たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『現代日本文化論6-死の変容』より-阪神大震災六千五百人死の傷跡-三次災害・仮設の孤独死

2024年09月16日 16時33分44秒 | 本あれこれ

「孤独死に至るプロセス

 60名の孤独死を分析すると、その死に至るプロセスは大まかに六分類できる。そのいずれもが仮設住宅での孤独な生と密接に関係していることは言うまでもない。

1、もともと健康であったものが予期しない急性疾患で死亡したもの(突然死)

2、震災後、体の不調を覚えていたが、さまざまな理由で医療機関を受診せず、急性の合併症で死亡したもの(未受診死)

3、もともと慢性疾患で医療機関を受診していたが、何らかの理由で治療を中断し、急性合併症により死亡したもの(治療中断死)

4、もともと飲酒はしていたが健全な社会生活を送っていたものが、震災体験や家庭を失い、それをきっかけにアルコール依存症となり、死亡したもの(新規アルコール依存死)

5、アルコール依存症が震災後悪化して死亡したもの(アルコール依存症悪化死)

6、不明(記載不十分)

 孤独死の直接原因の多くは、もちろん病死であるが、自殺が急速な死への接近だとすれば、孤独死のプロセスはいわば緩慢な自殺と言ってもよいかもしれない。具体的には次のような経過をたどるのだろう。

 喪失体験や繰り返す社会的失敗→社会からの戦線離脱→自宅への閉じこもり→対人関係の断絶→過度のアルコール、不十分な栄養、慢性疾患の放置→ビタミン不足、虚弱化、慢性疾患の悪化→衰弱死、急病死。

 このプロセスのどこかに歯止めをかけることができれば孤独死の多くは救える。そのためにこそ行政も隣人もボランティアも手を差しのべるのであろう。しかし、孤独死問題の解決を死の予防という技術操作のレベルでのみ論じるのは逆に孤独死の本質を見失う危険性をはらんでいる。繰り返しになるが、孤独死の原因を一言で(本質的ない意味で)述べれば、孤独な生である。孤独は都市を定義する一つの要素である。社会的にアクティブで、一人で生き抜く能力さえ備えていれば、都市は可読な人を逆にもっとも都会的な自由人に変えてしまう魔力をもっているのだ。」

 

「男の孤独死

 しかし、孤独死が男性に二倍以上多いこと、年齢が余りに若いことは筆者の胸を打つ。なぜ本来頑健なはずの壮年男性が孤独死するのだろうか? その原因として以下のようなことが推測される。

 第一に、実はほとんどの男性は会社人・組織人ではあっても社会人ではないのだ。平日の昼間の時間はほとんど会社に勤め、夜は付き合い、日曜日は接待ゴルフやせいぜい家庭サービスで遊園地といった具合に、極端に公的または私的な領域でしか生きていないのではなかろうか。生活レベルでの地域コミュニティーへの参加は皆無に近く、家族が近隣との関係調整や生活機能のほとんどを代行しているのだ。

 つまり、男の人生のほとんどすべては、家族や地域とは無関係の会社組織に組み込まれ、たとえ単身者であろうとも、集団の秩序に所属しているうちは心身とも安全が保障されるのであろう。

 したがって単身の男性は職がなくなれば必然的に社会との接点を失う。しかも仮設という新興コミュニティーに参加する術をしらない。そもそもコミュニティーの中での処世の術について考えたことがないあ。話し相手がなく、することもなく、金もないのでもっとも安あがりの娯楽、アルコールにのめり込み、健康障害を引き起すのだろう。家庭や住居の喪失と未來への絶望感はそれに拍車をかけるだろう。

 また、震災前からアルコール依存症であった人はもともと既存のコミュニティー組織とはなじめずに暮らしてきたものが多く、疑似コミュニティーによりかろうじて生存してきた。疑似コミュニティーとは、断酒会や医療機関や行政(精神保健相談員)や場合によっては飲み友だちのことである。しかし被災後の仮設住宅は都市の辺縁にあり、疑似コミュニティーもまた実質的に壊れた。彼らの多くは温和で内気で恥ずかしがりやである。見知らぬ土地の断酒会に入り、禁酒仲間を作り、適切なアドバイスを求めるために医療者やカウンセラーを捜すということは彼らにとってはエベレストに登るくらい勇気の必要な行為なのである。

 神戸協同病院(長田区)の中田陽造医師の調査によれば、かつての依存症患者が再び酒に手を出す割合は、震災後、通常時の三倍に増えたという。

 さらに、孤独死した人の多くが高血圧、糖尿病、肝臓病といった慢性疾患を有していた。慢性疾患の特徴は、病気そのものには自覚症状は少なく、病気の合併症が致命的な経過につながるということである。従って、医療機関を受診するためには何らかの動機づけを必要とする。それはたとえば、家族や友人の勧めであるだろうし、病気が悪くなれば仕事ができなくなるといった生活や職業への執着であるだろう。

 ところが震災によって家族や友人や職場を失ってしまえば、治療のための動機を失ってしまい、しばらく未治療の状態が続き、結局、心筋梗塞や脳卒中といった急性合併症が命取りになるのだろう。かかりうけの医療機関が遠く離れてしまったことも関係している。」

(河合隼雄・柳田邦男『現代日本文化論6-死の変容』岩波書店、82~85頁より)

 

 

 

 

 

 


コロナ騒動の大ウソ、

2024年09月16日 13時19分15秒 | 気になるニュースあれこれ

コロナ騒動の真っ只中だった2021年1月、東京新聞が最初に報じ、次にNHKが報じるとさもそれが本当であるかのようにきこえてしまった都営大江戸線の水道の蛇口を介してコロナが広がったとされた件。コロナは空気感染なのでそんなことあるわけないやろ!と宮沢先生はすぐNHKに電話されたそうです。その結果、蛇口を介しての感染は、保健所の職員が可能性としていくつか考えられる中の一つに過ぎなかった、しかも可能性としていちばん低いものを犬HKは一番大きく報じたということがわかったという話。

