アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

いまさら読む「赤毛のアン」

2013年04月24日 | 生活
ことの起こりは(ってほど大げさなものではないけど)、本の買いすぎで本棚がみちみちしてきたので、どこか削るところはないかと探していたってことです。

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もう、10年間…いや、おそらく20年間は読んでいないだろうと思われる、赤毛のアンシリーズ(新潮文庫)。ほかにも、ずっと読んでない本というのはいろいろあるもんだけど、ちょっと変な本、あんまり知られてない本だと、処分しちゃったが最後、もう読めなくなっちゃうでしょう。赤毛のアンならその点、捨てたって安全だから。

というわけで、これを捨てましょう。じゃなくて、まずは読んで捨てよう、と思ったんでまだ途上です(こういうことやってると本は減らないよ)。

読んでみて思ったのはね、コドモのとき、これを読んで、そりゃ楽しく読んだんだけれど、読み方はやっぱり今読むのと違うなってこと。赤毛のアンの本って、もうコテコテとすばらしい自然の描写が続くところが多いし、人のセリフのいちいちも冗長、くどい。そういうところ、割とサクッと読み飛ばしてたりしてたことも多いと思うんです。今は、そのこってり感もまたよしと思ったりね(年をとったということだ)。

ここの生活というのは、テレビもラジオもなくて、ケイタイどころか固定電話もない生活。お茶をしたり、自然の中を散歩したり、縫い物したりしてまったりと時間が経っていくんですよ。もちろん、生活自体に時間がかかるということなんですけどね…そう金持ちでなくても、お手伝いの人がいたりするし、学費出したりきれいな服を買ったりするのはそれなりにたいへんらしいけど、とにかく食べるものに困ったりはしないらしくて、安定した暮らし向きにみえます。

今回読んであらためてびっくりしたのは、アンが最初に「社会人」になるとき。このときって、高校を出て学校の先生になるわけだけど、年はまだ16歳。今だったら高校生。っつか、もろ、こじろうの年じゃないですか。それで、悪ガキたちを全科目面倒みるとか、なにそれ不可能!!

昔読んだときは、そのへん(年勘定)さらっと通り過ぎちゃった。

それで、二年間働いてから、四年制大学に行くということはつまり、今と同じ年齢で大学卒業ですね。ギルバートはここから三年、医科に通うんだけど。

今の日本の小学校の先生に、高校生(年齢の子)が来たらそりゃびっくりというか、即崩壊しそうな気もするけど、なんでこのときはこれで勤まってたのかと考えるとそれなりに面白いテーマです。日本でいっても、「二十四の瞳」とかだったら、大人というよりちょっと大きい子くらいのが先生務めてるわけです。そんなんでも、子どもはそれなりに、勉強を学び、人生を学び、先生を慕っていくわけですね…

ところで、このシリーズの原題ですが、「Anne of Green Gables(赤毛のアン)」「Anne of Avonlea(アンの青春)」「Anne of the Island(アンの愛情)」となってます。グリーンゲイブルスは「家」、アヴォンリーは「村」、島ということは「プリンスエドワード島」。だんだん、範囲が広がってくるタイトルだったんですね。知らなかった。

あとね、ギルバートと結婚の約束をするまでを引き伸ばす(物語的に展開させる?)ために出てくる理想的王子様キャラのロイがね。どうも、納得いかないんですよ~。結局はわりとうすっぺらな人物だったというオチになってますけど、それならどうしてそんなひっぱりまくるまで気づかないんだ、アホちゃう、ってわけで、どうしてもこのキャラとストーリーには納得いかないです。そんなにギルバートがよけりゃさっさと決めておけば話が早いのにね。あ、早くちゃダメなのか(^^;;

というわけで、昔といろいろ読み方の変わる読書。シリーズ全部読み終わってから捨てます。あ、えーと、捨てるのかな。

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コメント (26)
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