「平成18年11月24日(金) 晴、10日目
10日目を終えた。いろんな不安と葛藤を持ちながらのぞんだ実習である。こんな自分を受けいれてもらえていること、コメントをいただけていることに感謝している。私はここにいていいのだ。そのことがとても嬉しい。ずっと心の中で母の呪縛から逃れられず、ずっと辛い、苦しいばかりで自分で自分を締め付けてきた。だけど、そんなことばかりでもないよ、みんな笑ってるじゃん、所長の言葉だ。私も利用者さん達と笑顔で時間を共有できている。これってすごいことだし、これで今の私には十分だ。一見、どこか病気なんだろうと思う方もいるが、やはり病気なんだなあ、症状があらわれているんだろうなあ、と感じさせられることがしばしばある。
病気であることを受けいれつつ、それぞれ生きているんだなあ。普段の会社生活の中でも、やはりみんなそれぞれ一生懸命生きているにはちがいないのだろうけれど、そんなことをダイレクトに感じられる場面に出会うことはないだけに、私にとっては新鮮だ。
ディスカッションの時のスタッフさんの対応の仕方はすごいなあと勉強になった。利用者さんそれぞれが自分の言いたいことを言い、ふざけ合ったりもしている。
Oさん(男性)は食への強いこだわりを見せていた。生保を受けているようで、食事にお金をかけられないという現実に直面しているらしい。
軽食を利用者さん同士で作ろう、という話題からOさんの現状の訴えへと話がそれていってしまう。Sさんは、Oさんにちょっかいを出している。
S.Tさんは軽食の話題へと軌道修正しようとする。
スタッフさんは、それぞれの言葉を受けとめて返しつつ、ポイントをまとめていく。
今の私にはとてもできないことだ。
実習はあと2日間。
母のことはちょっと横においていて、利用者さん達と同じ場所、時間を共有したいと思う。
仕事とのやりくりをこなしたら、無事に12日間終えられたら、自分に拍手を送りたい。
やり通すこと、それもまた大切な課題だ。」
「平成18年11月25日(土)、晴、11日目
本日の目標;11日目を迎える。笑顔で、そこにいることを楽しみたい。」
何度目かの失業者となった3日目、8年前母が居なくなった時、助言してくれた人の言葉にしたがって土地と家の名義に自分の名前も無理矢理いれてもらったの、もうよくって弟から外す手続きを進めるって言われたの承諾したのですが不動産の名義変更は容易ではないみたいで売る時外れされることに。名義から外れるということは居場所がなくなることを意味すると同時に、売る時解体費用が持ち出しになるっぽいのを負う責任もなくなります。
失業者になると電車に乗ることもない田舎生活、泣き言をきいてもらいたくて、13年間働いた大会社から使い捨て同然にされたあと泣くことしかできなくなった私の話を繰り返し聴いてくれた相談員の方々、年度が変わってもいらっしゃるかなあと思いながら、ほんとは住んでいないのだから電話してはいけないとわかりつつ電話したらいらっしゃいました。そんなきつい状況でよくがんばったねとねぎらい、そっと背中を押してくれました。変わらずいらっしゃるという、その事実だけで安心感。電話できるところがあるという安心感。
家を離れて気がつけば30年間一人で暮らした歳月、家から逃げながらどこかに、でも困ったら、どうしても行き詰ったらデカい家があるのだから帰ればいいという甘えが心のどこかにありました。母がいなくなったとき天涯孤独になっていたのだから、そんな甘えはもう許されないのだとわかった今回の帰省。車に乗らないと生きていけないところで自分が暮らしていくことはできないのだと確信した帰省。また駅に近いところで部屋を借りるところからやり直し。次に旅立つときは戻ることはないのだという覚悟を決めて旅立つ。親がいなくなったら兄弟は他人。自分がいなくなっても困る人はどこにもないので自分のために生きればいい。安い給料から家賃を払っていく生活はきびしいけれどここは自分の居場所ではないのでまた旅立っていかなければなりません。一人用の炊飯器をまた買うところからはじめていこうかな。スーパーにおいてある段ボール自転車で持ち帰ってきて少しずつ詰めていこうかな。あれもこれもまだ整理できていない、先はみえてきたけどまだまだ荷物はあるなあという感じです。あきらめてはいけない、少しずつ、少しずつ。
