではないところで働くことはめったにない不思議な経験です。大会社のように数字・数字で振り回されて頭がおかしくなりそうだということはありません。別の意味で数字はあるようですが業務の目的は売り上げに貢献することではありません。体制が決めた通りに粛々と業務をこなしていくのが現場の役割。体制の決めごとに振り回されながらみなさん一生懸命に働いていらっしゃいます。(職員のみなさん気をつかってお菓子をくれたりします。その時必ず「お疲れ様です」の言葉があります。)私は昨日もちょっと書いたように、怒りやイライラをぶつける方のお気持ちがすごくわかるところがあるので、少し前までの自分もそうだったので、「お気持ちわかります」とはいえず、ただ「申し訳ないですね」と声をかけます。本当にそう思っているのでへんに上っ面だけのようにはきこえていないと思うのですがどうなんでしょうかね。

 昨日のうちに百円ショップで腕時計を買いました。百円ショップでこんなものまで売っているって知らなかったです。腕時計をもっていないことで、仕事に対する姿勢が甘い、常識に欠ける人間だと思われたみたいで、「仕事だから・・・」「今までオフィスの仕事したことないんですか」とか言われました。いやいや、10年以上同じ会社で責任もって仕事していました。二人分ぐらいの仕事をこなして毎日9時間、10時間、11時間、12時間と働いていました。もっともっと目がチカチカして気持ち悪くなるようなシステムの操作をたっぷりやらされました。書類もどっさり作っていました。外人の書類や請求書を処理する時は、英語とその他の言語が混在した航空券などを読みこなして、どういう航空経路で第三国から当外国へ出張にいったか理解していました。システムのこともやっていました。会社の生き字引きみたいになって頼られながら仕事していました。でも最後に「派遣だったんですけど・・・」とつけ加えなければならない時、自分の中ですごく屈辱的な響きを感じてしまいます。派遣だったから最後は使い捨て同然の扱いを受けました。そんなのひどい、おかしいと声をあげたら、新聞にケースとして登場したりニュースでも流れました、普通じゃない経験しましたと話すこともできません。それらは全てちょっと横に置いておくしかないです。自分の中で屈辱的な響きを感じてしまった時、悔しさがよみがえってきました。そりゃあ悔しいですよ。私だけが悪いことになって、派遣元を移籍させてまでいいように使い続けてきた大会社には何の責任もなしが社会の仕組みですから。でも声をあげ続けていてもごはんを食べていくことはできないので今は引っ込めます。ボランティアとか社会活動とか、別の手段でご飯を食べる基盤が確保されている方しかやれないことで、自死遺族の分かち合いも平日だし、当面いくことはなさそうです。いのちの電話の相談員養成講座申し込みの締め切りが近いですが今回も見送りです。これをやることによって業務にさしさわりがでることは許されません。ブログを書き続けていくことが唯一になります。ずたずたにすり減っていた時にお会いした記者さんたちに社会復帰できました、今が本来の私の姿ですとお伝えしたいですが、一日一日でやっている状況なので親しくメールをさせてもらっている記者さんだけにお伝えさせていただきました。

 大震災のあった年の暮れ、3カ月後に母との突然のお別れがやってくることなど知らずに帰省しないで過ごしていました。大会社の数字・数字と組織替えに振り回されて疲弊しおかしくなってしまいそうな私がいました。

「2011年12月28日(木)晴 atドトール

会社のメールをみた。
気持ち悪くなってしまった。もうやめよう。
大丈夫だ。

久しぶりの有給休暇。
時が少しゆるやかに過ぎていく分、気持ちもゆるやかだ。もういいと思う。
これ以上やりたくない。でも私よりずっと安い時給で働いている人がたくさん
いることを思うとぜいたくは言えないし、辛抱するしかないのかと思い直す。
大きな組織はわからない。不気味だ、かといって、組織がなくても社会は成り立たない。
それにしてもあらためて目先しかみていないし、自分を守ることしか考えていないんだと
気づかされる。いつも弱い立場の者が振り回される。
上に立つ人間のちょっとした考えによって、お金のかかっている派遣から切って、でも結局回らなくなると今度は安い派遣を雇い入れて、切られていく様子をみている派遣はいつ自分の番がくるのだろうとビクついて、自らやめていく決断をしたり。
そんなことでは、仕事の質が安定しないし、会社として生産性が落ちるだろうに、ムダにお金がかかっているオジサンたちたくさんいるのに、どうして肝心なところのお金をケチるのだろう。
それにのってまた派遣会社というえげつない商売が成り立っている。自分もまたそこに乗っ飾るを得ない。悔しいなあ。年齢があがってきて、派遣から抜け出せないのは私だけではない。
退職金もボーナスも定年もない。
これから世の中はさらに機能しなくなってくるのではないか。だって若い人たちが会社に入ることにやっきになっている。人が育っていかない。先細りであまり希望は見出せない気がする。自分はこれからどう生きていくべきなのか、いっこうに見えてこない。震災と原発事故のあと、日常生活は淡々と続いているが、何かがおかしい。気持ち悪い。
人を雇って生産性をあげてお金を回そうとするのではなく、お金が回って余剰ができたら人を雇う。ヘンだなあ。駅なんかもほんとに人がいなくなった。地下鉄の駅は人がおらず、どこでかわからないが、監視はされており、どこからかわからないがアナウンスだけはきこえてくる。新幹線の切符さえ自動改札になってぬくもりは感じられない。むしろ不気味でさえある。
モントリオールの、おばちゃんが切符を切ってくれる地下鉄の駅がなつかしい。変わってしまっただろうか。そのままだろうか。ゆっくりとカナダに行きたい。荷物を減らさねば。
3月11日のあとは、こうして年の瀬がくることを想像できなかった。それほどの不安と恐怖の日々だった。なのに組織替えもあって振り回され、よく乗り切っていると思う。えらいなあ。私って・・・。夜になるとたまらなく不安になって、おそろしくなる。大丈夫だ。気をつけながら生きていこう。変な人と知り合って、変なことに巻き込まれてはいけない。ひとりぼっちの休暇が始まる。」

 もうすぐ誕生日なので運転免許証更新の案内がきています。5年前の免許証の写真をみると3月11日の揺れと恐怖を体がおぼえていて、寒さが続く中で頻繁におこる余震に振り上がっていた私の表情は疲れ果てています。たくさんの方が亡くなられ、非難生活を余儀なくなされる方々がたくさんおられ、連日ご遺体の捜索が伝えられる中で、あの頃ほど桜の花びらがほころび始め、それでもこうして季節はめぐっていくことが哀しくてたまらなかったことはありませんでした。