たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『現代日本文化論6-死の変容』より-死への準備-死への準備が困難となった時代

2024年09月17日 17時09分31秒 | 本あれこれ

「死への準備が困難となった時代

「あすは死ぬと決めて、兵士は今日どう過ごしたろうか。」

 レイテ湾海戦で散った特別攻撃隊員の心情を想い、1995年10月20日付け朝日新聞夕刊コラム「きょう」の筆者はこう記している。今からわずか半世紀前の我が邦には、眼前の確かな死を前にして、今の時をとにかく生き抜いた若者達がいた。その生き様は十人十色であろうが、その一つ一つが死に逝く者にとっては、死への準備であったに違いない。だが、その時から50年経った現代を生きる我々にとって、死への準備はいかに困難となったことであろうか。そもそも人生80年の時代においては、いのちに限りがあることすら人々は忘れ去ったのかもしれない。人生の春夏を生きるものが、人生のはるか彼方に存在する死に対して思いを寄せることは、至難の業となった。また人口の高齢化は国を挙げての重大問題ではあるが、この問題を論じるにあたって、老いへの準備は同時に死への準備でもあるという、根本的な視点が欠落しがちである。その結果、人々は当然来るべき死から目を背けて、老いた生の無批判な長らえに固執することすら稀ではなくなった。こうして、平均的な人生を誰もが平凡に歩むことができるようになった現代では、日々の生に対する人々の緊張感は乏しくなり、死は日常生活から疎遠となるだけではなく、老いと抱き合わせた形で老人固有の問題へと変質していった。

「死は死んだ」と嘯(うそぶ)く現代人にとって、かくして死への準備はきわめて困難な作業となり、その意義を論じることすら一見不毛の感がある。この点は、ほとんどの人が生を終える病院においても同じである。と言うのは、病院における死は、患者にとっても医療者にとっても敗北であり認めがたいことゆえ、死に逝く者にも看取る医療者にも、死への準備を整えることは至難の業だからである。ところが、死が人々から疎外され、死への準備が死後と化した現代においても、死への準備を見事に整えて死に逝く人々が、わずかではあるがたしかに存在する。その実例は、在宅ホスピスケアを選択する末期がん患者に見ることができる。

 がん死する患者の平均年齢はその他の原因による死と比較して若く、しかも現代医療の水準で「不治」と宣告されてから死までの期間は平均数ヶ月と短い。しかも在宅でのホスピスケアを希望するほとんどの患者は、自分の命が限られていることを自覚している。このような状況下にあっては、かつての特攻隊員がそうであったように、「今の時をいかに生きるか」を患者や家族は真剣に問わざるをえない。従って、患者や家族が選択する在宅ホスピスケアは、死への準備の一つの形であると同時に、その実践の中に、当事者の死への準備の具体的な姿を我々は見ることができる。」

 

(河合隼雄・柳田邦男『現代日本文化論6-死の変容』岩波書店、252~253頁より)

 

 


父の亡くなった翌年・東日本大震災のあった年‐2011年8月

2024年09月17日 13時09分12秒 | 祈り

「2011年8月1日(月)

夜半、静岡県沖で地震。いつでかいのがくるかと不安でたまらない。」

 

「2011年8月2日(火)~5日(金)

ムシムシする日が続く。夏らしくカッと晴れない。

真面目にやろうとすればするほど馬鹿をみて、自分の負荷も増えてイライラがつのるばかりでつまんない人生を送っているんだなと思う。なんかそんなに一生懸命やんなくてもいいんだな。バカみたい。」

 

「2011年8月6日(土)

県のPSW協会+Y市・F市自殺防止ネットワークの専門職研修会に参加。

14時~F市産業センター

思いばかりが強すぎるのかもしれない。私には重すぎる。いってよかったのかどうかよくわからない。夜になるとあまり眠れず。」

 

「2011年8月7日(日)

