2024年9月28日安藤裕さんチャンネル、
(331) 【9月28日14時30分ライブ】自民党総裁選挙・石破新政権はどうなる【毎週土曜日21時ライブ・今週は14時30分~】 - YouTube
「2011年10月1日(土)
アンセミナー 第20章16:00~17:30
そのあとお茶」
「2011年10月2日(日)
川和グループ あやちゃんに不快感をおぼえる。」
「2011年10月5日(水)
いのちの電話講座①心のケアと傾聴 18:50~20:50
平日の夜そこに行くこと自体大変だし、自殺という言葉を繰り返しきくのもきつい。やっぱり働きながらは無理だなあ。」
「2011年10月7日(金)
22時ぐらいまでがんばってしまった。」
「2011年10月8日(土)
〇〇医院で血液検査
日吉キャンパス公開講座②
A井さんとスタバでお茶
美容院でカット&カラー」
「2011年10月9日(日)
ふんばろう東日本のサイトで登米市の方に米10Kgを送る
注文を楽天でしてみた。」
「2011年10月10日(月)体育の日
スキャンが少し進んだが疲れた。」
「2011年10月11日(火)
いのちの電話講座②いのちの電話
きつかった。休み明けに早退。早くもへば蟻。自殺の話を疲れた状態できくのもきついし、気持ちはあっても時間的にとてもやれそうにない。自分の内側にある何か熱いものと現実とのギャップについていくことができない。現実はとてもへんちくりんで不快だ。」
「2011年10月12日(水)
一生懸命働いても仕方ないのかなあと思いながらやるなら生真面目にやってしまう。損しているなあ・・・。最後に笑うのはどっちだろう。」
「2011年10月14日(金)
朝方冷えて目がさめてしまった時、口の中に茶色いものがたまっていた。何だろう気になる。ほんとは肺とかどっか悪かったりするのかな。喉がかゆくて仕方ない。」
「2011年10月15日(土)
日吉キャンパス公開講座③
A井さんとドトールでお茶、気づいたら8時を回っていた。」
「2011年10月16日(日)
整骨院40分コース ¥5,250」
「2011年10月19日(水)
いのちの電話講座③自死遺族のケア
前半の終わり頃、苦しくなって動悸がしそうになってきた。でもがんばった。初めて当事者と一対一で話をした。私は自死遺族なんだ。その立場での心の立場は永遠に終わることがないんだと思う。」
「2011年10月20日(木)
木曜日にんると起き上がれなかった。きつい。ほんとは部屋を離れるのがすごく不安でこわい。デジタル化にはまだまだ時間がかかる。仕事をしている場合ではないのだが結局有給休暇もとらずにせっせと働いている。」
「2011年10月21日(金)
なんとなくいつも不安で落ち着かない。自分の居場所をどこに求めればいいのかわからない。今はNKで辛抱するしかない。でも私は上手く立ち回れるわけではなくネガティブな感情が顔に出る。素直に出る。こういう人間は生きづらいよな。」
「2011年10月22日(土)
○○医院、スポーツクラブでティラピス」
「2011年10月25日(火)
いのちの電話講座④なぜ自殺対策なのか
河西先生に声をかけた。」
「2011年10月26日(木)
きつかった。そこに行くことも自殺という言葉をきき続けることも。それでも終わると何か自分のやるべきことがあるのではないかという思いにとらわれる。きついけれど自分がこうして立ち続けるためには何かしないではいられない私がいる。重い荷物を背負い続けるためにはやらなければならない。講座のあと、なかなか眠るのは難しい。隣のオッサンのいびきがまたすごかったし。音楽を大きくするとか朝方洗濯機を回されるし全く・・・。
それになぜか最近5時前後に必ず一回目がさめてしまう。なんだか不安だしこわいなあ。神経症気味かな。トラブルにならないように気をつけよう。いない間に部屋が燃えてしまうのではないかと不安になる。あー早くスキャンしないと・・・。終わらない。平日は落ち着かなくて全くやれない・・・。」
「2011年10月28日(金)」
そんなにマジメにやらんでもと思いながらついがんばってしまう私がいる。道はみえるのか・・・。」
「2011年10月29日(土)
アンセミナー23章
ちょっと疲れがでてしまった。でも幸せな時間だったと思う。」
「2011年10月30日(日)
寒い。雨。アンの予習とJAPANTIMESとアンデルセンを久しぶりに読んだ。
