アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

二つのメソッドは対立するものなのか?

2015年05月21日 | ピアノ
いつまで引っ張るんだか…うちには熱心にピアノ弾いてる子どももおらんのに(笑)

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←そろそろこの話題終わらせないとほかの話が書けない

昨日の記事で書いたように、小さいうちにコンクール出まくり(そして入賞!!)ということに問題点があるとすればそれは
・ピアノを弾くことの価値が競争・評価というものに置き換わってしまうと回復が難しい
・子どもの演奏が評価されることに親が入れ込みすぎて、自分の(親力の?)評価と感じてしまうようになると問題の根が深すぎて以下略(怖) (*)
・親がつきっきりで教え込むスタイルが固定すると、親の限界が即子どもの限界、子どもが親なしで進歩しにくくなる
というところが大きいのではないかと。

この問題はそれぞれ大きいです。決して小さくはない。

でもそういう人間関係や価値観の問題をひとまずおいとくとして、純粋にメソッドの比較として、うまくなるならないについてはどうなのかと。

「コンクール弾き」とかでいろいろ検索した範囲でいうと、
・やたら難しい、凝った曲を弾くことになる。
・課題曲を長期間練習する必要があるため、ほかの曲を弾く余裕がない。
・派手なアクションで「表現してます」アピール(^^;;
というあたりがコンクールの弊害、問題点と考えられているようですね。

あと、小さくて力もあまりないうちから、メリハリを強調した演奏をするために、力強いんだか乱暴なんだか紙一重な演奏をする癖がついたりということを指摘してる人もいました。

すると、あぁ…某ピアノ競争番組で、小さいころコンクールで賞いろいろとったとかいう人が、乱暴な演奏してて、でもその演奏がいいという人もいて、ということがありましたね。あれが「コンクール弾き」の末路なのかと考えると、確かにちょっとどんよりした気持ちになります。

でもね、ここ数日でいろんな記事を見てきて、コンクール弾きを非難する人って妙に偏屈レベルまで基礎にこだわってストイックで、それもちょっと違和感あるんですよ。

例:「バスティンの簡単な楽譜のなかで読み取れる理論は一つも落とさない。

「基礎」は大事だろうけど、それと「弾いてて楽しい、聞いてて楽しい演奏」がリンクしていなかったらやっぱり意味はないんだから。曲もあれこれ弾きながら、基礎も大事にしながら、折衷案的に進めていったら十分じゃないでしょうか。

書き方が過激でなく、比較的納得のいく内容だった記事
「ピアノ曲の進度と実力は本当に比例する?」

ゆっくり進む子のほうが、うまく弾けるようになる、という実感をこの指導者は持っているようです。もちろん、ゆっくり進む子がしっかりした基礎を活かして大輪の花を咲かせる、ということはあると思うのですが、ちょっと不思議に思うところもあります。

昔、私の母は街のピアノ教室をやっていて、特段の(子どもの)才能や(親の)熱意があったりするわけでもないふつうの子をたくさん教えていましたが、だいたいにおいて、「早く進む子が最終的にもうまくなる子」でした。逆転現象はほとんど見当たらなかったくらいです。

なにせ昔のピアノメソッドですから、バイエル→ブルグミュラー→ソナチネなどなど、進行はほぼまっしぐらで、「誰がどの地点にいるか」は一目瞭然です。このシンプルな道筋の中で、早く進む子はうまくなる子。中学生、高校生と続けて、結局音大行ったり。一方、進みの悪い子というのはやはり、ピアノに向いていないというか同じ曲を弾いてもあまりよい演奏にならず、本人も結局そんなに好きにならず、どこかの時点でやめていくんです。

このズレはどこから来るのか??
(というわけでなぜだかまだつづく)

(*) この路線で超~怖くても、世界のMidoriとして大成する人もいるわけですが。

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育


「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)


「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする