「孤独死に至るプロセス
60名の孤独死を分析すると、その死に至るプロセスは大まかに六分類できる。そのいずれもが仮設住宅での孤独な生と密接に関係していることは言うまでもない。
1、もともと健康であったものが予期しない急性疾患で死亡したもの(突然死)
2、震災後、体の不調を覚えていたが、さまざまな理由で医療機関を受診せず、急性の合併症で死亡したもの(未受診死)
3、もともと慢性疾患で医療機関を受診していたが、何らかの理由で治療を中断し、急性合併症により死亡したもの(治療中断死)
4、もともと飲酒はしていたが健全な社会生活を送っていたものが、震災体験や家庭を失い、それをきっかけにアルコール依存症となり、死亡したもの(新規アルコール依存死)
5、アルコール依存症が震災後悪化して死亡したもの(アルコール依存症悪化死)
6、不明(記載不十分)
孤独死の直接原因の多くは、もちろん病死であるが、自殺が急速な死への接近だとすれば、孤独死のプロセスはいわば緩慢な自殺と言ってもよいかもしれない。具体的には次のような経過をたどるのだろう。
喪失体験や繰り返す社会的失敗→社会からの戦線離脱→自宅への閉じこもり→対人関係の断絶→過度のアルコール、不十分な栄養、慢性疾患の放置→ビタミン不足、虚弱化、慢性疾患の悪化→衰弱死、急病死。
このプロセスのどこかに歯止めをかけることができれば孤独死の多くは救える。そのためにこそ行政も隣人もボランティアも手を差しのべるのであろう。しかし、孤独死問題の解決を死の予防という技術操作のレベルでのみ論じるのは逆に孤独死の本質を見失う危険性をはらんでいる。繰り返しになるが、孤独死の原因を一言で(本質的ない意味で)述べれば、孤独な生である。孤独は都市を定義する一つの要素である。社会的にアクティブで、一人で生き抜く能力さえ備えていれば、都市は可読な人を逆にもっとも都会的な自由人に変えてしまう魔力をもっているのだ。」
「男の孤独死
しかし、孤独死が男性に二倍以上多いこと、年齢が余りに若いことは筆者の胸を打つ。なぜ本来頑健なはずの壮年男性が孤独死するのだろうか? その原因として以下のようなことが推測される。
第一に、実はほとんどの男性は会社人・組織人ではあっても社会人ではないのだ。平日の昼間の時間はほとんど会社に勤め、夜は付き合い、日曜日は接待ゴルフやせいぜい家庭サービスで遊園地といった具合に、極端に公的または私的な領域でしか生きていないのではなかろうか。生活レベルでの地域コミュニティーへの参加は皆無に近く、家族が近隣との関係調整や生活機能のほとんどを代行しているのだ。
つまり、男の人生のほとんどすべては、家族や地域とは無関係の会社組織に組み込まれ、たとえ単身者であろうとも、集団の秩序に所属しているうちは心身とも安全が保障されるのであろう。
したがって単身の男性は職がなくなれば必然的に社会との接点を失う。しかも仮設という新興コミュニティーに参加する術をしらない。そもそもコミュニティーの中での処世の術について考えたことがないあ。話し相手がなく、することもなく、金もないのでもっとも安あがりの娯楽、アルコールにのめり込み、健康障害を引き起すのだろう。家庭や住居の喪失と未來への絶望感はそれに拍車をかけるだろう。
また、震災前からアルコール依存症であった人はもともと既存のコミュニティー組織とはなじめずに暮らしてきたものが多く、疑似コミュニティーによりかろうじて生存してきた。疑似コミュニティーとは、断酒会や医療機関や行政(精神保健相談員)や場合によっては飲み友だちのことである。しかし被災後の仮設住宅は都市の辺縁にあり、疑似コミュニティーもまた実質的に壊れた。彼らの多くは温和で内気で恥ずかしがりやである。見知らぬ土地の断酒会に入り、禁酒仲間を作り、適切なアドバイスを求めるために医療者やカウンセラーを捜すということは彼らにとってはエベレストに登るくらい勇気の必要な行為なのである。
神戸協同病院(長田区)の中田陽造医師の調査によれば、かつての依存症患者が再び酒に手を出す割合は、震災後、通常時の三倍に増えたという。
さらに、孤独死した人の多くが高血圧、糖尿病、肝臓病といった慢性疾患を有していた。慢性疾患の特徴は、病気そのものには自覚症状は少なく、病気の合併症が致命的な経過につながるということである。従って、医療機関を受診するためには何らかの動機づけを必要とする。それはたとえば、家族や友人の勧めであるだろうし、病気が悪くなれば仕事ができなくなるといった生活や職業への執着であるだろう。
ところが震災によって家族や友人や職場を失ってしまえば、治療のための動機を失ってしまい、しばらく未治療の状態が続き、結局、心筋梗塞や脳卒中といった急性合併症が命取りになるのだろう。かかりうけの医療機関が遠く離れてしまったことも関係している。」
(河合隼雄・柳田邦男『現代日本文化論6-死の変容』岩波書店、82~85頁より)