「2012年12月31日(月)
2012年が終わろうとしている。スタバにいると全く実感がない。一週間前はクリスマス協奏曲を奏でていたのに、25日の夜になるとたちまちお正月へとスィッチ。デパートやメディアに踊らされているようで、どうにもついていけないし、好きになれない。なんとも不思議な国だ。それでも一応ガスレンジ周りと本棚のほこりのすごい所も掃除した。要らないもの、行方不明だったものがでてくるものだ。
あとはひたすらデジタル化。けっこう疲れる。まだまだある。なかなか終わらないなあ。それでも減っているはずだ。少しずつだが、どこかで諦めて捨てられるようになった。いつか捨てなければならないのだ、今か、30年後か・・・。
夜になると母のことを考えてしまい、落ち着かなくなる。色々思い巡れば悔やみ切れない思いがよみがえってくる。でも、もう自分を責めるのはよそう。人の営みとは、なんとも理屈では言いようのない、ゴタゴタとした色んなものがゴチャゴチャに混ざり合っているものなのだ。
これからどう生きていこう。
辛くなったらいつでも逃げられる、そんな立ち位置で人の営みに関わっていくのがいいのかな・・・。ひとつひとつは何でもないことのような積み重ねで、日々の営みは続いていく。
子供に自死された人に希望をもってほしいなどと思うのは酷だよな。母の思いを想像力ではかっても私にはわからない。受け取めきれない試練にさらされながら精一杯生きた。どうしてそうなったのか、どこにも答えはないので、それを追い求めてもどうにもならない。私は私の立ち位置で幸せなる努力をすること、それだけだ、それでいいんだ。」
介護保険制度が少しずつ充実してきて、包括支援センターなる拠点が地域にできて、看護師やワーカーがいて、介護サービスの種類もふえてきたのかな。でも本人が望まない時、たくさんの専門職と呼ばれる人たちが関わっていくことが、介護サービスを導入していくことが本当に当事者にとって正解なのかどうか、とりわけ身体ではなく精神の場合、わからない。ヘルパーをいれようとしたら母は拒絶した。最後までこの家にいたいとがんばった、「お母ちゃん、人に迷惑かけんようにがんばっとるで」。最後に母と会った時の言葉が今も甦る。自分はわかっていなかったと亡くなった後で気づいた。母の存在が負担でしかないような、いつしかそんな思いを捉われるようになっていた自分がいた。母は母の世界のなかで一生懸命だった。そのことに全く気づいていなかった。母にとっていちばんの幸せは、静かに今までどおりに家の中で亡くなった娘を思いながら過ごすことだった。自分の母が統合失調だったことも、妹が自死したことも、ずっと自分を責めて苦しみ続けてきたことも、今は遠いことのように思える。この日記を書いていた時は全く予想だにしなかったクソな大会社に使い捨てにされて望まぬ闘いになり、ボロボロにすり減ったのですごく遠いことになった。今日かかりつけ医でここ一週間の仕事のことを話したら、「人助けができてよかったなじゃない、いいことあるよ」って言われましたが、自分のしたことは本当に人助けになったのか、わたしはなにかできたのか、どこにも正解のない答えを求め続けているわたしがいます。
「祈り」のカテゴリーで久しぶりに書きました。書かずにはいられませんでした。昨日からのもやもやした気持ちがこうしてブログに書くことで成仏できるといいな。
2012年が終わろうとしている。スタバにいると全く実感がない。一週間前はクリスマス協奏曲を奏でていたのに、25日の夜になるとたちまちお正月へとスィッチ。デパートやメディアに踊らされているようで、どうにもついていけないし、好きになれない。なんとも不思議な国だ。それでも一応ガスレンジ周りと本棚のほこりのすごい所も掃除した。要らないもの、行方不明だったものがでてくるものだ。
あとはひたすらデジタル化。けっこう疲れる。まだまだある。なかなか終わらないなあ。それでも減っているはずだ。少しずつだが、どこかで諦めて捨てられるようになった。いつか捨てなければならないのだ、今か、30年後か・・・。
夜になると母のことを考えてしまい、落ち着かなくなる。色々思い巡れば悔やみ切れない思いがよみがえってくる。でも、もう自分を責めるのはよそう。人の営みとは、なんとも理屈では言いようのない、ゴタゴタとした色んなものがゴチャゴチャに混ざり合っているものなのだ。
これからどう生きていこう。
辛くなったらいつでも逃げられる、そんな立ち位置で人の営みに関わっていくのがいいのかな・・・。ひとつひとつは何でもないことのような積み重ねで、日々の営みは続いていく。
子供に自死された人に希望をもってほしいなどと思うのは酷だよな。母の思いを想像力ではかっても私にはわからない。受け取めきれない試練にさらされながら精一杯生きた。どうしてそうなったのか、どこにも答えはないので、それを追い求めてもどうにもならない。私は私の立ち位置で幸せなる努力をすること、それだけだ、それでいいんだ。」
介護保険制度が少しずつ充実してきて、包括支援センターなる拠点が地域にできて、看護師やワーカーがいて、介護サービスの種類もふえてきたのかな。でも本人が望まない時、たくさんの専門職と呼ばれる人たちが関わっていくことが、介護サービスを導入していくことが本当に当事者にとって正解なのかどうか、とりわけ身体ではなく精神の場合、わからない。ヘルパーをいれようとしたら母は拒絶した。最後までこの家にいたいとがんばった、「お母ちゃん、人に迷惑かけんようにがんばっとるで」。最後に母と会った時の言葉が今も甦る。自分はわかっていなかったと亡くなった後で気づいた。母の存在が負担でしかないような、いつしかそんな思いを捉われるようになっていた自分がいた。母は母の世界のなかで一生懸命だった。そのことに全く気づいていなかった。母にとっていちばんの幸せは、静かに今までどおりに家の中で亡くなった娘を思いながら過ごすことだった。自分の母が統合失調だったことも、妹が自死したことも、ずっと自分を責めて苦しみ続けてきたことも、今は遠いことのように思える。この日記を書いていた時は全く予想だにしなかったクソな大会社に使い捨てにされて望まぬ闘いになり、ボロボロにすり減ったのですごく遠いことになった。今日かかりつけ医でここ一週間の仕事のことを話したら、「人助けができてよかったなじゃない、いいことあるよ」って言われましたが、自分のしたことは本当に人助けになったのか、わたしはなにかできたのか、どこにも正解のない答えを求め続けているわたしがいます。
「祈り」のカテゴリーで久しぶりに書きました。書かずにはいられませんでした。昨日からのもやもやした気持ちがこうしてブログに書くことで成仏できるといいな。