3月に誕生日だったので年金お知らせ定期便というのが届いているの、まだ未開封。開封して、毎月保険料払ってきている民間の個人年金基金などとあわせていくつになったらいくら入ってくるのか計算しないとなあと思うのですが、外貨とかコロナで全てなくなってしまったのかもという不安。今勘定しても意味ないかもなあ。生きている限り細々と自分で自分を食わせていくしかないですかね、たぶん。マンションを買うことが正解なのかどうかはわからないです、私には。
コロナがなければ東京宝塚劇場のチケット当選できたので明日あたり高速バスに乗り、スパに泊まって、観劇もかねてぶらっと訪ねてみようとしていた1年間働いたところの求人、4月半ば面接にいって5月1日からスタートすることは無理なのですがお手紙つけて書類出すだけ出してみるか。今日書式をダウンロードしたのをコンビニでプリントアウト。これが正解なのかわからないですが全く知らないところではないし、経験値でやれる。自分が一年間書いてきた記録はその後どうだったのか、知るのがちょっとこわいです。
10カ月間、お給料使ってしまいましたが宝塚大劇場に日帰りできるという心の支えがなかったら、体が病む前に心が病んで崩壊していたと思います。観劇は心の糧、日比谷に近いところをまた目指すか、住んだことないですが大劇場に近いところを目指すのはありなのかなあ。そこかよっていう話ですがそのために生きているわけでそこなのですよ。
明日は定期券の期限が切れる日。数日ぶりで電車に乗って、家から自転車で行けるところにあったキャッシュコーナーが消えていた都市銀行のATMに行かねばと思います。使わなくなったIC定期券の手数料払い戻しもあるし、ド〇ールにも行きたいよう。車がないと暮らしていけない郷里のきびしさにあらためて涙。
警察の方はさ、わたしを呼び留めるよりも法定速度守っていない運転手さんたちに注意してほしいなあ、危ないから信号つけてほしいって一年前に訴えたじゃないですかって、そんな声が届かないことはよくわかった、わたしは暮らしていくことができない、また旅立つことを目指します。
きびしい人生ですかね、いやそれぞれみんなきびしい人生を生きている・・・。
10日目を終えた。いろんな不安と葛藤を持ちながらのぞんだ実習である。こんな自分を受けいれてもらえていること、コメントをいただけていることに感謝している。私はここにいていいのだ。そのことがとても嬉しい。ずっと心の中で母の呪縛から逃れられず、ずっと辛い、苦しいばかりで自分で自分を締め付けてきた。だけど、そんなことばかりでもないよ、みんな笑ってるじゃん、所長の言葉だ。私も利用者さん達と笑顔で時間を共有できている。これってすごいことだし、これで今の私には十分だ。一見、どこか病気なんだろうと思う方もいるが、やはり病気なんだなあ、症状があらわれているんだろうなあ、と感じさせられることがしばしばある。
病気であることを受けいれつつ、それぞれ生きているんだなあ。普段の会社生活の中でも、やはりみんなそれぞれ一生懸命生きているにはちがいないのだろうけれど、そんなことをダイレクトに感じられる場面に出会うことはないだけに、私にとっては新鮮だ。
ディスカッションの時のスタッフさんの対応の仕方はすごいなあと勉強になった。利用者さんそれぞれが自分の言いたいことを言い、ふざけ合ったりもしている。
Oさん(男性)は食への強いこだわりを見せていた。生保を受けているようで、食事にお金をかけられないという現実に直面しているらしい。
軽食を利用者さん同士で作ろう、という話題からOさんの現状の訴えへと話がそれていってしまう。Sさんは、Oさんにちょっかいを出している。
S.Tさんは軽食の話題へと軌道修正しようとする。
スタッフさんは、それぞれの言葉を受けとめて返しつつ、ポイントをまとめていく。
今の私にはとてもできないことだ。
実習はあと2日間。
母のことはちょっと横においていて、利用者さん達と同じ場所、時間を共有したいと思う。
仕事とのやりくりをこなしたら、無事に12日間終えられたら、自分に拍手を送りたい。
やり通すこと、それもまた大切な課題だ。」
「平成18年11月25日(土)、晴、11日目
本日の目標;11日目を迎える。笑顔で、そこにいることを楽しみたい。」