川和グループ、暑いしだるくって行きまでが遠くて辛かった。N島さんはきつい。おじさんのどこかエリートっぽい優越感みたいなものにも腹が立つ。」

 

「2011年8月8日(月)

太陽光チームの中期ご苦労様会に参加した。」

 

「2011年8月9日(火)

6日に行きそこねた○○医院へ行ってから出社、ものすごい暑さで辛かった。」

 

「2011年8月10日(水)

5時に退社してボランティアバスの説明会に参加、at県民センター。

仕事帰りはへばっているなあ、やっぱり。東京からは遠かった。」

 

「2011年8月11日(木)

久しぶりに有給休暇取得。ボランティア保険に加入。銀行の貸金庫利用。

なんか一生懸命働いても報われないんだなと思うこの頃。真面目にやるだけばかをみているような・・・。考え始めれば転がるように不安のかたまり。これからどこに向かっていけばいいのか、いっこうにわからない。」

 

「2011年8月13日(土)

美容院でカット&カラー、整骨院で全身マッサージ45分」

 

「2011年8月16日(火)

ボランティアバス¥4,000 迷った末振り込み。」

 

「2011年8月18日(木)

有給休暇取得、銀行で豪ドル建ての個人年金保険を申し込む。」

 

「2011年8月19日(金)

有給休暇取得、スカイスパで溶岩浴、夜21時ターミナル駅発宮城28便に乗車」

 

「2011年8月20日(土)

車中泊、石巻市でボラ活動、涼しくて助かった。午後陽がでて暑くなってきたが幸い作業中はまだ雲が隠してくれていた。はじめて目にする現実。3月11日は終わっていない。そこで時が止まったままだった。心が痛い。夜22時30分頃ターミナル駅着。」

 

「2011年8月21日(日)

涼しい。ぐっすりと7時間は眠った。整骨院で30分のマッサージ。足の痛みがまだ残っている。

自分のおかれている現実が実に内向きでばかげているのがもどかしい。また被災地のために何かしたいし、もっと荷物を減らしてふらっと旅に出たいなあ。」

 

「2011年8月22日(月)~26日(金)

足元から疲れがきてつらかったが、なんとか乗り切った。意味のわからないまま真面目にやろうとすると忙しくばかをみているだけのような。自分の内側にある思いと現実の愚かさとのギャップについていけず・・・。」

 

「2011年8月27日(土)

○○医院、蒸し暑い一日だった。」

 

「2011年8月28日(日)

昼間は暑かった。お月見の季節はまた辛い季節でもある。自分がこわれないよう時には忘れたい。それにしても感性で一生懸命わかってくれようとする援助職に今のところ会っていない。残念な現実だ。」

 

「2011年8月29日(月)

イビキだったり洗濯機の音だったり振動だったり、色々で平日はあまり眠れない。これが続くとこわれるなあと思いながら変えられそうにない。いつ大きな揺れがくるのかと不安で仕方ない。土日にちょっと出かけてしまうとスキャンと片付けが全く進まない。読みたい本がいくつかある。行きたい場所もある。生きてる間にやり遂げられるかなあ。NKにいる場合ではないのが仕方ない。仕事がなくてもみじめだ。」

 

震災ボランティア

 

この頃右足股関節の軟骨がどの程度摩耗して何センチ右足が短くなっていたのかわかりませんが、すでにかなり両方の足先とも反っていたと思われるし足腰、いや体全体がそうとう辛かったはず。振り返るとマッサージに頼らざるを得なかったし、右足が短いと言ってくれた施術師がいたけれど根本的に幼い日のギブスから治癒していないとわかっていなかったので病院に行くなど考えもしませんでした。そもそも平日に休みをとって病院に行くなど相当な自覚症状がなければいかないし紹介状がなければ相手にされないか。整形外科にいくことも考えたことありませんでした。

 


【自民党総裁選】日曜討論の絶望

2024年09月17日 01時22分51秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年9月16日安藤裕チャンネル、

(269) 【自民党総裁選】日曜討論の絶望 - YouTube