アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

頭を使って練習すること

2014年01月20日 | バイオリン
私のブログを読んだ人の中には、私のことを「理屈っぽい」と誤解している人もあるかもしれないけれど、実際はまったくそんなことはなくて…

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深く考えることをせずに、思いつきと勢いで行動するタイプです。ほんとに。

でなきゃ22歳で学生結婚とかしないよね!?

ってか、念入りにヨミ入れてたらなかなか結婚なんてできないし、子ども産むなんてさらにできない。昨日、これからの教育資金をざっくり計算してたら(注: 計算したのはよしぞう)、目をそむけたくなるような金額になってくらくらしたんだけど、もう、子どもがいなかったら超余裕でベーゼンのグランドとかも置けたなと。

「いなかったら、じゃなくて、ひとり少なかったら十分置けてるよ」とよしぞう。うむ、なるほどそうだ。すると、ベーゼンを取るか、はなひめを取るか、という選択になるわけで(?)そしたらまぁ…しょうがないか…顔を見ちゃったからねぇ。でも、産まないうちに決断すりゃなんてことなかったんじゃないか? たいていの人はうちより冷静だから世は少子化なんですかね。

話が大きくずれましたが、バイオリンやピアノの練習のことです。

私が楽器の練習をするときはたいがい、頭をからっぽにして「なんとなく」弾いてます。だって現状の生活の中で、楽器を触る時間というのは、向上心の発露ではなくて単なる息抜きですから。これはこれでいいんじゃないかと思っています。

なので、「頭を使って練習する」ことについて義務感のようなものは一切持ち合わせていないのですが、たまに火がついて、今回のバッハパル3のようにやってみることがあります。

木曜日のレッスンに行ったとき、パル3の3~4ページ目も弓の上げ下げ、指番号などを書き込んでもらって帰ってきたのですが、次なる手順は、実際にそのように指が(手が)動くようにするということです。

昨日の私は冴えていたので、時間は短かったけれど、どこからどこまでがどのポジションで弾くところなのか、どの音とどの音は違う弦だけど同じ位置になるとか、隣の弦の半音差になるとか、ふだんより指を広げなきゃいけないところはどこかとか。

自分で書き込みを増やしながらきっちり追究していくと、すごくスムーズに音程も収束していって、こりゃなんと効率のいいことかと思うわけです。

いつも、てきとーにその高さの音が出るところを手探りで、的な弾き方をしていたので、今自分が何ポジにいるのかってあんまりわかっていませんでした。そんなでたらめな弾き方をしていても、音程が迷子になることはあんまりなかったので(譜面が読めて音程もわかるから)、先生に「アナタ今なにも考えてないでしょ」とずばり指摘されることもあまりなかったんだけど。

こうやって「頭を使う」練習が練習なら、ふだんの「なんとなく弾き」は練習とはいえないってくらい、成果は違う。

このように音を並べる段階だけではなくて、曲想というか弾き方についても、頭を使って練習すればぜんぜん違うと思います。

前に、大辻ゴンさんの曲を「幻想怪奇おふ」で弾いたとき、ふと思い立って、楽屋裏のテーブルの上でせっせと楽譜に書き込み…似たフレーズが何回出てきて、似て違うところはどこで、ここが山でここが谷で、ここで小休止、など。3色ボールペンで勝手な記号を書いて色分けし、じゃあここはニワトリが猪突猛進して一気にここまで行って…と、「演奏設計図」を描いてみてからリハしてみると、あら不思議。だいぶ感じが変わりましたね。

頭を使って練習してみたとき(稀)の確かな手ごたえから考えると、いつも頭使ってたらスゴイ、と思う。けど、そんなことは到底できないし、したいわけでもないんだけれど。

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コメント (8)
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