何度目かの失業者となった3日目、8年前母が居なくなった時、助言してくれた人の言葉にしたがって土地と家の名義に自分の名前も無理矢理いれてもらったの、もうよくって弟から外す手続きを進めるって言われたの承諾したのですが不動産の名義変更は容易ではないみたいで売る時外れされることに。名義から外れるということは居場所がなくなることを意味すると同時に、売る時解体費用が持ち出しになるっぽいのを負う責任もなくなります。
失業者になると電車に乗ることもない田舎生活、泣き言をきいてもらいたくて、13年間働いた大会社から使い捨て同然にされたあと泣くことしかできなくなった私の話を繰り返し聴いてくれた相談員の方々、年度が変わってもいらっしゃるかなあと思いながら、ほんとは住んでいないのだから電話してはいけないとわかりつつ電話したらいらっしゃいました。そんなきつい状況でよくがんばったねとねぎらい、そっと背中を押してくれました。変わらずいらっしゃるという、その事実だけで安心感。電話できるところがあるという安心感。
家を離れて気がつけば30年間一人で暮らした歳月、家から逃げながらどこかに、でも困ったら、どうしても行き詰ったらデカい家があるのだから帰ればいいという甘えが心のどこかにありました。母がいなくなったとき天涯孤独になっていたのだから、そんな甘えはもう許されないのだとわかった今回の帰省。車に乗らないと生きていけないところで自分が暮らしていくことはできないのだと確信した帰省。また駅に近いところで部屋を借りるところからやり直し。次に旅立つときは戻ることはないのだという覚悟を決めて旅立つ。親がいなくなったら兄弟は他人。自分がいなくなっても困る人はどこにもないので自分のために生きればいい。安い給料から家賃を払っていく生活はきびしいけれどここは自分の居場所ではないのでまた旅立っていかなければなりません。一人用の炊飯器をまた買うところからはじめていこうかな。スーパーにおいてある段ボール自転車で持ち帰ってきて少しずつ詰めていこうかな。あれもこれもまだ整理できていない、先はみえてきたけどまだまだ荷物はあるなあという感じです。あきらめてはいけない、少しずつ、少しずつ。
3月に誕生日だったので年金お知らせ定期便というのが届いているの、まだ未開封。開封して、毎月保険料払ってきている民間の個人年金基金などとあわせていくつになったらいくら入ってくるのか計算しないとなあと思うのですが、外貨とかコロナで全てなくなってしまったのかもという不安。今勘定しても意味ないかもなあ。生きている限り細々と自分で自分を食わせていくしかないですかね、たぶん。マンションを買うことが正解なのかどうかはわからないです、私には。
コロナがなければ東京宝塚劇場のチケット当選できたので明日あたり高速バスに乗り、スパに泊まって、観劇もかねてぶらっと訪ねてみようとしていた1年間働いたところの求人、4月半ば面接にいって5月1日からスタートすることは無理なのですがお手紙つけて書類出すだけ出してみるか。今日書式をダウンロードしたのをコンビニでプリントアウト。これが正解なのかわからないですが全く知らないところではないし、経験値でやれる。自分が一年間書いてきた記録はその後どうだったのか、知るのがちょっとこわいです。
10カ月間、お給料使ってしまいましたが宝塚大劇場に日帰りできるという心の支えがなかったら、体が病む前に心が病んで崩壊していたと思います。観劇は心の糧、日比谷に近いところをまた目指すか、住んだことないですが大劇場に近いところを目指すのはありなのかなあ。そこかよっていう話ですがそのために生きているわけでそこなのですよ。
明日は定期券の期限が切れる日。数日ぶりで電車に乗って、家から自転車で行けるところにあったキャッシュコーナーが消えていた都市銀行のATMに行かねばと思います。使わなくなったIC定期券の手数料払い戻しもあるし、ド〇ールにも行きたいよう。車がないと暮らしていけない郷里のきびしさにあらためて涙。
警察の方はさ、わたしを呼び留めるよりも法定速度守っていない運転手さんたちに注意してほしいなあ、危ないから信号つけてほしいって一年前に訴えたじゃないですかって、そんな声が届かないことはよくわかった、わたしは暮らしていくことができない、また旅立つことを目指します。
きびしい人生ですかね、いやそれぞれみんなきびしい人生を生きている・・・。