心の底にずっと不安があって落ち着かない。地震と原発、自分がもっているものを全てあきらめなければならない時がくるのではないかと不安でたまらない。少しずつだが減らすようにしている。「いのちの電話」に行くこともイライラを加速させている。時間的にも体力的にもきついし内容はもちろんおもい。やっぱり私には無理なんdと思いながら最後までがんばろう。こうして普通の生き方が続いていることが不思議でさえある。来年のカレンダーはまだ買えない。無事に迎えられるといいな。」
「公爵夫人ベッチィを玄関まで見送り、もう一度手袋をはめた手の、少し上の脈の見えるあたりに接吻して、夫人がおこったものか、笑ったものか見当のつかないような、いかがわしい冗談をいってから、オブロンスキーは妹の部屋へはいって行った。見ると、アンナは涙にくれていた。
オブロンスキーは今にも踊りあがらんばかりの上きげんであったにもかかわらず、すぐさま、妹の気分にふさわしい、なにか詩的な興奮した、同情あふれる態度に早変りした。彼は容体をたずねてから、朝のうちはどんなふうに過したかときいた。
「とっても、とっても悪いんですの。昼も、朝も、今までずっと、これからもずっと、いつまでも」アンナは答えた。
「どうやら、気が滅入りすぎてるようだね。もっと気をたしかにもって、生活をまともに見なくちゃね。そりゃ、つらいだろうが、しかし・・・」
「女の人って相手の欠点のためにさえ、男を愛するものだって、いつか聞いたことがありますけど」不意に、アンナはしゃべりだした。「でも、あたし、あの人のことはその善行のためにかえって憎みますの。もうあの人といっしょに暮してはいけませんわ。ねえ、わかってくださいます?あたし、あの人を見ただけで、生理的にやりきれなくなって、前後の見境を忘れてしまいますの。もうどうしてもあの人といっしょに暮すことはできませんわ。できませんわ。ねえ、いったい、どうしたらいいんでしょう?あたしは不幸な女で、もうこれ以上不幸にはなれないと思っていましたけれど、今のように恐ろしい境遇を、想像することもできませんでしたわ。兄さんには信じられないでしょうけど、あの人が親切な、りっぱな人で、あたしなんかあの人の爪の垢ほどの値うちもないってことはちゃんと知っていながら、それでも、あたしはあの人を憎んでいるんですの。あの人があまり寛大だから、憎らしいんですの。ですから、もうあたしに残されているものといったら、ただ・・・」
アンナは『死』といいたかったが、オブロンスキーは相手に最後までいわせなかった。
「おまえは病気だから、気分がいらいらしているんだよ」彼はいった。「ねえ、おまえは少し物事を誇張しすぎているんだよ。なにもそんなに恐ろしいことはないじゃないか」
そういって、オブロンスキーはにっこり笑った。だれでもオブロンスキーの立場にあって、そんな絶望的な様子を見たら、とても微笑などもらすことはできなかったにちがいない。ところが、彼の微笑には、あふれるばかりの善良さと、ほとんど女性的とさえいえる優しさがこもっていたので、それは相手を侮辱しないどころか、かえってその心を和らげ、落ち着かせるのだった。彼のおだやかんあ、落ち着かせるような話しぶりと微笑は、扁桃油のように、相手の心を和らげ、しずめる働きをした。アンナもじきにそうした感じを味わった。
「いいえ、スチーヴァ」アンナはいった。「あたしはもう身を滅ぼしてしまったんだわ、ええ、滅ぼしてしまったんだわ! いいえ、それより、もっといけないのよ。あたしはまだ滅びちゃいないわ。なにもかも終ってしまったとはいえませんわ。いいえ、その反対に、まだ終ってはいないってことを感じますわ。あたしは張りつめたいとみたいに、いつかは切れなくちゃならないんですわ。でも、まだ切れちゃいないんですわ・・・切れるときは、さぞ恐ろしいでしょうね」
「なあに、たいしたことはないさ、そのいとを少しずつゆるめればいいんだから。救いのない境遇なんてものはありゃしないよ」
「あたしもさんざん考えに考えたんですけど、やっぱり救いはただ一つ・・・」
彼は再びこの唯一の救いが、妹の考えによれば、死であることを、そのおびえたようなっ目つきで、見てとったので、今度も相手に最後までいわせなかった。
「なにも心配ないさ」彼はいった。「いいかね、おまえはぼくのようには、自分の境遇をはっきりながめることはできないんだからね、ざっくばらんにぼくの意見をいうとだね」彼はまた例の扁桃油のような微笑を浮べた。「まあ、一番のはじめからいうとだね、おまえは20も年上の男と結婚した。愛情もなく、というよりか愛 というものを知らないで結婚したわけだ。まあ、かりにこれがまちがいだった、としておこう」
「とんでもないまちがいだったんですわ」アンナはいった。」
(トルストイ『アンナ・カレーニナ(中)』昭和47年2月20日発行、昭和55年5月25日第16刷、新潮文庫、353-357頁より)