アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

ピークが早く来ちゃうピアノ!?

2015年05月19日 | ピアノ
昨日の話(「コンクール弾き」ってどんな弾き方?)の続き。

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子どものうちにどんどんコンクールに出していく、という指導法は、まぁそりゃお金はかかるだろうけど、それはスポンサー(親)のご意向から言って問題なければないわけで。グランドピアノ買ってもらえたら…いいよねぇ(^^)

・目標があって熱心に練習できる。
・人前で演奏する経験が積める。

基本的にはイイコトだと思うんだけど。

このイイコトは、考えてみれば「発表会」とも似ていますよね。で、何が違うかっていえば、より真剣になること、そして何よりやはり「評価(と競争)があること」ですよね。

それがいい方向(実り多いピアノライフ)に向かえばいいけれど、
小さい頃にパパッと入賞何度もして、そのあとは評価されず…(「ピーク」が早く来ちゃうピアノ?)
ピアノがつまらなくなっちゃう、やめちゃう、というのではもったいないですね。

私は、小さい頃あまりにもちょびっとしかピアノをしなかったので(^^;;
今、あんまり指が動かないし、もっとやっとけばよかったなぁと思ったりするんですけど、
シッカリ練習したあげくに、大人になってからその果実をたっぷり楽しめなかったらそりゃもったいない。

元ネタ「私は大人になってピークがくるピアノを教えています。」では、「教室の生徒たちは譜面も満足に読めないのに、「コンクール弾き」という独特のテクで賞を総ナメ状態。」ところが「小学校高学年、中学生になると、それまでコンクールで賞を総ナメにしてきた子供たちが途端に箸にも棒にもひっかからなくなる。「コンクール弾き」という基礎をすっぽ抜かした表層のテクが通用しなくなるのだ。」と表現されている。

私はここでいう「独特のテク」が具体的にどんなことを指しているかよくわかっているわけではないんだけど、私が「聞き疲れ」した演奏の特徴などから想像するに、
・本人の理解を超えるややこしい曲を(次々)弾いていく。
・演奏上のニュアンスは先生が教え込んで、そのとおりに弾く。
という感じだろうか? まぁ、その結果、あれだけ達者に弾けるんならそれはそれで、悪くないような気もするんだけどね。コンクールでは賞が取れなくなったとしても、ピアノはコンクール以外にいくらでも楽しめるんだから、そのベースとして生かせばいい。

小さい頃、お膳立てがしっかりしていたため「評価」が高かったとしたら、そのあと「地すべり」していくのは当然。というか稀にはそのままトップを走り続ける子もいるんだけど、大半の子は元々トップの素質じゃないわけで、後から来た大勢の子どもの中で、あるべき位置に落ち着いていく。低学年から中学受験を見据えて親が誘導してきた場合に、四年五年になって失速する(ようにみえる)のと同じ理由だ。別にその子自身が退歩したわけじゃないんで、腐らず焦らずやっていけば、ちゃんとあるべき結果に収まるはず。というよりむしろ、相対的に目立たなくなったにしても、アドバンテージの部分は何かに生きているはず、なんだけど。

たとえば、今の私に、彼らみたいなテクがあったら、今よりもっといろんな(音符が立て込んでて黒い楽譜の)曲も弾けて、楽しみの幅が広がるなぁと思うのだ。

ところがそうなりにくい理由がもしあるとすればそれは、「譜面も満足に読めないのに」の部分だろうか。譜面をきちんと「読む」ことよりも、弾き方を先生が直接教え込んだほうが手っ取り早いというような…

ただ、「譜面を読む」といってもいろいろな段階があり、「入賞総ナメ」的な子どもたちはある程度は読めると思う。そうでなくては不便でしょうがないので。

ヤマハの幼児向けグループレッスン「ドレミファソーラファミッレッド♪」のクラスを卒業しただけの子たちの中には、一見それらしくピアノを弾いていてもほんとにまったく五線譜が読めないということがあるけれど(耳コピしかしない)、その状態だとさすがにコンクール的ややこしさのピアノ曲は教えづらい。楽譜を見て、音の高さと長さくらいわかるのは前提でしょう。これはドでこれはレで、これはシャープこれはフラット、四分音符は八分音符の二個分、とか。

でもそれ以上の、楽譜から何を読み取って感じて演奏に反映することによって、
今先生から教わって正確に再現しているような、表情豊かな演奏になるのか?
ということはわかっていないのかもしれない。

たとえばだけど…私は小さい頃から、ピアノが下手でも、頭はいい子だったので(殴)「楽典」的なものは教わった分キレイに理解していたと思う。楽譜は「読めて」すぐ弾けた音が並べられたし、聴音も四声のけっこうややこしいやつとかテキパキ書けてたし。まさに音の高さと長さはわかる状態。

ところが一方…これはあんまりいいたくないんだけど…「八分の六拍子」と「四分の三拍子」がどう違うのか知らなかったし(←だって、足せばおんなじじゃん!!)、フレーズの最後の音は軽く、音価の大きい音は音量も大きい、とかも知らなかった。要するに、「shig式譜読みメソッドテキスト(草稿)」(*)に書かれているような内容のことは一切知らなかった。もっと言えば、「終わる感じのする和音」というものが演奏にも関係があるということすら知らなかった。

元ネタ筆者が言っている「楽典」というのがどこまでを指すのか不明だが、そういったことと実際の演奏を丁寧に結び付けつつ、自律的に演奏を作っていくことができるよう援助するレッスンなのであればすばらしいと思う。

けど、そういうことが欠けているならあとから補えばいいことで、とりあえず弾けるようになった(コンクール弾き)ことはマイナスではないと思う。それがややもすればマイナスになってしまう本当の要因は、「評価」「競争」ということじゃないだろうか。

(まだつづく)


(*)…薄っぺらい小冊子だけど、私にとっては、ピアノの楽しみがぐぐぐっと広がった名著。いつ「草稿」でなくなるのか首を長くして待っています!!

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コメント (4)
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