冷静に振り返ればコロナ恐怖煽りはこんなことばかりでした。スーパーのレジカゴを介して感染するとか、エレベーターのボタンを押すことで感染するという話もありました。国の大臣たち、都道府県知事たちも間違ったこと吹聴し続けました。それらに対してウィルス学者たちが一切おかしいと声をあげたなかったことも大問題。研究費の補助金と職を失うのをおそれて誰も声を上げることがなかったのが日本という社会。

コロナ騒動によってここまでおかしくなったのか、コロナ騒動をとおしてここまでおかしなことになっていることが可視化されたということなのか、どちらなのだろうと個人的には毎日考えています。

 

 

洗面所の蛇口介し感染か 都営大江戸線の新型コロナ集団感染 | 新型コロナウイルス | NHKニュース

都営大江戸線は先月中旬以降、江東区の清澄乗務区に所属する運転士など39人が新型コロナウイルスに感染し、今月11日までの2週間余り通常の7割程度に減らして運行を行いました。

都交通局によりますと、感染経路を調査した保健所から乗務区の庁舎にある洗面所の蛇口を介して感染が広がった可能性が高いと指摘されたということです。

この蛇口は手で回すタイプで、トイレの後の手洗いのほか歯磨きやうがいなどで運転士たちが使っていて、保健所はだ液が蛇口についていた可能性を指摘しているということです。

都交通局は、手をかざせば水が出るセンサー式の蛇口に変えるなどの対策を検討するということで「手を洗うために使う蛇口を介した可能性があると聞いて、対策の難しさを痛感した。感染の拡大防止に努めて運行を確保していきたい」としています。

加藤官房長官「共用で使うものは定期的清掃を」

加藤官房長官は閣議のあとの記者会見で「集団感染の原因に関して、個別の中身まで詳細に承知していないが、一般論として接触感染を予防するために、ドアノブ、スイッチ、手すりなど、手がよく触れる共用で使うものについては定期的に清掃するよう、これまでも周知を図ってきている」と述べました。

そのうえで「共用で使うものへの対応も含め、さらに徹底していただき、感染リスクが高まる5つの場面、さらには3密の回避、手洗い、マスクの着用、換気の徹底など基本的な対策の徹底を改めてお願いしていきたい」と述べました。」
 
2021年1月14日 19時54分東京新聞、
 
 
「東京都営地下鉄大江戸線が昨年末から今月11日まで間引き運行した原因となった運転士間の新型コロナウイルスの集団感染が、共同利用する庁舎の洗面所の蛇口経由で広がった可能性が高いことが14日、都交通局への取材で分かった。手をかざすと自動的に水が流れるセンサー式ではなく、手で回すタイプの蛇口だった。今後はセンサー式への置き換えを検討する。

◆歯磨きの唾液がついた手で蛇口に触れ…

 交通局によると、大江戸線では昨年12月15日以降、江東区の同じ庁舎を使う運転士ら計39人の感染が判明。大江戸線は12月27日から今月11日まで、運行本数を通常の7割程度に減らしていた。庁舎には始発電車の乗務に備えて運転士が泊まり込んでいる。保健所からは「歯磨きの際の唾液が付着した手で蛇口を触れたことにより、感染が広まった可能性が高い」との指摘を受けたという。

◆対策は「蛇口は紙で覆って触れる」「使用後の手指消毒を徹底」

 交通局は以後の対策として、蛇口を紙で覆って触れることや、使用後の手指消毒を徹底するよう職員に指示。日常的な手指消毒やマスク着用、アクリル板の設置などは以前から実施していた。
 交通局の担当者は「今後も感染防止に努めながら、運行を確保していきたい」と話した。(共同)」
 

専門分野の細分化による弊害

2024年09月16日 01時43分19秒 | 日記

9月15日(土)掛谷先生と宮沢先生の講演会、質疑応答の時間に焦点があてられた研究者の専門分野細分化されすぎ問題、自分の専門分野以外のことは知らない、口出ししないとなっているのはよくない、ジェネラリストを育成していくことが必要という掛谷先生の話。宮沢先生の専門はウィルス学の中でもレトロウィルス、ウィルス学の中でも細かく専門分野がわかれているという話と若い研究者が育っていない、学会いってもおじいさんばっかりという話など。

司会の鳥集さんからでた医療も専門分野が細分化され過ぎている問題、整形外科の中でも股関節だけ、膝だけと細分化され過ぎているという現状。まさに今わたしがさらされている弊害、わたしの体はひとつで股関節~膝~足先は神経とうケーブルでつながっていて切り離すことはできないのに関係ないと言える医者ってなんなん、コロナ茶番で命に別状ない股関節の手術など先送りでよいもたいがいですが体切り分けて考えてすぐ隣のことは知らんって、医療ってなんなのよ。こちとら自分でどうすることもできないし、なす術なし、絶望で力が抜けるばかりです。

コロナ茶番劇にしろ、すでに800名以上の方が死亡認定されているワクチンにしろ結局ゆきつくところは全て金、金と利権を手に入れるためなら人はここまでなりふり構わず醜くなれるものなのかとあらためて恐ろしくなります。コロナ騒動を通してみえたきた現実を理解するには、おぞましすぎて耐えられそうにありませんが731部隊のことを知るのは必須なのだと掛谷先生の話からわかりました。まだまだ勉強ではありますが先はありません。